ノート:栢野大杉

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

天皇に係る動詞について[編集]

本文の栢野大杉#現在の節中、昭和天皇が大杉を「ご覧になった」とあり、コメントで「視察の視も見る、察は調べて見ると漢和辞典は言う、植物学者として視察見学もあろうが、ここは天覧の由来も含め、「ご覧く下さい」など、上下関係無く使う言い方である。またこの巡幸は視察ではない。」とありますが、これはいかがなものでしょうか?確かに「覧」の字義上の意味には尊敬のニュアンスは無く、中立的なものなのかも知れませんが、日本語としてこの字を「ご」と「になる」で挟んだ場合、尊敬語の表現になってしまうのは言い訳のし様の無い所ではないかと思います。ためしに手元の辞書を引いてみました。

広辞苑(第四版) - 「御覧」
1 「見ること」の尊敬語 2 「御覧なさい」の略(用例の引用は略。以下同。)
goo辞書 - 「御覧」(底本は大辞林)
1 見ることの尊敬語。 2 「ごらんなさい」の略。
―になる (1)動詞「見る」の尊敬語。 (2)補助動詞的な用法。動詞の連用形に「て」の付いた形に付いて、「…てみる」の尊敬語として用いられる。
Yahoo! 辞書 - 「御覧」(底本は大辞泉)
1 「見ること」の尊敬語。 2 「御覧なさい」の略。

…まあ、どれを見ても、第一義的な意味に「尊敬語」のニュアンスが含まれてるわけで、中立を旨とするWikipediaに相応しくない用語と思います。

では具体的にどういった用語に替えるか、ですが、「…ご覧になったことから…」の部分を「直訳」すれば「みたことから」ないし「見学したことから」になりますよね。「中立」ということではこんなもんでいいと思います。

その後にある「仰せになる」も同様に指摘します。「仰せ」の用語も、Yahoo!によれば「目上の人の「言いつけ」「命令」の尊敬語」との事です。これも「言い」とか「指示し」あたりの用語に置き換えて差し支えないかと…。いづれについても、反対が無いか合意を得られれば書き換えたいと思います。--寶馬山 2008年2月6日 (水) 15:43 (UTC) --(一部加筆)寶馬山 2008年2月6日 (水) 23:32 (UTC)[返信]

