ノート:梁統

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「地方軍頭領」の表記について[編集]

実は私自身、隗囂竇融(その他多くの人物)について、どのように表記するか悩んでいます。火扇様の御指摘どおり、「地方軍頭領」では、確かに官軍と民軍との区別が付きにくい難点はありますし、そのことは承知していました。それでも使用していたのは、群雄・軍閥よりは、定義の上で難が少く、民軍の人物をほぼ漏れなく包含できると考えたからです(もし地方政府軍であれば「地方政府軍指揮官」という表現を使おうと考えていました)。

「群雄」は、本来は「多くの英雄」という複数を対象とする言葉であり、群雄割拠という状況を示すならともかく、特定の指導者個人を指す言葉としては難があると思います(現在では多くの人が隗囂・竇融のような人物を表す言葉して「群雄」を使用しているのは確かですが、正しい用法がどうかは検討を要すると思われます)。

また、「軍閥」も本来は清末~民国期の軍人たちが対象で、近現代より昔に割拠した頭領たちを軍閥と表現していいのかどうかは、やはり議論の余地があると思います。日本では戦国大名を「軍閥」と表現する人はほとんどいませんが、隗囂・竇融が軍閥であれば、戦国大名も軍閥と表現可能になってしまうのではないでしょうか。また、別の問題として、軍閥という言葉自体のネガティブな由来-権力を濫用する軍人たちへの批判として使用された言葉-も頭にあったため、私は使用しなかったのです。

しかし、他に適切な表現がありましたら、それに従いたいと思います。ただ、今は「地方軍頭領」で已む無しと考えています。さらなる御提案・御批判がありましたら幸いです。--202.73.90.77 2008年1月19日 (土) 11:51 (UTC)[返信]

