ノート:武蔵中央電気鉄道

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京王合併後の武蔵中央電気鉄道の「京王高尾線」と、現「京王高尾線」は、本当に「何ら関係が無い」のでしょうか?

「高尾山へは京王線で」というのは、京王線+武蔵中央電気鉄道で確立したものでしょうし、 戦後、多摩御陵へ行く需要も低下したと思われる環境の中、御陵線を(部分的に)復活させたのは、 やはり「高尾山への鉄道」としての意義が大きかったと思われます。 更に、現・高尾山口駅は、かつての高尾橋駅のすぐ横にあります。この事から、京王御陵線と旧京王高尾線を合併し、全線を専用軌道化し、名前は「高尾線」の方に合わせた(行き先が高尾山口なので)という解釈も出来るのではないでしょうか。

実際にはそこまで同一視していなかったにしても、少なくとも武蔵中央電気鉄道の存在を意識したネーミングである可能性はあります。

要するに当時命名者がどういう思いを抱いていたかという事になる訳ですが、少なくとも「何ら関係は無い」と断言することまではできないと思います。