ノート:永康 (柔然)

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冒頭文ではトルファン出土文書により王樹柟の推定する永康元年を歳丙午(466年)とする見方が有力視されているとのこと、しかし対照表は『魏書』準拠で和平 (北魏)5年(464年)を元年とする体裁です。そして西暦年記事には466年から484年までについて前者の説に基づく記入がされております(しかも高昌にも永康元号を適用)。確認しておきたいのですが、

  • 王樹柟の推定説では永康年の末年はいつにしているのか?
  • その王樹柟の推定説の出典(書誌情報)は?
  • 高昌が柔然の元号を使ったことになっているのか?

が良くわかりませんので、どのように対処しようか迷っております。手元で確認できる鄧洪波編『東亜歴史年表』は元年を464年としており末年を21年(484年)、高昌については489年に建元(建初)したことを記していますので、西暦年記事については「464年を元年とする」「高昌の記述は削除」として書き改めていってよいでしょうか?--田英 2007年7月8日 (日) 12:06 (UTC)[返信]

王樹柟の出典は歴史論文集『文物』らしいのですが詳しい書誌情報は調査中です。また高昌での使用例ですが、これは近隣で使用された元号が沿用されたとも考えられ、高昌独自の元号として扱う必要まではないと思います。466年説も定説化されたわけではないので、取り合えず正史準拠で464年を維持したほうが無難かと考えています--Yonoemon 2007年7月26日 (木) 12:33 (UTC)[返信]