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ノート:桂田芳枝

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初版投稿者です[編集]

桂田芳枝#関連文献に挙げました『桂田芳枝博士小伝 エルムの森に咲いた数学の精』(NCID BA76657990)は、手近な図書館に無く、古書店でも発見できずにおります。貴重な評伝と思われますので、どなたかお持ちでしたら、こちらの書を用いての加筆修正、歓迎です。よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2020年9月18日 (金) 12:10 (UTC)[返信]

WikiGapイベント[編集]

本記事は2020年9月26日開催、WikiGapイベント 東京2020で編集中です。短時間で複数の編集が行われますが、どうかご了承のほど、よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2020年9月26日 (土) 02:23 (UTC)[返信]

国際数学者会議講演歴[編集]

人物セクションで、国際数学者会議での講演のエピソードが書かれています。

業績に関することとしてではなく、人柄を紹介する説明文ではあるのですが、数学者の栄誉としての国際数学者会議の講演というのは招聘されて行う Invited Speaker 招待講演者か Plenary 全体講演者のことを指し、発表者が申し込んで行う一般講演や連携して行われるセミナーでの発表を話題にすることは通常ではありません。

ハインツ・ホップについては1932年招待講演、1950年全体講演という講演歴で、これはもう超一流の数学者である証ですが、1958年と1962年にはホップも桂田先生も招待講演を行ったという記録はないので、この話題は一般講演の話になると思います。ちなみに招待講演の場合は実際に講演が行われなくても記録としては残されます。

確かに招待講演とは書いていないので、決して間違った記述ではないのですが、誤解を招きがちな表現なのではと思います。--G3Copier会話2023年6月11日 (日) 12:04 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。出典元を確認しましたところ、リンク切れでしたので、こちらのアーカイブの1ページ目の「1958年」から「見ることができます」までになります。数学者のことは不勉強で申しわけないのですが、「桂田芳枝氏は国際数学者会議で講演するような人物でないにもかかわらず、あたかも講演するような記述に見えかねない」、ということでしょうか? 仰るように業績でなく人柄の説明のための文章ですので、単に「1958年の国際数学者会議を体調不良から欠席した際には」、もしくはもっと端折って「1958年の体調不良の際には」「1958年に体調を崩した際には」くらいに留めた方がよろしいでしょうか。投稿記録を拝見しますに、数学者にお詳しい利用者様と存じますが、他にもっと良い文章表現をご存じでしたら、伺いたく存じます。よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2023年6月11日 (日) 20:34 (UTC)[返信]
桂田先生の経歴を拝見して、存じあげなかった方ですが立派な業績をお持ちの女性数学者がいらっしゃったのだと感銘を受けています。
>桂田芳枝氏は国際数学者会議で講演するような人物でないにもかかわらず、
そんな失礼なことは考えていませんが、ICM招待講演歴というのは数学者の世界では分野をまたいで国際的に認知されているか否かの線引きで、ホップのように全体講演歴があれば殿堂入りレベルの数学者とみなされます。数学史の本を見れば誰が講演したか列記され、ネットでも検索できるようになっていて、存じ上げなかったのに2度の招待講演歴のある女性数学者がいらっしゃると勘違いする人が出ればかなりシビアにチェックされます。
ちなみに日本の女性数学者で過去にICM招待講演を行ったのは今のところ緒方さんお一人だけのはずです。
さて、語感レベルの問題になってしまいますが、例えば国内でも学会で「講演」したというと、特別講演や招待講演のイメージが強いです。通常コマでの一般Speakerの場合は日本語的には「発表」したと表現するケースが多いと思います。
「講演」ではなく「発表」か「研究発表」としてはいかがでしょうか。
「国際数学者会議での発表」と書いてあれば、招待講演や全体講演と混同されることはないと思います。
p.s. 改めてリンク先を拝見しましたが、元記事でも「講演」とは書かず、「発表」と書いてありますね。--G3Copier会話2023年6月12日 (月) 03:32 (UTC)[返信]
「講演するような人物でない」はちょっと言葉が過ぎましたね。失礼いたしました。さて問題視されているのは「講演」の語感ですので、人物節
「1962年8月のストックホルムで行われた国際数学者会議での様子を、現地に行った数学者の矢野健太郎は、「桂田さんは女性なので、晴れの場所であがってしまって、うまく言えないといけないというので、この講演の代読をホップ先生にたのまれた。ホップ先生は最初にその旨を言われて、非常に楽し気に、また非常に上手に、愛弟子の仕事を説明された」と、師弟の仲睦じい様子を述べている。」
ですね。この一文、初版時点では記述が無く、後から加筆された箇所ですので、ノーチェックでした。出典の『数学セミナー』第1巻第8号を確認したいところですが、あいにく手近な図書館に蔵書がありませんので、確認に少々お時間をいただきたく存じます。出典の方で矢野健太郎氏が実際に「この講演の代読をホップ先生にたのまれた」と述べているようでしたら、WP:引用要件に「原則として被引用文は改変できません」とありますので、引用内容(括弧内の矢野氏の台詞)の「講演」を「発表」に置き換えることは憚られます。講演・発表に関する箇所には引用を用いずに
「1962年8月のストックホルムで行われた国際数学者会議では、芳枝は緊張から、発表の代演をハインツ・ホップに依頼した。現地に行った数学者の矢野健太郎はその様子を、「ホップ先生は最初にその旨を言われて、非常に楽し気に、また非常に上手に、愛弟子の仕事を説明された」と、師弟の仲睦じい様子を述べている。」
……といったところでしょうか。--逃亡者会話2023年6月12日 (月) 11:52 (UTC)[返信]
良いのではないかと思います。
会議の参加者も招待講演者も少なかった時代には一般の講演(発表)もそれなりにあったのでしょうが、現在のように会議が大規模化するにしたがって講演≒招待講演となってしまい、招待講演・全体講演・各賞受賞講演以外は国際数学者会議本体ではなく、平行して開催される分野別の連携集会での講演・発表というのが普通になってきています。
矢野健太郎が「講演」と書いているのであれば、60年前には招待講演と混同される可能性は少なかったのでしょうが、今日では誤読されやすい書き方になると思います。北大の記事の方は比較的新しい記述なので混同を避けているのではないでしょうか。
暗に「本来ならICM招待講演2回の女性数学者が業績を無視されている」という主張が入っているという誤解が発生しなければ問題ないです。--G3Copier会話2023年6月13日 (火) 08:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。出典の確認が完了しました。矢野氏の台詞は出典上で確実に「講演」でしたので、上記の通り表現を変更させていただきました。--逃亡者会話2023年6月20日 (火) 12:36 (UTC)[返信]