ノート:日本人/過去の議論1、2004年3月26日から2008年2月13日まで。

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個人的意見ではなく、総説ふうに書き足してみましたが、どうでしょうか。手を入れてもらった方がよさそうです。Mishika 05:47 2004年3月26日 (UTC)何で黄色

日本人に似た民族について[編集]

日本人に似た民族は、経験則ではなく学術的に書いて欲しいです。そもそも何をもって似ていると言えるのかよく分かりませんので。容貌なら個人差がありますし、食生活でも大分変わるので、似た民族と言うよりルーツでまとめた方が良いかも知れません。現代日本人の血液型分布を見てもブリヤート人が一番近いと言われ、中国、韓国人は意外に離れていたりします。東南アジアに関しては沖縄と台湾を境にして分布が大幅に変わるのであまり似てないでしょう。弥生期の大陸からの移住ですが、遺伝的に残ったのはブリヤート系の比率が高く、渡来系の比率は意外に少ないと言う説もあります。ついでにブリヤート系はシベリア経由で日本に渡り、そこから逆に韓国南部に移住したと言う説も有ります。中国でも華北に関しては民族大移動が何度も起きているので現代中国人と古代中国人がどれぐらい似ているかも定かではないです。水田稲作の伝播の状況から見れば弥生人は春秋時代の越の亡命者である可能性が高いのですが、最近、日本における水田稲作の開始時期が繰り上がっているので、それ以前に東夷・淮夷などもやってきているかも知れませんし、これをまとめて論じるのはなかなか難しいですよ。Nidarin 16:10 2004年6月16日 (UTC)

民族を規定する3点セット人種、言語、宗教[編集]

日本人の説明として人種的なことしか書かれていないのは寂しいね。一般論として民族を規定するときは人種、言語、宗教というのはセットで語られる。例えば神仏習合やクリスマスやお正月の初詣に見られるような多神教的な世界観を持つことが日本人の宗教観の特徴だ。もちろん日本には1%のクリスチャンをはじめそれに該当しない人が大勢いる旨は書かないといけないけどね。さらに「日本人」を日本語を母国語とする人という考え方も出来るだろう。日本語で考え、コミュニケーションをすることはそれだけで独自の文化圏を形成するほど特徴的である。これには日本語のルーツや漢字の取り入れ方、カタカナによる外来語の取り入れ方なども交えて書けばいいと思う。あと人種論で言えば、最初に日本人=大和民族と全くのイコールと規定しているいまの書き方は問題だ。もちろん日本人の記述をすればその多くは大和民族のことを書くべきであるが、それとともに少なくともアイヌについて触れるべきだ。現状の「似ている」という書き方は上に批判がある通り。少なくとも根拠が示せない以上「似ていると言われる」と書くべき。民族について「似ている」といった決め付けがいかに多くの誤解を与えたかは少しでも地理を勉強した者なら分かるはず。--Ongogo 2005年5月16日 (月) 16:19 (UTC)

日本人としての自覚の形成は、貴族階級で平安時代頃から、庶民に至ってはさらに遅れて中世、下手をすると江戸時代と言う見解もあります。 少なくとも現代日本人と古代大和朝廷の人々は「同じ」日本人ではありません。古代大和朝廷の人々が現代日本人の重要なルーツなのは確かなので、これを中心に日本人を論ずることに異論はありませんが、過去千数百年の間に征服、あるいは帰化によって多様な民族を吸収して形成されたのが現代日本人です。 日本人を語るときに非大和朝廷の人々に全く触れないでしまうのは、日本人論に大きな誤解を招くことになると思います。 「日本人=大和民族」ではなく、「日本人⊃大和民族」だと言うことですね。 しかしこのように書くと、アイヌ人や琉球人が完全に同化したと言う誤解も与えてしまうので、記述には留意が必要です。

