ノート:樺太の戦い (1945年)

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差戻しの理由:住民犠牲者数について[編集]

利用者: 114.181.48.42さんの編集を差戻しした理由は、住民犠牲者数10万人という仮説は、出典が不明なうえ、他の確かな情報と照らしても無理があると思われるからです。
利用者: 114.181.48.42さんのおっしゃる犠牲者10万人というのは、戦前の住民40万人-戦後の引き揚げ30万人(民間28万+軍2万)の差分が「行方不明」だからと言います。しかし、「自力脱出者を含めて10万人が島外避難に成功した」と本文中に書いたとおり、戦史叢書などでは終戦前後の緊急疎開と自力脱出者の合計が約10万人としており、これを加えるとちょうど計算が合うことになります。利用者: 114.181.48.42さんは、わざわざこの部分を削除されて自説の矛盾を覆い隠していますが、あまり良い編集とは言えないと感じます。
10万人説を採る検証可能な資料があるのならば、それを明確にしたうえで併記するのならば構わないと思いますが。--Snlf1 2010年6月24日 (木) 11:44 (UTC)[返信]
(追記)示村は住民数45-46万としていますので、これとの差分が「行方不明」というのならばありえなくもないですが、示村は犠牲者数を3,500人としています。結局、独自研究回避の意味でも、10万人説の先行研究に依る必要があります。--Snlf1 2010年6月24日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
(追記2)厚生労働省データというだけでは、確認の取りようが無いので、もう少し具体的に資料名を示していただけないでしょうか。Wikipedia:検証可能性というルールに沿うようお願いいたします。ちなみに、中山が挙げた数値も、具体的資料名は不明ですが「厚生省資料によると」(179頁)とされています。--Snlf1 2010年7月10日 (土) 12:16 (UTC)[返信]

(追記3)たしかに厚生労働省2006年1月1日のデータとして、千島樺太からの引揚者が軍人軍属16,006人・民間人277,540人の数字があるようです。原典は後で確認しますが、東京新聞2007年8月19日に掲載とのこと[1]。樺太・千島方面からの引き揚げの主役だった函館援護局のデータでは、軍民合わせて292,760人(樺太279,356人・千島13,404人)なので、ほぼ一致しています。ほか、密航者数24,513人とするデータが『戦前における樺太の概況』(北海道庁、1962年)にあるようで、確認します。--Snlf1 2012年2月17日 (金) 11:23 (UTC)[返信]
(追記4)戦没者24400人と言うのは、アリューシャン方面を含めた数値の誤解ゆえ、修正しました。--Snlf1 2012年2月17日 (金) 12:54 (UTC)[返信]