ノート:森麻季 (歌手)

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結婚の記述について[編集]

「作曲家と結婚」との記述がありますが、過去の版を含めて作曲家との結婚について検証可能性が満たされていません。資料をご存知の方はご提示ください。--Wikied 2009年6月5日 (金) 17:44 (UTC)[返信]

ご意見いただきたくお願いします[編集]

この版以降、記事の様子が大きく変わり、個人的に残念と感じております。物語調になり、百科事典らしさが損なわれた印象があるからです。皆さんはどのようにお感じでしょうか。ご意見いただけると幸いです。--Wikied 2009年6月21日 (日) 21:31 (UTC)[返信]

「物語調になり、百科事典らしさが損なわれた印象がある」というが、その「物語調」や損なわれた「百科事典らしさ」なるものを具体的に指摘されたい。現状では、Wikied氏本人が「個人的に残念」であると述べていることから分かるように、何らかの感情移入からくる主観的な「印象」にすぎないと考えます。

17か月以上経過しており、具体的に指摘すべき点、「物語調」は疾うに校正しております。--Wikied 2010年12月19日 (日) 12:34 (UTC)[返信]

編集報告[編集]

参考資料としてテレビ番組が挙げられていますが、この資料に基づかない記述を変更ないし削除し、要出典タグを付しました。大学進学前に、全日本学生音楽コンクールで優勝したという内容の誤謬を削除しました。--Wikied 2009年6月22日 (月) 14:04 (UTC)[返信]

「オペラ歌手としての海外での評価」について[編集]

12月18日の編集で「数少ない評論の一つにおいて、オペラの演奏には彼女の歌唱力が未熟だとの次のような判断が示された」云々という記述が加えられました。

「数少ない評論」から、何故この評論が採用されているのか、またそれが「数少ない評論」を代表するようなものであるのか、さらには「海外での評価」として妥当なものであるのかどうか判然としません。したがって、この記述が中立性を確保しているとは言い難いと考えます。--Wikied 2010年12月18日 (土) 18:48 (UTC)[返信]

Wikiedが問題視する記述(イタリア語評論の和訳)
《2010年5月、森がイタリア・トリノ王立歌劇場で『ラ・ボエーム』に出演した際に、地元メディアの数少ない評論の一つにおいて、オペラの演奏には彼女の歌唱力が未熟だとの次のような判断が示された。「ムゼッタを演じた森麻季は、声の技量において(全出演歌手の中で)最も説得力を欠いたのではなかろうか。分かりやすく言えば、ムゼッタ役はいかにもお似合いだが、歌声のほうに少しわななく癖がある。彼女をより良く評価するためには、再度聴き直してみる必要があろう。とりあえず高音域は安全確実で、演技面に関していえば、声の軽いこのソプラノ歌手であっても適任だ》
上記和訳の脚注原文 リンクつき
Una splendida Bohème al Regio di Torino [...] la Musetta di Maki Mori è forse la vocalità meno convincente: per intenderci, è una Musetta assolutamente degna ma la voce vibra un pochino, e sarebbe da risentire per valutarla meglio. La tessitura acuta è comunque salda e sicura e scenicamente il soprano leggero è adeguato [...] --MakiMori

「中立性」とは、評論を行ったイタリア人記者の立場なのか、あるいはその評論をWikipediaの項目記述のために有益な情報として採用した編集者の立場、どちらについての言葉でしょうか。

Wikied氏は「中立性」を問題にしていますが、この評論の和訳はもともと「公演記録」欄に記されていたものです。しかしWikied氏は2010年12月17日 (金) 17:36(12月18日以前)の編集で、「この公演に限って評論を載せる理由がない」との理由で、それをコメントアウトしています。つまりこの間、Wikied氏がこの評論記述を問題視する理由は変遷しており、一貫性を欠いています。もしも主観的な感情移入からこの評論内容に賛同できないのであれば、「中立性の確保」なる名目で評論記述そのものやWikipediaに引用することの妥当性を云々するにはあたらないでしょう。

中立性の問題は、前述の通り「評論の代表たるものなのか」「海外の評価として妥当なのかどうか」=評者の適合性であり、同時にその評論を掲載した編集者の意図です。
「数少ない評論」から選出された理由は編集者のみが知ることであり、イタリア語のメディアの検証可能性の確認は、日本版Wikipediaの編集者にとって容易なものとはいえません。
当方の「編集理由の変遷」は、考えてみれば・・・という部分もありますが、主因は、一評論が「海外の評価」として記載されたバイアスです。感情移入によって評論の賛否を問うてはおりません。--Wikied 2010年12月19日 (日) 12:34 (UTC)[返信]
森麻季さんはこれから多くの公演により評価される立場にいる方だと思いますので、もう少し評価事例が蓄積され、評価軸の方向性が見えてから項目を作ったらいいのではないでしょうか。現時点において否定的論調のみを目立つように取り上げるのは不適切だと思いますし、そもそも存命中の芸術家に対して一時的な少数評価をさも一般的な評価のように百科事典に載せるのかという観点でも疑問に感じます。--YM 2010年12月25日 (土) 16:22 (UTC)

「~さんはこれから多くの公演により評価される立場にいる方だと思います」との予測は、根拠が明示されず主観的なものと見受けられます。そして、「現時点において否定的論調のみを目立つように取り上げるのは不適切だと思います」ともあります。要するにご意見の趣旨は、

