ノート:樽谷恵三

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下の名前について[編集]

こちらのソースなどを見ると「樽谷恵三」が正式なお名前のようです。もし「樽谷明」表記のソースをお持ちの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。もしないのであれば1ヶ月後をめどに改名したいと思います。--M9106TB会話2012年9月10日 (月) 08:40 (UTC)[返信]

出典元はおそらく賀川サッカーライブラリーのこの記事でしょう。なお私の手元にある『高校サッカー60年史』254頁の「国民体育大会サッカー競技少年の部史」の項では「樽恵三」と記述されているのですが、同じく『高校サッカー60年史』86頁の「第26回全国中等学校蹴球大会」の項、『天皇杯六十五年史』130頁、『昭和スポーツ史 9 サッカー編』61、151頁では「樽」(いずれも姓のみで下の名前の記述はなし)と記述されていることから誤植だろうと考えています。--Athleta会話2012年9月14日 (金) 23:45 (UTC)[返信]
情報提供ありがとうございました!ということは経歴は間違っていないんですよね?広大付属の樽谷氏と東洋工業の樽谷氏は同一人物だと以前確認した覚えがあるのですが、関学の樽谷氏についてはわかりません。長沼健氏の同世代の広大付属のほとんどが関学に進学したらしいので多分同一人物だと思いますが・・・。
あとAthletaさんにお聞きします。これを見て気づいたのですが、古河で監督をされていた桜井頼己氏は樽谷氏や長沼氏と広大付属の同級の方ですか?-M9106TB会話) 2012年9月15日 (土) 10:42 (UTC)加筆--M9106TB会話2012年9月15日 (土) 10:53 (UTC)[返信]
本文中の広島高等師範附属中学時代の経歴は間違いはありませんが、その後の経歴については念のため新聞縮刷版等で大会記録を確認をした方がよいかもしれません。
樽谷氏については日本サッカーミュージアム:ヒストリカルアーカイブに所蔵されている『蹴球 10巻 1号』28頁の東西大学対抗の記録の中で、関学の選手として樽谷氏の名前(姓のみで名前の記述はなし)がありますね。第26回中等学校選手権(1947年12月)、第3回国民体育大会(1948年10月)、東西大学対抗(1952年12月)、東洋工業の選手として第34回天皇杯決勝(1954年5月)、第37回天皇杯決勝(1957年5月)と近しい年代で樽谷氏の名前を確認できることから同一と見做すことが出来るかもしれません。
桜井氏については『高校サッカー60年史』254頁の「国民体育大会サッカー競技少年の部史」では樽谷氏や長沼氏と並んで「桜井頼己」の名が記述されていますが、古河の「桜井頼己」に関する資料を今のところ持ち合わせていませんので、現状で同一と見做すことは私には出来ません。お役に立てず申し訳ありません。--Athleta会話2012年9月15日 (土) 19:59 (UTC)[返信]

最後までありがとうございました!--M9106TB会話2012年9月16日 (日) 00:10 (UTC)[返信]

では、改名提案を提出します。--M9106TB会話2012年10月9日 (火) 22:24 (UTC)[返信]

改名作業完了しました。--M9106TB会話2012年10月16日 (火) 13:37 (UTC)[返信]