ノート:武田信友

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実は武田信基武田勝虎はこの信友のことだという話を聞いたことがあるのですが、確かな文献で確認できる方はいらっしゃるでしょうか。信基と同一人物だとすれば駿河で生まれたという記述を修正する必要がでてきます。--Kangoshiyouichi 2008年3月14日 (金) 18:20 (UTC)[返信]

『武田信玄のすべて』の新編を書店でみつけたので立ち読みしてきましたけど、駿河で生まれた、という部分も修正の余地があるように思えました。まだちゃんと読んでないので本文への修正はおこなえませんが、一応報告まで。--Kangoshiyouichi 2008年8月4日 (月) 16:23 (UTC)[返信]

『新編武田信玄のすべて』の第一章「武田信玄とその一族」、柴辻さんの執筆部分ですが、信虎5男は「信基」でカッコ付きで「信友」とされています。母は側室内藤氏の娘。信虎に同行して今川家臣となったとありますが、一方で平山さんの執筆による「武田信玄家臣団辞典」では項目名を「信友」とし、信繁弟、信廉兄とする異説も系図類にはあるとされ、母は内藤氏娘ではなく駿河での出生説を紹介しています。論文ではないので具体的にどの系図に基づく情報なのかはわかりませんが。--でここ 2008年8月31日 (日) 15:34 (UTC)[返信]

信基については信友へのリダイレクトにしました。勝虎についてはよく分からないのですが、典拠が見つからないということで除去しました。--Kangoshiyouichi 2010年1月29日 (金) 16:23 (UTC)[返信]

近年刊行された平山優さんの『武田信虎』では、子供を儲けるのが少々早いが数えの13歳で子を儲けた例は無くはないし、甲斐で生まれたとすると追放時にそれよりも年下の子供たちを信虎が置き去りにした理由が分からなくなるので、信友は父の追放直後に駿河で生まれたと考える方が適切であると述べておられますね。--水野白楓会話2019年12月8日 (日) 08:46 (UTC)[返信]