反対または保留希望です。元記事を書いた者です。どれを見ても、第一義的な意味に「尊敬語」のニュアンスが含まれてるわけでと言ってますが、少々言い過ぎでと思います。日本には尊敬語と言うものがあり、それを日本語として記述することは日本語の言葉としての文化を失うことでも有ります。一方、Wikipediaは発生した米国ではどうなっているのか英文版で聞いてみます。当世、言葉の乱れが言われる昨今、慎重を期すべきでしょう。中立であることには反対しませんが、日本向けではなく、世の中に広く受け入れられている正しい日本語としての表記と言う事は言えませんか?。一般の新聞や書籍、会話の中でも頻繁に現われる表現と思います。確かに「尊敬語」の記事の英文版はen:Japanese honorificsとして日本特有のものとされてはいますが、日本と日本語のものであると謳われているわけであり、このような範疇で捉えれば妥当であり、日本語として妥当と言うことにもなると考えます。またこの一件は記事の問題ではなく、天皇に関する表記の問題でもあり、此処での議論に留まらず広く意見や賛否を募りたく考えます。--Namazu-tron 2008年2月7日 (木) 00:47 (UTC)[返信]
en:Honorific敬称も参考に広く、日本語表記として考える必要も有りましょう。--Namazu-tron 2008年2月7日 (木) 01:29 (UTC)[返信]
まず「敬称」についてですがWikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#敬称にガイドラインがあります。曰く、敬称を付せられている事実を紹介する分には問題ないが、本文中で敬称は用いない…と。
「たとえ中立を旨とする百科事典であっても、日本人の手で日本語で作るのであれば、皇室に最低限の敬意は表すべき」との論旨を発端にした敬称にまつわる議論は、すでにいくつかの記事のノートページでなされていますが、これに関しては中立性の問題から否定されているようです。ノート:昭和天皇#敬語・敬称の使用ノート:徳仁親王#敬語表現について、それにこれらの節からのリンク先をご参照ください。「尊敬語表現」のみを対象にした議論というのは無かったと思いますが(敬称との問題でセットで議論されている部分はある)、これらの議論から導き出せる方向性を敷衍していけば、この問題に関してもおのずと結論は導き出せるものかと思います。上記の議論と、Wikipedia:中立的な観点なども併せてご覧下さい。その上でなお「皇室のメンバーに対する名前や言動には敬称/敬語を付けるべきだ」とお思いになるようでしたら、しかるべき方法でWikipediaのコミュニティに提案し合意を得るべきでしょう。
新聞や書籍などのメディアでの用例を根拠に「世の中に広く受け入れられている正しい日本語としての表記」を尊重せよとのことですが、ではあなたは他の(Wikipedia以前からある紙製の)百科事典や学術的な論文等での用例をご覧になったことはありますでしょうか?おそらく、これらのうちのどれでも、皇族や当代の天皇の名前や言動に敬称・敬語は用いられていないはずです。性質の違うメディア間での比較にそもそも意味があるのかという疑念もありますが、Wikipediaは新聞でも書籍でもなく、中立的な観点を重んじる百科事典ですので、百科事典執筆上受け入れられている表記をより重視すべきでしょう。日本語文化の問題(そもそも、日本語を用いる際はどんな場であっても皇室に対す敬語を用いる、という文化を、私は寡聞にして存じ上げませんが)とは、全く別問題です。--寶馬山 2008年2月7日 (木) 04:47 (UTC)[返信]
皆様、左をご覧ください、あれが近年天皇制を容認しているK党のビルです』とバスガイドが言ったとして、これは尊敬語であっても通常の表現です。貴方も過去の皇室に関する過去ログを当方に対してご覧くださいと言っても奇異な表記ではないものです。親が子に『良く考えてご覧』とさえ言います。参照する過去の敬語の議論でも賛否両論です。当方は決して尊敬すべき人として『ご覧』とした訳ではありませんし、一般の用法としたまでです。恣意的中立性を訴えていると考えられなくも有りませんが、ここは恐らく永遠の議論となるでしょう。元記事の編集者の意向として『遊覧』と訂正しましょう。但し、日本語特有の表記を事典であっても失うべきではなく、まだ無味乾燥の科学事典でもなく、この部分に関しては人文、文化に関する事柄と解します。譲歩して遊覧と訂正後も日本語の表記として必ずしも適切なものではないとの気持ちは変らないことだけは言い残しましょう。--Namazu-tron 2008年2月7日 (木) 11:26 (UTC)[返信]
バスガイドの喩えについていえば、これは「お客」に対する尊敬表現であり、親から子の喩えについてもYahoo!辞書に解説があり、尊敬・丁寧の意味が含まれているとあります。奇異な表現だから改めようといっているわけではなく、Wikipediaの編集はあくまで中立的な立場で行われるべきであり、今回の様な伝記的な記事で、誰の言動に対しても敬意を抱く(= 特定の視点に立つ)様な表現をすべきではないのです。「無味乾燥な科学事典」とおっしゃいましたが、本項目のような場合は「社会科学の事典」それ以上でも以下でもなくて構わないのではないかと思います。私も100%納得できるという訳ではありませんが、当面の落としどころとしてご提案に賛成します。
…その上で一言よろしいでしょうか?Wikipediaに投稿される記事はGNU Free Documentation Licenseというライセンスを了承した上で投稿される事になっています。即ち、編集画面の下の方にあるとおり「あなたの文章が他人によって自由に編集・配布される」ことを了承するという事です。あなたのご意見に「元記事の編集者の意向として」とありましたが、一度Wikipediaに投稿した以上、誰の意向もそこに留保させることはできないということをご確認ください。その上で、編集方針に対立があった場合はノートページなどで合意を形成していく…ということになっています。既に色々なノートページにも投稿されているので、ご存知とは思いますが念のため…。。Wikipedia:記事の所有権も併せてご確認ください。--寶馬山 2008年2月7日 (木) 12:45 (UTC)(署名忘れにつき付加)[返信]
今朝ほど数時間前にWikipedia:井戸端#Wikipediaにアップロードした画像がウィキメディア・コモンズに勝手にアップロードで共通資産であると書きました。ご覧、ご一読ください。GNU Free Documentation Licenseの記事の全ての文言を掌握はしていませんが、この思考をも忖度していることは当方も確信しています。言ったように永遠の議論であろうし、出典を要する案件でもなく、また修正の権利を失っている訳でもなく、いち早く決着させたものです。心情的には長々と議論すべき案件で無いと感じ居るものでも有ります。--Namazu-tron 2008年2月7日 (木) 12:56 (UTC)[返信]