1.イタリア人記者による当該論評の内容が「否定的評価」や「一時的な少数評価」なのだと、根拠も挙げずに解釈・断定したうえで、
2.そのいわゆる「否定的評価」の内容自体に対して、自分は個人的な価値観にもとづき異議を唱えたいのだが、
3.逆にいえば、かりに「~への肯定的評価」なのだと主観的に感じやすい論評記述でさえあれば、独立項目を立てて記すことにも賛成だ、

...といったご心情かと理解されます。それゆえ、客観的見地からのご意見とは捉えがたいものです。

「オペラ歌手としての海外での評価」の掲載を希望する編集者は、意見表明者の心情云々を語る前に、一評論を「海外の評価」として記載した理由を明記してください。ご自分の客観的な整合性が示されなければ、対立意見に対する詭弁にしかみえません。
また、著名は忘れずに付してくださいますようお願いします。--Wikied 2010年12月26日 (日) 15:41 (UTC)[返信]

問題になさっているイタリア語記事の内容は、この日本人歌手に対する「最大のリップサービス」のように読み取れます。その引用掲載が、なぜかくも問題視されるのでしょうか。

評論文は、この歌手が2010年5月の段階で、本場イタリアのオペラ劇場公演に際して有識者から受けた評価である限り、出典も明示され、貴重な客観的データである事に間違いありません。この歌手をめぐるそのような評論が現時点で一つしか見出せないことのみを理由として、評論内容の公平さ・客観性を疑問視されるところに、何らかの「心情」の関与が疑われます。--Wikipedia

また、そもそもいくつ(数)の評論を揃えれば、それらが「客観的」や「公平」だと言えるのでしょうか。その「公平・客観性の基準」を示すことこそ、反対者(?)ご自身の「客観的な整合性」を示すことではありませんか。他の編集者の意見を、論理的な根拠立てもなしに「詭弁」と決めつける方は、議論に必要な冷静さを欠いておられるように見えます。--Wikipedia

評論の数がいくつあれば客観的である、といった決まりごとはありません。既に述べているように、一評論を「海外での評価」とするバイアスが問題だといっているのです。MORISUE氏のご指摘も同様でしょう。貴方がこの評論を「最大のリップサービス」と読みとれたとしても、有意ではありません。
もう一度お尋ねします。いつの間にか「この歌手をめぐるそのような評論が現時点で一つしか見出せない」と内容が変わっているようですが、当初主張されていた「数少ない評論」の中からこの評論を選んだ理由は何ですか?そしてこの一評論を「海外での評価」と拡大解釈する根拠は何ですか?
署名の付け方はこのページに明記してあるので、正確に著名してくださいますようお願いします。--Wikied 2010年12月26日 (日) 18:46 (UTC)[返信]

報告執筆者による、合意を目指した説明が得られないうえ、複数の「掲載不適」の判断が示されているため、当該個所をコメントアウトしました。--Wikied 2011年1月11日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

コメント執筆者である京都plalaのIP氏は、説明する気がないのですか?単に翻訳を示しても合意は得られません。議論に参加してくださいますようお願いいたします。また、署名も忘れずに。貴方の(ほとんど意味をなさない)投稿によって、可読性が損なわれるばかりです。--Wikied 2011年1月20日 (木) 15:02 (UTC)[返信]

単に論争の一環として、編集を差し戻してはなりません。他の編集者・投稿・観点に敬意を払いましょう。言い換えれば、あなたの向こう側にいる編集者を考慮してみましょう。ウィキペディアへの貢献になると考えてなされた投稿であるならば、それらの投稿を差し戻すことは不適切です(ただし、あなたが編集者として 確 固 と し た 実 質 的 で 客 観 的 な 証 拠 を 持 っ て い る 場 合 は別ですが)。単なる意見の相違は、差し戻されるべき根拠にはなりません。

一般的に、記事や最近の更新に問題がある場合は、それが差し戻しや削除の理由になるという誤解があります。しかし、それらが有用な情報を含んでいる場合は、単純に記事を修正すべきです。差し戻しは、気軽に決定してよいことではありません。

「パナソニック社が海外でこの歌手の演奏会に出資」という、音楽ビジネスにかかわる出典つき有益情報すら抹消すべきとの、Wikied氏のご判断。いささか恣意的(心情的)な編集方針と申さざるをえません。--Wikipedia

心情に結びつけるのがお好きなようですが、WP:NOTWP:Nに基づく判断です。掲載すべき事由があるなら示していただきたいものです。--Wikied 2010年12月26日 (日) 18:46 (UTC)[返信]

単に論争の一環として、編集を差し戻してはなりません。他の編集者・投稿・観点に敬意を払いましょう。言い換えれば、あなたの向こう側にいる編集者を考慮してみましょう。ウィキペディアへの貢献になると考えてなされた投稿であるならば、それらの投稿を差し戻すことは不適切です(ただし、あなたが編集者として 確 固 と し た 実 質 的 で 客 観 的 な 証 拠 を 持 っ て い る 場 合 は別ですが)。単なる意見の相違は、差し戻されるべき根拠にはなりません。

一般的に、記事や最近の更新に問題がある場合は、それが差し戻しや削除の理由になるという誤解があります。しかし、それらが有用な情報を含んでいる場合は、単純に記事を修正すべきです。差し戻しは、気軽に決定してよいことではありません。