ノート:片岡鶴太郎の金田一耕助シリーズ

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典拠皆無の記事です。[編集]

出典の明記テンプレートを貼付したところ、「具体的にどの部分にどういう出典明記が必要と考えるのかを、編集内容要約またはノートに明記してください。特にこのページについては、全体的に出典情報に不安を感じるものではありますが、明白に出典不備と断定できる部分は見当たりません。」というコメントともに差し戻されました。

現時点で、この記事には一切典拠が提示されていません。

山田の立場は、 「具体的にどの部分に」→ 原則として全ての記述に 「どういう出典明記が」→ ガイドラインである「Wikipedia:出典を明記する」他関連文書に沿った然るべき典拠が 「必要と考える」ものです。

典拠の提示が一切なく、外部リンクすら提示されていない記事について「出典不備と断定できる部分は見当たりません。」とお考えになった理由は、テンプレートを除去された方にはぜひ伺いたいところです。--山田晴通会話2020年6月21日 (日) 08:12 (UTC)[返信]

「典拠皆無」というのが「文献リスト」のような形の情報が無いという意味で仰っているのであれば間違いです。出典情報の示し方は限定されていません。

ただ、本件の場合には、以下の意味で出典情報が極めて脆弱であることは確かです。

  • 典拠が「映像作品そのもの」しか存在しない
  • その映像作品はビデオグラム化されておらず、検証にはBS放送やCS放送を待ってエアチェックすることが必要になる

従って、この脆弱性を補う必要があるという意味であれば妥当な指摘ですが、そのことは明記されているべきでしょう。

なお、「明白に出典不備と断定」できないというのは、映像作品そのもので検証できるという意味ですが、1箇所だけ見落としがありました。「概要」冒頭の1文(「原作に忠実な推理ドラマを」云々)は映像作品そのものでは検証できません。この部分については別に出典情報が必要だろうと思います。

「出典の明記」テンプレートがきちんと機能し、記事の改善に結びつくには、「どの部分に」「どういう質の」出典情報が必要かという情報が明示されていることが必須であると思います。情報提示に御協力をお願いします。

--Dakarananyanen会話2020年6月22日 (月) 09:20 (UTC)[返信]

  • Dakarananyanenさんのお考えは了解しました。その上で、少なくとも<典拠が「映像作品そのもの」>という状態は、好ましいとは思えられないことを私見として申し上げておきます。念のため参照方法テンプレートを追加しておきました。形式的には参考文献などもない状態でこれを貼るのは妙であるようにも思いますが、仮に<典拠が「映像作品そのもの」>なのであれば、第何話のどの辺りの表現が根拠なのかという記述は不可欠であると考えます。--山田晴通会話2020年6月23日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

誤解の無いように補足しておきますが、私が問題視しているのは「必要と考える出典情報」に関する情報を明示的にも暗黙的にも一切提示せずに、ただ「出典の明記」テンプレートを貼り付けて放り出したという「手続き」です。本ページの出典情報に改善の余地があるという点に異論はありません。

--Dakarananyanen会話2020年6月24日 (水) 10:47 (UTC)[返信]