ノート:松永貞徳
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「永種は松永久秀の子であった」説の出典が「孫ではない」内容で合わず変で説を除去したい
[編集]説の出典が、「新村出『林道春及び松永貞徳と耶蘇会者不干ハビアン』(大正12年)貞徳が永禄年間に於ける耶教の京畿伝播に関せし松永久秀其人の孫なりといへる説の謬(あやま)れることは、曽て藤井紫影博士の指摘せられし所によりて明かなる」と本文の内容と逆転し違うものが出典になっている。また内容も大正時代の物で古く、今は、すでに1980年代に系図の人物の存在が証明され貞徳の家譜が事実だと検証されている(金松誠『松永久秀』戎光祥出版 2017年)。また貞徳は「永種の祖母妙精を久秀の伯叔祖母(大おば)で入江家に嫁ぎ、永種はその孫で久秀のまたいとこ」だと家譜系図で示し「永種が久秀の子だ」とはしていない。この「永種は松永久秀の子であった」説を誤った出典ごと除去したい。--奈良たかし(会話) 2019年5月23日 (木) 06:22 (UTC)
賛成 出典がないうえに編集合戦になっているわけでもないので、投票なしで削除して良いレベルだと思います。--Gibbon(会話) 2019年6月20日 (木) 13:04 (UTC)
- コメント 「そのような説がある」ことについて一応の出典を提示するとともに、冒頭部から下げて「出自」節を設け移動しました。
- 「あの久秀の孫が貞徳で」というのは、現代の戦国オタクとして(歴史読み物なりネットの話題なりで)聞いたことのある話ではあります。大正時代にはすでに「松永久秀の孫であった」という説が流布していたというのであれば「由緒ある謬説」であります。同時に、大正時代にそれを誤謬と示す人がすでにいたにもかかわらず誤謬が現在も人名辞典で継承されている点では現在も生きている「説」でもあります。「説を除去する」よりは「そのような説は誤りである」ことを示す方がよいかと思います。たとえば北条早雲が伊勢の素浪人であったとか、斎藤道三が油売りから一代で身を起こしたであったという「よく知られていた説」が誤謬であるからといって、説についての言及を除去するのがよいとは思いません。
- ところで奈良たかしさんは「永種の祖母妙精を久秀の伯叔祖母(大おば)」とする出典を引きながら、記事本文では「祖母が久秀の叔母で、久秀の甥子」と記されておられます。出典にあたっておりませんので手をつけずにおりますが、適宜ご訂正をお願いいたします。--桂鷺淵(会話) 2019年9月24日 (火) 13:08 (UTC)
- 出典からの「伯叔祖母(大おば)」に修正しました。他はそのままとしました。--奈良たかし(会話) 2019年11月24日 (日) 08:49 (UTC)