ノート:東大阪電気鉄道

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田中義一内閣が張作霖爆殺事件の責任と、鉄道敷設に対して積極的である一方で地方において「我田引鉄」のような政財癒着を行っていた事が発覚したため、総辞職する事になった1929年6月に、その田中内閣の下で鉄道大臣を務めていた小川平吉により、畿内電鉄・奈良電気鉄道大阪延伸線・東大阪電気鉄道などといった鉄道敷設計画に対し、阪神東部延伸線(1931年に却下)など一部を除いて、殆ど行きがけの駄賃というべき様なことで免許が交付された。

↑修飾関係が分かりづらい文章ですが、田中内閣瓦解と"「我田引鉄」のような政財癒着"とは無関係です。発覚したのは倒閣後のことです。