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ノート:東山道武蔵路

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支道について

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本文に「新田駅と足利駅とを結ぶ短縮経路が確立されることになり、武蔵路は事実上支道となって地位が低下することになる。」とありますが、上野国府←→武蔵国府、下野国府←→武蔵国府を結ぶ主要道であったことには変わりなかったはずですが、「支道」になったというのはどういうことでしょうか。あと、できれば地図があると説明しやすいですね。 --忠太 2007年7月31日 (火) 11:07 (UTC)[返信]

「支道」の意味は、東山道全体から見た場合の支道になった、ということです。元々官道はその道が属する国々の国府を通るのが建前でしたが、地形の関係上そのままでは通れず、途中から支道を出して対処している場合も随分あります(東海道の甲斐国、山陽道の美作国など)。この場合は主要道なのは変わりませんが、どうしても本道とは区別された存在になってしまいます。

この武蔵路の場合は本来なら支道にしてしまうところを、東山道自体をねじ曲げて本道の一部として開設するという不合理な状態だったので、新田〜足利間の直通路が出来た時点でそっちが本道になることになり、武蔵路も他の国の場合に則って本道から支道の扱いになったと考えられています。「支道」になったというのはそういう意味での記述です。

あと地位の問題ですが、言われて気づいたのですが「低下」は言い過ぎですね。実際に『延喜式』兵部省の項には支道の駅も載っていますし、『続日本紀』での奏上文から考えてきちんと太政官など中央も駅を把握しているようです。本道から支道だといかにも降格のようですが、官道なのは変わらないので、これは表現を修正しておきます。

それと地図ですか。私も必要を感じていますが……。一から関東地方の地図を書くのは困難なので、フリーの素材を探して来てぐりぐり駅路を書かないといけませんね。時間がかかりそうですが何とかしてみます。MasakiTomasawa 2007年7月31日 (火) 12:39 (UTC)[返信]