ノート:歩兵第104連隊

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沿革記事に関して[編集]

本記事は従来のものに比して本連隊の行動にそって書かれていますが、沿っているだけで「行動の意味」「地名」がわかっていない記事となっています。まず、内地(神戸港)から上海へ上陸したことはわかりますが、これが南京攻略作戦に参加したものであることが書いてありませんね。つぎに武漢作戦では敵の包囲に遭い第3大隊長戦死などの損害を出していますがそれはカットですか。40年5月「宣昌作戦」とありますがそれって「宜昌」(ぎしょう)でしょう。「ぎ」を「せん」とするのは地名を知らないで書いている証左ですね。43年2月「江北殲滅作戦に参加第3大隊のみ別行動」とありますが、第3大隊は淯渓河警備のままですよ。済渓河の「済」もあやまり。しかも江北作戦に続き江南殲滅作戦に参加したのにこれもカットは不思議ですね。ちなみにこのときも第3大隊は駐屯地警備のまま。さらに、45年8月23日「衝陽郊外の三板橋にて軍旗奉焼」。「衝陽」ですか。も一度調べなおしたら如何ですか? ついでに「歴代連隊長」の六代野口義男は着任時中佐。 --yatiyochan 2009年5月24日(日) 12:20 (UTC)