ノート:暴力の独占

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>>Hollywood氏 記事の中に個人的な感想を書きこんで記事やすでに付されている出典まで否定し「要出典」まで付けるというのは如何なものでしょうか?(もちろん好ましくないという意味で)。英文/独文ソースは英語版/ドイツ語版Wikipediaでご覧下さい。--以上の署名のないコメントは、Voter K会話投稿記録)さんが 2010年11月20日 (土) 11:19 (UTC) に投稿したものです(彼方陣による付記)。[返信]

私でないですけど…。キチンと履歴を確認されますよう。--Hollywood 2010年11月20日 (土) 11:22 (UTC)[返信]

ウェーバーの『職業としての政治』(世界の大思想3 ウェーバー 政治・社会論集 河出書房新社)に「暴力装置」という語が見当たらないため、要出典を追加しました。以下の各国語版も確認しました。 ドイツ語版: http://www.textlog.de/weber_politik_beruf.html 英語版: http://www.ne.jp/asahi/moriyuki/abukuma/weber/lecture/politics_vocation.html 唯一、「暴力装置」として訳せそうな語に"Gewaltapparats"という語が宗教社会学にあります(http://www.textlog.de/7947.html )。(英語版では"apparatus of force")しかし、これはあくまで宗教と政治権力が手を取りがたいという文脈で使われており、国家の定義や暴力の独占というテーマとは異なっています。しかも日本語訳では「真に宗教的な徳は、つまり妥協のない合理的倫理や無世界論的同胞愛は、政治的な権力機構の内部ではその場所を見出しえないものであるという原理的な考え方なのである。」(強調は引用者)(宗教社会学 創文社 p.358)となっており、暴力装置とはなっていません。もし他著書で出典をご存知の方がいれば、教えていただきたいです。また、日本だけで使われている表現ではないかという懸念もあります。--Takezawa takuma 2010年11月21日 (土) 17:43 (UTC)[返信]

まだ本文に記述できるレベルの裏付けが無いので編集しませんが、どうも、レーニンの著作が1917年、ヴェーバーの著作が(早くて)1919年なので、レーニンが言った「暴力装置」に対するレスポンス(「反論」と言うよりも「反応」?)としてヴェーバーが言った、という構図も認められるようです。今後も資料を当たってみますが、これをご覧になっている皆様におかれましても、ご協力を宜しくお願い致します。--Hollywood 2010年11月21日 (日) 04:41 (UTC)[返信]