ところで、大和民族と言う言葉ですが、学術的に妥当な言葉なのでしょうか? 大日本帝国時代には現代日本人全体の美称として用いられましたが、字義からすれば奈良盆地かせいぜい関西の人々しか言い表しません。 広く認められた用法ではありませんが、私が学会で発表するときには「大和民族」とは呼ばず「古代西日本人」とか「畿内人」と呼んでいます。この場合、大和朝廷の主な支配領域だった地域の人々と言う程度の意味になります。

日本人の遺伝子[編集]

日本人の遺伝子はYAP+やmtDNA解析から分かる通り、シベリア系の先住民 (すなわちアイヌと琉球ならびに縄文)との関係が深い。朝鮮半島系(弥生)とも関わりはもちろんある。分布としては、5割程度の日本人は何らかの関係を持つと考えられる。しかし東北(青森、秋田、他)など特定地域は縄文の血が強いと考えられる。参考--M 2005年12月18日 (日)

これは学術的に妥当なものでしょうか? アイヌ、琉球、縄文文化人をシベリア系先住民と言い切っているので、とても怪しいものに思えますが。

2005年11月の編集保護[編集]

218.152.112.8&213.83.36.183&212.62.19.185による荒らし([1]&[2]&[3])によって編集合戦が起こり、編集保護となる。--経済準学士 2005年12月2日 (金) 05:11 (UTC)

現代では遺伝的形質(いわゆる人種)は民族の概念において主要な要素として考えられていません。共同体、帰属意識と言語が主要な標識になっていて、その帰属意識の基準のひとつとして「人種」が存在することもある、という位置づけです。基準にならない場合も多いわけです。日本人として概説する項目には人種的特徴への言及はありだと思いますが、民族とわざわざ断っている項目で人種的特徴に言及するのは不適切だと考えます。もう一点は、アイヌは、民族的には日本民族ではありません。アイヌの血を引いているが、民族的に日本人化した人はいます。しかしそれは同化の問題で、アイヌ民族が日本民族と近いとか一部であるということとは異なります。遺伝的に近いのは事実ですが、それは別問題です。すくなくとも、アイヌを日本民族に分類する学術的立場を聞いたことがありません。Clinamen 2006年3月9日 (木) 09:41 (UTC)

ずっと長いこと半保護状態になってますが、そろそろ解除としても良いのではないでしょうか?--TT 2006年11月28日 (火) 16:45 (UTC)

「アメリカのような多民族国家と異なり」と言う書き出しですが、これだとまるで日本が単一民族国家であるかのように誤解をまねきかねないのではないでしょうか?

zh-wiki link is wrong[編集]

This page should link to zh:日本人, not zh:大和民族, because zh:大和民族is link to 大和民族! --202.60.233.7 2006年10月6日 (金) 12:23 (UTC)

Okey, I did it. Thanks for your notice. Bit 2006年10月6日 (金) 14:35 (UTC)

百済人が日本人・大和民族の一部?[編集]

「(これらはいずれも古代日本における渡来であり、日本人・大和民族の一部である)。」と言う記述があるんですが、これはいったい何のことですか? 日本に渡来した百済人が後に日本人を形成する一部となったと言う意味ならある程度わかるんですが、本文の記述だと、まるで古代に「日本人」なる民族が存在していて「百済人」がその一部であるかのように読めてしまいます。 この部分の記述はあらためた方がよくありませんか? 日本人意識の形成は飛鳥天平の時代よりずっとあとのことです。 現代日本人との混同を避けるためにも、古代日本列島の人々を「日本人」と呼ぶのは極力避けたほうが良いと思います。

また、何度か海を渡った百済人の数と当時の日本の人口(推定在住人数)を研究されている方もいます。例えば6~7世紀あたりだと前者(百済人)は多くても1000~1000数百程度に対して、後者の日本の人口はすでに600~700万人というものもあります。時代ごとの数の比も考えず。安易に日本人(もしくは後の日本人)を形成した主流派もしくは大部分であるような印象を与えないようにすべきと思います。-- 61.207.170.201 2007年10月28日 (日) 15:56 (UTC)

単一民族という表現[編集]

