ノート:歩兵第102連隊

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沿革記事に関して[編集]

色々言いたいことはあるんですが、とりあえず第二次編成後直ちに師団隷下部隊として南支へ移動したととれますが、師団は関東軍隷下として満洲へ派遣され、はじめ東満、途中で錦州へ配備となってます。つぎに東部ニューギニア作戦出の行動も不正確。まず本連隊は歩兵団長指揮の支隊編制となって師団主力に先立ちラバウルからラエに上陸してますが途中第3大隊が海没し兵力が一個中隊ほどになったことや、また連隊長以下ワウ飛行場攻略にあたったが約700名の死傷者を出してムボ地区へ後退した事、これって「サラモアの海軍部隊救援‥」ですか? ワウとサラモアって全然場所が違いますが‥‥つまり本連隊は連合軍のナッソー上陸以前に戦力を喪失してしまったこと、しかし残兵をもって後の攻防戦やサラワケット山越えに死力を尽くしたなどが省かれてますが、沿革記事はあまりに簡略すぎませんか?--yatiyochan 2009年5月21日 (水) 14:15 (UTC)[返信]