ノート:法性寺 (逗子市)

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京都・法性寺について[編集]

京都の法性寺についての記述が混じり、場所によって、逗子の法性寺についてのことか、京都の法性寺についてのことか判りづらくなっていたため、整理しました。とりあえず「法性寺 (逗子市)」として立項したページでもあり、その際には逗子の法性寺をメインとする形式としています。移転をしても寺の歴史が1本であるなら1つの項目にまとめてもよいと思いますが、現に2寺並立しているのであれば、京都の法性寺に関しては別にページを立て、リンクで適宜互いを参照できるようにするのが適切かと思いますが、私は京都の法性寺に関しては何も判らないので詳しい方にお任せします。なお、ウェブで検索してみる限りでは、京都の法性寺は現在は山号も異なるようなので、歴代住職の項もなお若干の編集が必要かと思います。--Kaba-maru会話2015年6月3日 (水) 03:29 (UTC)[返信]

京都法性寺の記述を増補する際の参考文献として用いた「日蓮宗寺院大鑑」は、日蓮宗の大本山池上本門寺が「宗祖第七百遠忌記念出版」として編纂・発行した日蓮宗の公式な「1981年当時の日蓮宗の全寺院を網羅した大辞典」です。この「寺院大鑑」の京都法性寺の記述によれば、13世紀以来の「猿畠山法性寺」の歴史を連綿と受け継いでいるのが京都法性寺となり、現在の逗子法性寺は、この法性寺の跡地に17世紀初頭に建立された別の寺、ということになります。そこで、現在の記事名を「猿畠山法性寺」と改名する提案を行いました。私としましては、ひきつづきこの「日蓮宗寺院大鑑」にもとづき、「逗子法性寺」の項目もあわせて参照しながら、さらに記事を充実させていくつもりです。
以下に、「日蓮宗寺院大鑑」の「京都法性寺」の一節を引用しておきます。
法性寺〔山号〕猿畠山(えんばくざん)〔通称〕お猿畠の法性寺(おさるばたけのほっしょうじ)
〔所在地〕〒606 左京区田中町下柳町28
(中略)
〔沿革〕当山はもと鎌倉にあり、文応元(1260)年8月27日松葉ヶ谷の法難の際、宗祖が裏山の岩窟に難を逃れた旧跡である。ゆえに宗祖を開山と仰ぎ、2祖を日朗とする。3祖九老僧朗慶が草庵を創立する。達師法縁。5世日憲の暦応2(1339)年猿畠山法性寺と号す。貞和元(1345)年に至り、勅命により本山本圀寺と共に京都に移り、当山は神光山の地に境内四町を拝領する。(後略)--(日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版:日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺 (1981年1月),「京都一部」,p.705.)
なお、日蓮宗六条門流の祖山本圀寺(猿畠山法性寺の旧本山)の記事に「六条門流の主要寺院」という一節があり、9番目の寺として京都法性寺は「・猿畠山法性寺(京都府京都市:京お猿畠、本圀寺末頭)」と記述されています。
「ウェブで検索してみる限りでは、京都の法性寺は現在は山号も異なるよう」という曖昧な理由(→検証可能性を満たす典拠の提示が全くない)のみで、『日蓮宗寺院大鑑』という権威の高い典拠に基づく私の投稿した文面をゴッソリと削除なさったご編集にはとうてい賛成しかねるので、全面的にリバートさせていただきました。ただしKaba-maruさんが、本記事と逗子法性寺の記事を分割される提案をなさったり、実行なさる場合には、かならずしも反対いたしません。(私自身は、分割をするにしても「確実な典拠」によりもっと記事を充実させてからのほうがよいと考えていますが。)--Dalaibaatur会話2015年6月6日 (土) 16:34 (UTC)[返信]
必要なお話は下で済ますつもりでいましたが、こちらでも一点(直接改名に関係ないので)、「権威の高い典拠に基づく私の投稿した文面をゴッソリと削除なさったご編集にはとうてい賛成しかねる」と書かれている点について。「2015年6月3日 (水) 03:18」の版をよく読んでいただければ判るように、Dalaibaaturさんの追加された内容に関しては(テンプレート中の住所も含めて)判りやすいよう1箇所にまとめただけで、内容は何一つ削っていないはずです。何であれ、他の方が労力をかけ追加されたものは(明らかな間違いなどでない限り)安易に消したりしないよう、心掛けているつもりです。--Kaba-maru会話2015年6月7日 (日) 11:12 (UTC)[返信]

改名の提案[編集]

記事名を法性寺 (逗子市)から猿畠山法性寺へと改名するよう提案します。 猿畠山法性寺は、13世紀、日蓮宗の宗祖日蓮が法難を被った際に「猿の導きで難を逃れた」という伝説の地(=お猿畠)に建立され、14世紀に京都に移転。17世紀、跡地となった「お猿畠」の地に同一の山号・寺号であらたに1寺が建立された、という歴史をもつ寺院で、逗子市の枠におさまらない歴史をもつ寺院であるため。--Dalaibaatur会話2015年6月7日 (日) 07:23 (UTC)[返信]

反対 wikipediaはどちらが正当か、どちらが歴史を引き継いでいるかを論争する場ではありません。ノートの最初に書いたように、現在、確かに2つの寺がある以上、それぞれ立項されるべきと思いますし、また、少なくとも、それぞれを混同しかねないような記述も避けるべきでしょう。例えば(私の編集を何ら考慮されることなく以前の記述へrev.されていますが)テンプレート内の位置情報、各要素の項目はすべて逗子の法性寺の内容であるにも関わらず、住所のみ併記されるなど、明らかに内容に混乱が見られます。「分割をするにしても「確実な典拠」によりもっと記事を充実させてからのほうがよい」と述べておられますが、逆に、分割するまで両寺の記述が入り混じっていてよいというものでもないと思います。一項としてきちんと書ける内容にして項目を立てて頂くか、あるいはスタブであってもまず項を立て、その後内容の充実を目指すほうがよほど読者にとってもわかりやすくスマートであると思います。もちろん、これは何も、私自身がこの項目を立てたので触るな、といった了見でいるわけではありません。京都に移った等々の記述をしっかり加えてくださることについては感謝致します。なお、山号に関しては[1]を見ましたが、確実な資料に「猿畠山」とあるのであれば、単なる誤記かと思います。混乱を招くような情報を加えたことはお詫びします。なお、「京都の法性寺は現在は山号も異なるよう」というのは、「そのように書かれているものもあるが、仮にそうであれば、歴代住職の項の表題も変える必要があると思うがどうか」という意味であり(私も確実性には疑問があったので、その部分は編集しませんでした)、本文内容の編集は、上に述べたように、あくまでも内容が逗子のもの、京都のものが入り混じって読みづらく、表題とも矛盾していると感じたからです。編集合戦的なものは好ましくないので、現段階で本文には触れないことにします。--Kaba-maru会話2015年6月7日 (日) 09:23 (UTC)[返信]

(追記)なお、「猿畠山法性寺」への改名を、とのことですが、wikipediaにおける寺院のページ題名は山号を付けず寺号のみであるのが一般的であること、また、同名の寺がある場合は所在地で分けるのがやはり一般的であるということも申し添えておきます(6月11日追記、「プロジェクト:仏教/寺院名について#ほぼ推奨されている付け方」についてもご参照ください)。なお、すでに京都にある同名の「法性寺」が立てられているため、新たにページを立てる場合には(他の例に倣い)区名も付記する等の工夫が必要と思います。--Kaba-maru会話2015年6月7日 (日) 11:04 (UTC)[返信]