ノート:日本型社会主義

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出典要求についての解説[編集]

2015年11月14日 (土) 16:51 (UTC)における出典要求について、差分を見ればその真意は一目瞭然であろうとは思うが、念のため解説しておく。

参考文献が2つばかり示されているのみで、脚注が全く存在しないことは、記事の長さを考えれば大問題である。また参考文献のほうも、2つのうち1つは「日本型社会主義」ということばを生み出した張本人(と、記事中では紹介されている)の著書であり、すなわちこれは一次資料であるからWikipediaの出典としては推奨されない。

出典が付されていないのは記事全体について言えることだが、とりわけ私が問題視したのは次のような独自研究まがいの表現だ。

  • 「~と批判されている」
  • 「~と評価されている」
  • 「~とされている」
  • 「~と言われている」

一般に、出典の無い記事に対する対応は、記事冒頭にテンプレートを一貼りすればそれで十分だと認識している。しかしこれだけ「危うい」表現が勢ぞろいの現状では、ただ記事全体について指摘するだけでは足りず、具体的に文単位・字句単位で指摘すべきと考え、そのようにした。

要出典タグを張った記述の中には、ひょっとしたら専門家の間で論争の余地がないものもあるかもしれない。しかしだとしたら、それを述べている出典が2つしか挙げられないはずはない。「従来の日本型経済体制は終焉を迎えたとされる」とか「いわゆる会社主義もかなり崩れている」とかいう主張は、たとえ学問的には疑いなくても、現時点ではあくまで名もなき執筆者の主観的評価もしくは単なる感想とみなすしかない。

なお、私自身は「日本型社会主義」に関しては全くの素人であることも追記しておく、その必要はおそらくないだろうけれども。--核青会話2015年11月14日 (土) 18:27 (UTC)[返信]

  • おおよそ同感です。「日本型社会主義」は論者がめいめい自己の主張を補強するために、独自の定義で用いられる「レトリック」であって、社会体制やイデオロギーそのものをあらわす言葉ではないと思います。「レトリック」としての日本型社会主義を説明する記事に換骨奪胎するか、記事自体を削除してしまうのがいいと思います。--210.254.118.97 2018年4月9日 (月) 21:16 (UTC)[返信]