ノート:浦上氏

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羅列に近いのでまとまりも悪いとは思いますが、一応一族の事にふれるような文章を書いてみました。 個人的に浦上氏はいま少し戦国大名になりきれなかったと思えるところがあるような気がしています。 --888 2008年2月22日 (金) 19:24 (UTC)[返信]

―浦上氏・暗殺/滅亡までの経路についての説明の冗長さと、記述の雑多項目の多い事に関しての不快さの表明―[編集]

浦上氏の滅亡・衰退文化に関しては供述の通りだとは思うが・・・・いささか総編集の項目についての疑問がある。今現在も存命の人物。派生地での貰い受けた性が浦上と言う姓のケース(実際にそうだ)だが、(兵庫県播磨郡等)生誕地に近い場所に住む同じ性の者としては、現在の編集の毒殺(同じ様な事件が身近に実際に自身の関連で起きた事に関する不必要なまでの記述に対する不快感を表明すると共に、滅亡等のマイナスイメージは過去の産物なので、正確に記述すべきだとは思うが・・・・もっと言えばその姓名に対する侮辱に当たらないか?

名と性が合致した固有の人物の略歴史を述べる分には十分な説明等は歴史的記述として重要と思うが、上に述べた通り不特定少数の者に対する浦上氏の衰退―歴史記述に関すれば、現在も家名の存在は実在する訳であり、この詳細な記述に関しては不愉快である。

浦上氏の暗殺・滅亡に関しての記載は個別固有名詞字句の範囲内に留めるべきであり、赤松氏との対立・家督の分裂等の略記載が最も適切ではないのか。--220.16.234.74 2010年3月27日 (土) 16:44 (UTC)[返信]

それが歴史であれば、滅亡・暗殺などの記述に対する"不愉快"などの感情は、それが子孫であろうと何であろうとただの個人的感情であって、筆を控える理由には全くなりません。むしろ、より正確な史実を記して経緯を詳らかにすることは公益に価します。不必要な形で特別に侮辱を行っているとでも言うならともかく、Wikipediaの規則に反しない限り、より充実した記事の追加に賛成し、上の様な感情的理由で記述を控える事には反対します。

現時点では、浦上氏が強勢を誇り、細川高国に応じて上洛した浦上村宗時代の記述が足りないので、そこを充実して貰いたいですね。 --射丸蔵 2010年12月13日 (月) 09:45 (UTC)[返信]

出典明示[編集]

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