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ノート:椿井城

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参考文献 大和国国人一揆運営委員会編集「私本 新大和軍記」第一巻105~121ページ「堅城に挑む 椿井山城跡」2011年 大和国国人一揆運営委員会編集「私本 新大和軍記」第四巻336~339ページ「竪堀群は存在するか 椿井山城跡」2011年 は不適切な書籍と思われます。この書籍を書いた星野直哉氏は内容が虚偽で自作自演のブログのないようがこの書籍の内容と告白しています ウィキぺディアにこのような人物が書いた書籍を乗せるのは不適切ではないでしょうか削除を依頼いたします--Mo10000 2011年7月8日 (金) 15:43 (UTC)[返信]

堀切の数につきまして

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堀切と判断できる遺構の数は南北の尾根に五本と思われます。六本とされた「池上の鯉」様はどこを追加されたのでしょうか?土橋のある堀切の南にある物は堀切ではなく山道の切り通しでありますが、そこを評価されたのでしょうか? 失礼ではありますが、再度五本に訂正させていただきました。--平蜘蛛 2012年1月4日 (水) 11:53 (UTC)[返信]

文献削除

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大和国国人一揆運営委員会編集「私本 新大和軍記」 この文献はお城好きのブログですね、以前に拝見させて頂いております。椿井城のページを見ると学術的な内容が多いのに単なるブログを参考文献としているのはおかしいです。ページ本文を見ても参考になっている部分も無いみたいですので削除しました。ブログだから悪いと言う事ではないですが、この程度のブログを参考文献にするなら巷に沢山有り過ぎてきりがないと思います。学術的な文献で参考になっている物だけにすれば良いと思います。--監視人4646 2012年1月8日 (日) 15:13 (UTC)[返信]