ノート:榊原康勝

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榊原康勝の三家老が秀忠から加増を受けている件[編集]

最近、榊原康政~忠次の家臣団形成に関する論文が所蔵された小宮山敏和氏の『譜代大名の創出と幕藩体制』という本を読んで加筆をしようとしたのですが、そこでふと現行の記事内容と矛盾する内容があるので、どうしたものかと考えております。

本文中に忠次擁立に際して配流されたとされている中根・原田・村上の三家老なのですが、この3人が元和年間に幕臣への復帰を将軍秀忠に申請した際に秀忠は隠居料として1000石ずつを与えた上、その所領は榊原家からの所領とは別枠で公儀から支給される形式で明治維新まで子孫に継承され、さらに家中においては藩主が在府の時には交替で藩主とともに将軍への拝礼が許された(P181-185)とあるのです(隠居料の件は榊原家から明治政府に出された書類に添付された天和元年に三家老(の子孫)が老中・井上正利に提出した覚書の写しを出典にされている)が、忠次相続時に康勝に子供がいることを隠して配流になったとしたら、秀忠から所領を与えられるというのは矛盾になってしまうのではないかと思われるのですが……。その辺りの前後関係について詳しい方がいらっしゃれば、御助言をお願いいたします。--水野白楓会話2015年7月27日 (月) 12:18 (UTC)[返信]