ノート:潮文社

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潮文社のルーツについて[編集]

潮文社について、少しでも「出典」や記述の充実になればと思いまして、各種検索をしてみました。しかし「小島正と小島米雄の兄弟」の情報にはたどり着けませんでした。このページのこの兄弟についての情報の出所が何か探し当てたいと思います。

あと「東京潮文社」というのがあるようで、ウキペディア内では、清瀬一郎の編集で『政治は生きている』1959年11月、坂西志保と渋沢秀雄経堂編集『十代の眼』1959年で、Amazon や ASIN B000JAT5UM、国会図書館 全国書誌番号:59002429にもあります。 Amazon では他に、片山哲:著『日本国民に告ぐ』1959年 ASIN B000JARZBI というのもありました。 出版地を出版社名の前に記載するのは、その会社創業時によくあることだと思いますが、それでは「東京以外の潮文社」というのは有るのかと調べてみますと、「出版地:京都」で「潮文社」を国会図書館で検索してみると1954年から1958年の発刊14冊と1966年の1冊がありました[1]

このことから判るのは、潮文社の創業は「1954年であることと京都府内で創業した後、出版社として会社を運営し易い東京に1966年1959年頃に進出したのではないかと思います。「小島正と小島米雄の兄弟」は京都出身なのかな、という推定ですが、独自研究になってしまいますので、この辺はキチンとウラ取りをして「出典」を見つけてから本文に記載すべきと考えます。さらに調査を続けてまいります。--BY7679会話) 2022年8月9日 (火) 13:44 (UTC) 修正--BY7679会話) 2022年8月9日 (火) 13:49 (UTC) 間違った推定を否定--BY7679会話2022年8月14日 (日) 11:38 (UTC)[返信]

コメント さらに国会図書館のデータで検索していたら、1923年から東京で潮文社の出版物が有るようです。[2]これは、どう考えればいいのでしょうか。「小島正と小島米雄の兄弟」とは別の潮文社があったのでしょうか?わからなくなってきました。--BY7679会話2022年8月9日 (火) 14:08 (UTC)[返信]


私が潮文社のことをウィキペディアに書くことを思い立ったのは、解散より5年以上前のことで、そのための情報収集や準備を少しづつ始めていました。しかし潮文社は解散しました。一つの記事にまとめるうえで、そのまとめ方や不明な点の確認のために、困難を感ずることも多々あり、行き詰まっていました。しかし、何とか今年になってまとめ終えました。
この記事の執筆のため、かつての潮文社の(年代的に違う複数の)従業員や潮文社に出入りしていた編集嘱託や編集プロダクションの関係者などからの情報・資料やヒントも得ました。そして必要に応じて、その情報の裏付けのための更なる資料探しや確認などもしました。しかし個人情報が絡んでくるので、そのすべてを詳しく記事やこのページには書けません。
潮文社の経営者が兄弟であったことは、対外的に公表する必要が無かったので公表していなかっただけのようで、潮文社関係者や出入りしていた関係者の多くは、普通に知っていたようです。
私が調べた範囲では、潮文社の経営者が兄弟であることは、ネット上の情報としては見つかりませんでした。検索可能な出典として示すことは、多分難しいと思います。知ることが難しいからこそ、潮文社全体を見るうえでの重要な点だと思い、記事では、まず兄弟であることを示したいと思っていました。
この潮文社が東京以外には所在していなかったことは、確かです。
関西にあったらしいチョウブンシャと区別するために、一時「東京潮文社」と表記したことがあると聞いていました。
BY7679さんが調べた京都の「潮文社」というのは、このチョウブンシャのことではないかと思われます。
BY7679さんが見つけた1920年代にあった「潮文社」のことは知りませんでした。まったく関係のない同名の会社だと思います。
私が入手した「潮文社」の(書籍への挿入用と思われる)古い出版案内に、『十代の眼』と同じ編者である坂西志保・渋沢秀雄編の『教師』が載っています。この出版案内には、「東京潮文社」と表記されているのですが、東京の部分の文字サイズが小さくなっていて、社名というよりは、「東京の潮文社」という感じです。
小島正は、京都ではなく島根県出身です。記事に書いてあるように、「新島正」というペンネームを持っていましたので、「新島正」でグーグル検索すると出てきます。潮文社の記事では、小島正の出版社の社長としての考え方を書きましたが、彼の著書に通ずる彼の人生観や宗教観やその他の情報とは、なるべく分けておこうと思いました。私の元に十分な情報があるわけではありませんが、その一部分を書き加えるだけでも、潮文社の記事がかなり複雑になると思いますし、関係がある人たちの個人情報も絡んできます。そのため、出身地などの情報はあえて入れないでおきました。出身県や生年などは、著書の著者紹介やグーグル検索で見れば良いだろうと思いました。--Kita Taiko会話2022年8月10日 (水) 13:38 (UTC)[返信]


前文の続き: 今回の私たちのやり取りで新しいことがはっきりしました。
提案ですが、BY7679さんの方で、以下のことをBY7679さんの書き方で、「その他」の欄として追加されても良いのではないでしょうか。
京都に同名の「潮文社」という別の出版社があったため、区別できるように「東京潮文社」と表記していた時期があり、国会図書館でも「東京潮文社」発行として登録されている書籍があること。
1920年代にも同名の「潮文社」という出版社が東京に存在していたこと。
検討してみてください。--Kita Taiko会話2022年8月11日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
コメント ご提案頂き、ありがとうございます。検討して追記してみます。--BY7679会話2022年8月11日 (木) 12:08 (UTC)[返信]
コメント 上記の「別の潮文社」の対応として「潮文社 (曖昧さ回避)」を作成しました。また「東京潮文社」についても本文記事に追記しました。--BY7679会話2022年8月14日 (日) 11:38 (UTC)[返信]


曖昧さ回避のための投稿、ありがとうございます。
追加された文章で、『なお、国会図書館のデータによると、創業当時に京都府に同名の潮文社があったため「東京潮文社」と称していた時期がある。』となっていますが、多分読者の印象としては、『創業時は「東京潮文社」と称していた』と受け取る人が多いと思われます。
私も国会図書館の「潮文社」の検索をしてみました。それによると「東京潮文社」になっているのは、1959年だけです。(また参考までに、国会図書館のデータによると、公共図書館にある「十代の眼」は「潮文社」発行で、国立国会図書館デジタルコレクションの方は「東京潮文社」発行と記録されているようです)
このため、以下のように時期を特定しました。
『なお、国会図書館のデータなどによると、京都府に同名の潮文社があったため、1959年(昭和34年)頃、一時「東京潮文社」と称していた時期がある。』 --Kita Taiko会話2022年8月15日 (月) 03:38 (UTC)[返信]


BY7679さんの参加・協力によって、記事の本文だけでなく、脇も徐々に固まり、しっかりしてきたように思います。
感謝しています。ありがとうございます。--Kita Taiko会話2022年8月16日 (火) 03:29 (UTC)[返信]