ノート:柳原白蓮

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「誕生」節の「東京府麻布桜町付近」との記述について[編集]

※つかぬ事を質問します。 『誕生』の項目で『東京府麻布桜町付近』とありますが、 これは『東京市麻布区桜田町』の間違いではないでしょうか?。 古い地元民として、 麻布区で『桜町』という町名はあまり聞いたことが無いと思うのですが。 『桜田町』であれば、 現在の西麻布3丁目の桜田神社を中心に六本木6丁目にかけた一角ですが。--以上の署名のないコメントは、175.179.136.244会話/Whois)さんが 2014年5月6日 (火) 06:49 (UTC) に投稿したものです(小者会話)による付記)。[返信]

「麻布桜町」は参考文献「柳原白蓮」の記述そのままなので詳細は存じませんが、「東京市」は明治22年以降の制定なので、明治18年生まれの白蓮の生誕地には使わないと思います。--小者会話2014年5月6日 (火) 08:21 (UTC)[返信]

→→ご回答ありがとう御座います。  ちなみに、NHK「花子とアン」の14/05/10放送分では、白蓮さんが24歳の時の実家の住所が「東京市麻布區櫻町一〇五番地」となっておりました。町名はご指摘の文献にしたがったものと推測します。また麻布区内で3桁の番地は珍しいので番地はフィクションでしょうか。  →→「今昔マップ」で明治42年の地図(かなり不鮮明)が閲覧できますが、やはり「櫻町」という町名は麻布区内には見当たらないようです。余談ですが、14/07/22放送分では、白蓮さんが出奔した先のアパートが「四谷区四谷南町3-61-201」となってました。「今昔マップ」の大正8年の地図を見ると、現在の信濃町駅の北東側の線路沿い(現在の南元町の一部)が大正時代に限って南町と呼ばれたようで、これが該当するように見えます。

鹿児島本線ではなく・・・[編集]

本文中に、「別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて鹿児島本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。」とありますが、別府から小倉に列車で行くのであれば、むしろ日豊本線ではなかったのでしょうか?  橋口孝志

柳原の読み方[編集]

2016年2月22日、林真理子さんが札幌で 白蓮の命日にちなんだ講演をされました。 その際、 ウィキペディに「やなぎわら」と出ているので 宮崎蕗苳さんに直接確かめたところ 「母は、ずっと一貫して”やなぎはら”と発音していた」と話されました。 訂正が必要ではないでしょうか。

札幌のmic--Sese1181会話2016年2月25日 (木) 04:16 (UTC)[返信]

上げられている参考文献を確認していただければ分かると思いますが、宮崎蕗苳さん監修の本、白蓮自伝でも読みは「やなぎわら」で統一されてます。本人が日常で使っていた読みと、正式に書籍で表記する場合が異なるという事だと思います。ウィキペディアは「聞いた話」では出典になりませんので、あくまでも参考文献・出典に基づいて記述を行います。--小者会話2016年2月25日 (木) 14:42 (UTC)[返信]