ノート:森陣屋

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森陣屋についてどういうわけか削除になっていますが、もう一度、参考文献2冊を要約して著述させて貰う訳にはいけませんでしょうか。なお、一冊については「城郭風にした。」とあります。その表現は使いませんので、再チャレンジさせて頂くわけにはいけませんでしょうか。    --Roga246 2007年10月20日 (土) 23:40 (UTC) その後、参考文献2冊で合わせて要約して作りましたが、困ったことに両者共、西ヶ谷恭弘編「国別城郭・陣屋・要害台場事典」の方に何となく似通っている事が判明しました。--219.205.220.101 2007年10月21日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

  • 最近特に感じるのはWebサイトでの関連のホームページに載せる事が増えています。城郭・陣屋も参考文献に適合するものがない場合、参考になるものの数が増えています。そこでお尋ねしたいのは、著作権がらみですが、サイトを参考文献として、または検証可能性があるものについては文献に準ずるものの一部として認める事は出来ないかと言う事です。どうかご教示をお願い致します。

     --Roga246 2007年10月21日 (日) 06:36 (UTC)[返信]


削除回避のために[編集]

元々がどういった内容だったかは把握していないので分かりませんけど、概要の文章を考えてみました。


概要
慶長5年(1600年)に角牟礼城が廃城となると伊予来島より来島長親が1万4千石で入封され、陣屋敷地内にある末広山に伊予の大三島神社を分祀して三島神社を造営、その名目で城構えにしている。8代通嘉(文政7年)の頃、三島神社の修築を口実に庭園や天守を模した栖鳳楼を増築している。現在見られる遺構はこの時のものである。
丘の上には、天守を模したといわれる数寄屋造りの茶屋「栖鳳楼(せいほうろう)」(県指定有形文化財)があり、清水門の前には堀を模して池と庭園が造られている。神社境内や旧陣屋の石垣は城郭を思わせる造りとなっている。
明治期に廃藩に置県によって森県庁が置かれたが、まもなく大分県へ合併し、一部の建物を残して、県庁として使われていた御殿などが撤去されている。現在は三島公園として整備されている。


これで、一旦、乗り切ることはできませんでしょうか?--ムカイ 2007年10月26日 (金) 12:45 (UTC)

  • 私が述べるのは、ふさわしくないと言われそうですが、上記でいいと思います。

   --Roga246 2007年10月27日 (土) 07:28 (UTC)[返信]

以上記事及び加筆を行いました。以下、問題点や修正点などがございましたら加筆・修正などをお願いいたします。--ムカイ 2007年10月29日 (月) 13:49 (UTC)

陣屋御殿について[編集]

陣屋の御殿は役所、郷土館などに利用され、昭和15年頃まで存在したそうです。  参考文献:「国別城郭・陣屋・要害・台場事典」--Roga246 2007年11月1日 (木) 21:56 (UTC)[返信]

その趣旨を加筆すると共に修正しました。--ムカイ 2007年11月10日 (土) 12:52 (UTC)[返信]