ノート:浄興寺

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浄興寺SBI Business(ビジネス) Wikipedia(ウィキペディア)検索結果 開山は浄土真宗の開祖親鸞。 最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えた。真宗大谷派の別格寺院であったが昭和27年(1952年)に真宗浄興寺派 ... 常陸磯辺村(現在の茨城県常陸太田市)に移った。さらに2年後の文永4年(1267年)には信濃長沼(現在の長野県長野市)に移っている。 .... 親鸞開山の浄興寺は川中島合戦の兵火で廃絶し、後に善性ゆかりの勝願寺が越後に教線を拡大した際に再興したとする説。 ... https://www.sbibusiness.com/wikipedia/浄興寺 - キャッシュ - 類似ページ 浄土真宗:磯部六ヶ寺の伝承を巡って [シンポジウム 中世北陸の仏教] 以上の他、上越市高田の下記二寺が、磯部勝願寺関連寺院として有名(→由緒の詳細は後述)。 ... 一方、真宗教団の組織論を探求対象とした社会学の森岡清美[1962][1978]も、上記のうち大谷派の一部寺院(中俣勝善寺を主に、本誓寺・浄興寺にも言及)につき、末寺関係などを考察していた。 .... 対して“門徒を親鸞の法脈に結びつけ、その道場の由緒を高める目的”に求めているのは、かなり疑問;《←+下総の中世地名が磯辺》】

両方の記事を読んでいると常陸磯辺村(現在の茨城県常陸太田市)ではなく下総磯部(旧:磯辺)現在の茨城県古河市ではないかと思います。調査願います。

--220.107.2.65 2009年6月12日 (金) 06:29 (UTC)[返信]