たまたま手許にあった石井仁氏の論文『軍師考』(東北大・日本文化研究所研究報告・27号、1991年)では「『軍師』(中略)は後漢末三国時代の軍閥私設職というべきものであり、群雄が名士を自己の陣営に参加させるため既成の官制の枠外に特設した参謀ポストであった」とされています。また、この論文では隗囂・北宮伯玉・袁紹・袁術・劉表・孫権・曹操といった個別の人物を指す呼称として「群雄」「軍閥」の語句が用いられています。
拙文を記するにあたり『アジア歴史辞典』『大漢和辞典』のような権威ある辞典類を参照した訳ではないし、ただ一つの論文をもって「群雄」「軍閥」の語の用法を決するべきではないとは思いますが、乏しい読書経験に照らしても上記のような用法は学術上特に問題はないと考えます(個別の書名を逐一挙げる事はしませんが、前近代中国で各地に割拠した個々の人物を学術論文・著作の類が「群雄」「軍閥」と称する事は普通に行われているように思います。後漢初を扱ったものでは例えば狩野直禎氏『後漢政治史の研究』がそうであったと記憶しています)。
むしろ「軍閥」を清末~民国期の軍人たちに限定する根拠はどこにあるのでしょうか。手許の漢和辞典2種・『広辞苑』(第2版補訂版)で「軍閥」の項を参照したところ、『広辞苑』のみが中国の「軍閥」を民国期の割拠勢力に限定する趣旨で定義しています。上記の通り、現に東洋史学界で前近代中国の割拠勢力を「軍閥」と呼び習わしている事からすれば、『広辞苑』による定義が限定的に過ぎると見るべきではないでしょうか。--219.126.203.36 2008年1月20日 (日) 02:24 (UTC)[返信]
早速の書き込み、有難うございます。
確かに、たとえば波多野善大『中国近代軍閥の研究』(河出書房新社、1973年)は、「軍閥」を「武力を背景にした私的目的追求の集団、またはそれを代表する個人」と定義し、中国史上では、古代軍閥(隗囂、竇融らはこれに当たるでしょう)、中世軍閥、近代軍閥が出現したとしています。しかしそれでも、「軍閥」という用語の定義をそこまで広げて良いのか、という躊躇が私には残るのです。
軍閥という用語が広く用いられ始めたのは、日本では藩閥政治に対して、中国では清末~民国の軍人たちに対して、いずれもその利権集団化・割拠化を非難するためです(中国については、尾形勇・岸本美緒編『中国史』山川出版社、久保亨執筆部分を参考)。また、『大辞泉』・『大辞林』などの辞書も、清末~民国(あるいは民国だけ)の軍人と定義しています。以上から、私は清末~民国が対象であるという書き方をしました。もちろん、波多野の定義によれば、それは隗囂・竇融も該当するでしょう。
あと、その時期的対象よりも、上記のような非難の意味合いが含まれる「軍閥」という言葉を使用するのが、何よりも躊躇となります。ルシアン・パイ(Pye, Lucian W.)も、その著書Warlord Politics(Praeger Publishers, 1971)で、軍閥(warlord)にはpejorative(軽蔑的)な意味合いが含まれていることを認めた上で、読者にpejorativeな意味を持たせないで本書を読んで欲しいとあらかじめ前置きしています。パイ以後の軍閥研究者も、warlordという用語の中立化、代替用語に苦心しています。
少し話はそれましたが、そのような軽蔑的意味合いが由来となる言葉を、隗囂や竇融のような人物に当てはめるのが、私には躊躇われたのです。それに、波多野の定義の「私的目的追求」に該当するかどうかも気になるところです。「群雄」については、やはり複数の人物を対象とすべき、という考えに変わりはありませんので略します。--202.73.90.77 2008年1月20日 (日) 02:53 (UTC)[返信]
リーダーズ英和辞典で、warlordを引きますと、軍の司令官、将軍、《特定地域の統治権を握った》軍指導者、軍閥、<昔の中国の>督軍(tuchun)とあり、《特定地域の統治権を握った》軍指導者の意味なら、確かに隗囂や竇融を指すには適切だと思います。またそれがpejorative(軽蔑的)と言うは、群雄や軍閥の類が、覇者や統一政権に対しては一段低めに扱われるのと、同じような気がします。ですから軍閥というのは妥当な表現ではないかと思います。群雄のほうですが、確かに複数形ですが『秦漢帝国』西嶋定夫(講談社学術文庫)では「群雄たち」と書いた所があって、「群雄」で単数扱いすることもあるのだなと思いました。群雄という言葉を複数形として隗囂・竇融に使うなら、「隴西に勢力を張った、新末後漢初の群雄の一人」「河西に勢力を張った、新末後漢初の群雄の一人」という表現にすれば良いと思います。何より軍閥・群雄の方が地方軍頭領より一般的です。辞書を引けば載っていますから。地方軍頭領はこれをどこかで説明する必要があります。--火扇 2008年1月20日 (日) 11:57 (UTC)[返信]
202.73.90.77さんのお考えに根拠がある事は諒解しました。その根拠がどれほど強固かという問題は残るかと思いますが。
以下はご参考まで。
google検索結果の件数はもとより学術的な正しさを担保するものではありませんが、ある語句がどの程度通用しているかを判断する目安にはなろうかと思います。例として「後漢 ○×」をキーワードとしたgoogle検索結果の件数を示します(カッコ内は中国語版の検索結果)。
「後漢 軍閥」 の検索結果      約12,000件(約45,500件)
「後漢 群雄」 の検索結果      約20,400件(約39,000件)
「後漢 地方軍頭領」 の検索結果 約1,250件(約4,280件)
日本語版・中国語版のいずれにおいても、「後漢 軍閥」・「後漢 群雄」の検索結果には複数の割拠勢力の総称を指すものと個別の勢力の首領を指すものとが見られます。他方、「後漢 地方軍頭領」 の検索結果のうち、熟語としての「地方軍頭領」を含むものは202.73.90.77さんが執筆されたWikipediaの記事が日本語版でヒットするのみであり、あとは「後漢」「地方」「軍」「頭領」の各語句をバラバラに拾ったものに過ぎません。
「軍閥」「群雄」を前近代中国の割拠勢力の呼称とする事は、 「地方軍頭領」と呼称する事や「行○×事」を「○×事務取扱」と訳出する事よりは一般に通用するものと思料します。--219.126.203.196 2008年1月20日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
火扇様、219.126.203.196様、ありがとうございました。
確かに一般的な用語をもちいた方が宜しいかと思われますので、「地方軍頭領」は変更したいと思います。ただ、「軍閥」はやはり、pejorativeな意味合い(パイの言うpejorativeとは、「軍閥」が覇者や統一政権より一段下という意味ではなく、武を担う人間(軍人)が割拠し政治を左右することへの非難を意味します。中国は武が文より下位にあるという伝統を踏まえてのものです)への懸念、近現代の軍人を対象とすべきではないかという考えが払拭できないため、火扇様のおっしゃる「群雄の1人」を使用したい、と考えています。
特に御2人に御異論が無ければ、私の方でそのように修正いたしますが、いかがでしょうか?--202.73.89.70 2008年1月20日 (日) 13:44 (UTC)[返信]
異存ありません。--219.126.200.49 2008年1月20日 (日) 15:05 (UTC)[返信]
異存ありません。--火扇 2008年1月20日 (日) 22:03 (UTC)[返信]