ノート:火葬

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

火葬と埋葬[編集]

残った骨は埋めるだけでなくて撒いたりすることもありませんでしたっけ?テレビで見たような気が(Setomanko 01:13 2004年3月1日 (UTC))

散骨はありますね。0null0 01:16 2004年3月1日 (UTC)

なるほど、今の火葬の記事の定義(埋葬)には、必然外れてしまうわけですね。
葬儀(葬礼)と、埋葬・散骨、火葬・土葬etc...の関係ってどうなってるんでしょう。(Setomanko 01:29 2004年3月1日 (UTC))

火葬は、埋葬そのものではなく、埋葬前の手続きのひとつという位置づけでしょうね。ちなみに、散骨は埋葬ではないとされていて、ややこしいです(笑)(埋めるとなると墓地でなければならなくなるため)。Nekosuki600 2005年7月11日 (月) 14:04 (UTC)[返信]

「古来より」をカット[編集]

さきほど追加された「古来より腐乱死体による伝染病予防のためには火葬が有効な手段であった」をカットしました。
明治時代になる前あたりは、貧乏人の死体はそこらに放り出すとかいうことも珍しくなかったし、古来より日本では火葬がポピュラーだったという話もなかった。「古来」に過剰反応しているのかもしれないが、なんか違うんじゃないかと。Nekosuki600 2005年7月11日 (月) 14:04 (UTC)[返信]

遺体または遺骨を納めた墓が供養のための参り墓と一体化するのは、事実上江戸時代になってからの変化ですね。それまではそんなに極端に貧乏でなくても、よっぽど高貴な身分でない限り、死ぬか死にそうになると(家の中で死なれると家が穢れるからという理由で)河原などの彼岸との境界域とされた空間に捨ててきちゃったり、待遇がよくて火葬して散骨、そしてどこか神聖視された山中に五輪塔などの供養塔をつくってそこで供養をするというのが普通だったはずです。私がある程度フィールドワークの経験がある九州とか近畿なんかの一部の山の中に入ると、あたり一面、地表や地中に鎌倉時代、室町時代、戦国時代辺りの石製の供養塔のパーツがばらばらになってごろごろしていて、ちょっとぎょっとすることがあります。日本『古来』の火葬はむしろ、宗教的な供養法の一様式と見たほうがいいんじゃないかと。ちょっと私が今記事を書くには手元に資料が不足していますので、その辺りの思想的背景や火葬を選択するケースがどういう場合だったかをどなたかに執筆していただきたいものです--ウミユスリカ 2005年8月7日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

世界史的事例[編集]

古来からの火葬を云々するんだったら、むしろ日本の火葬のルーツになったインドの火葬史や、キリスト教化する以前の古代ゲルマン、古典古代のギリシア・ローマの火葬習慣の記事を充実させる必要を感じますがどうでしょうか。--ウミユスリカ 2005年8月7日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

火葬して残るのは?[編集]

故人がどのように、火葬され、骨上げ(?)されるのか正確なところはわからないのですが、 ともかく火葬した場合、骨とその他、体を構成していたもの、少なくとも有機物は灰となって、 残るわけですよね?そういった、骨以外のものは、どうなるのでしょうか? わたしも何度か火葬場に出向いたことがありますが、骨上げ時に骨以外のものを見た覚えはありません。 施設の方が処理しているか、煙突等から空気中に散布されているのでしょうか? それとも、わたしの思い違いで、細かい白い粉のようなものが、それなのでしょうか?

また、「人間の灰」というのは遺骨を指して言うのでしょうか? それとも、上記したように、故人を火葬(それ以外の場合もありますが)時に、残ったもの(骨を含む体の構成物)を言うのでしょうか?[未登録者]--2006年6月1日(木)23:40 ごろ

えーと、Wikipediaはあんまし質疑応答には向いてません。こういうご質問は、たとえば2ちゃんねる・冠婚葬祭板・【三昧】火葬の科学 ~十四番炉~【斎場】 あたりの方が適切なんじゃないかと思います。
なお、有機物にどこまで含めるのかにもよりますが、基本的に炭素や窒素などの筋肉・内臓などの主成分は、燃え残りません。燃焼あたりをごらんいただくのがよろしいかと。
--Nekosuki600 2006年6月1日 (木) 15:12 (UTC)[返信]

参考文献の件[編集]

参考文献の件なんすけど。何冊かどさっと除去さしてもらったのですけど。

いやね。参考文献の項目に記すべきものって、一義的には「この項目のテキストを執筆する際に参考にしたもの」じゃないかと思うのね。つまり、執筆者が記すものである、と。

二義的には、「これ参考になりますぜ」という意味合いもありかしらんが、そこに同一執筆者の本がずらっと並ぶとなりますと、それって宣伝じゃないだろうかという疑念を抱かせるには十分で。おれもこのひとの本は何冊か読んでますけど、確かに葬送に関する啓蒙的ライターの第一人者ではあるんですけど、でもちょっと不自然じゃないだろうか。

で、申し訳ないんですけど、ご本人だったら「まずアカウントを取る(戸籍名や筆名でのアカウント取得はやめといたのがいいと思います。いろいろトラブルの元になるので)」「その上で火葬についてちゃんと加筆する」「しかるが上で参考文献に追加する」くらいの手順を取ってほしい。もし無関係な人とか編集者とかだったら、こういう編集やめてほしい。

ということで、よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2008年6月14日 (土) 13:59 (UTC)[返信]

ユダヤ教に後の審判?[編集]

「ユダヤ教およびこれに起源を持つキリスト教、イスラームでは、最後の審判における」
ユダヤ教に最後の審判と言う教義があるのですか?--ピノキオ 2009年1月31日 (土) 02:08 (UTC)[返信]

はい、あります。厳密には旧約聖書の主要部分が書かれた古い時代の教義ではなく、ダニエル書など紀元前後の黙示文学が多く書かれた時代に定着してきた教義で、ユダヤ教改革派としてのキリスト教成立も、この流れと関わりがあります。また、キリスト教、イスラームでの最後の審判教義は、これを引き継いだものです。--ウミユスリカ 2009年1月31日 (土) 04:55 (UTC)[返信]

ありがとうございました。浅薄な理解でお恥ずかしいのですが、本来ユダヤ教においては、死後の世界(即ち天国と地獄)については関心を示さず、ゾロアスター教などの影響を受けて、キリスト教以降、来世に対して強い関心が示されるようになったと言う理解をしていたのですが、これは間違いでしょうか。--ピノキオ 2009年1月31日 (土) 07:36 (UTC)[返信]

ユダヤ教が本来死後の世界に強い関心を示していなかったというのは、確かにそうです。しかし、ゾロアスター教などの影響を受けたのがキリスト教以降なのではなく、ゾロアスター教などの影響を受けたユダヤ教の新しい潮流の中から生まれ改革ユダヤ教のひとつがキリスト教なのです。現在のユダヤ教はもうひとつの改革ユダヤ教会派だったファリサイ派の流れを汲んでいますから、終末観とメシア待望、その際の最後の審判の概念を取り込んだものになっています。--ウミユスリカ 2009年1月31日 (土) 09:11 (UTC)[返信]