Htk5346氏が「日本人は見た目も言語も遺伝子的にも大差がない同一性のある民族であるため、単一民族と捉えられる場合が多い」を「日本人は見た目も言語も遺伝子的にも大差がない同一性のある民族であるため、単一民族と捉える人がいるが、これは厳密には正しくない」と勝手な注釈を加え書き換えていますが、[4] 何が「正しくない」のか意味不明であり、Htk5346氏個人の観点としか思えません。日本という国家が少数民族人口を抱える故にこれを単一民族国家とするのは誤りであるというのは暫し指摘されますが、日本人という民族を単一民族と捉えるのが「正しくない」などという話は聞いたことがありませんし、この記事は国民としての日本人の解説に限定しているわけでもありません。民族としての日本人が「単一」でないと言うのであれば、日本人という民族の存在自体を否定しているようなものです。。--218.222.25.216 2007年4月22日 (日) 01:40 (UTC)

本文をよく読んでください。日本人には国籍的意味、民族的意味、人種的意味があります。該当箇所は人種的意味で述べています。人種と民族を混同しないようにしましょう。日本国という国家内に起源を持つ民族は、大和民族以外に琉球民族、アイヌ民族がいます。だから単一民族というのは正しくないのです。詳しくは単一民族国家を参照して下さい。ちなみに、日本民族に関する内容は大和民族で述べています。--Htk5346 2007年4月22日 (日) 03:22 (UTC)
誰がいつ書き加えたのか知りませんが、そもそも「日本人」は日本国民(japanese national)あるいは日本民族(Japanese people)をさす言葉であって、日本人と呼ばれる「人種」など存在しません。そんな人種が存在すると言うのであれば、それを裏付けるソースの提示を願います。また、「日本国という国家内に起源を持つ」というだけの頓珍漢な日本民族定義についても信頼のおけるソースを提示するように。意味不明な電波定義を元に「正しくない」などと勝手な素人判断を書かれては困ります。--218.222.25.216
単一民族国家という言い方は正しくない、というのは、国家が単一の民族からなっているのではない、ということであって、一つの民族が「単一・純粋」でない、という意味ではないのは当然で、その点の誤解がまずある。というか、その伝でいえば、単一民族国家という単語はを「単一民族」+「国家」と区切って、「単一民族」なんて変な単語を作ってしまったもとの記述がおかしい。そんな言葉はありません。つぎに、下の節で議論になっているが、「日本国は民族的な同質性が高いので、完全に単一ではありえないが、ほぼ単一の民族からなっているという意味で、「単一民族国家」という用語は不適切ではないのではないか」という類の議論。しかし、「単一」と「圧倒的に多数派である・同質的だ」はやはりかなり違う。誤解を招く表現を使わなければならない理由はない。だいいち、同じような同質性の高い国家というのはヨーロッパの国家だって、フランスはフランス人が多いし、イギリスはイギリス人が多い。バングラデシュ(ベンガル人)や韓国だってそうです。しかし通常そんな言い方はしない。それは、日本が日本人しかいない、町にいる他民族はすべて旅行者・訪問者という誤った先入観があるわけで、単一民族国家という言い方が、そういう概念を前提にしていないとは到底いえない。--Clinamen 2007年5月18日 (金) 06:45 (UTC)
日本人のルーツの項目を民族としての日本人としてのルーツととらえ、単一民族云々は別項目を作り、そこから単一民族国家へ誘導することにしました。。Clinamen さんの指摘するように単一民族という書き方はおかしいと思いますし(特に百科事典としては)、単一民族が単一民族国家へ転送されていることからこのようにしました。--ベーグルベーグル 2007年5月27日 (日) 08:57 (UTC)

単一民族について触れた意図[編集]

人類は長い歴史の中で移動をし、その中で社会や国家をつくってきました。ですから厳密に言えば、純粋に100%均質な遺伝子を持つ民族など通常あり得ません。しかしそれでも、民族という区分を設けています。その区分や定義と言うものは主観や感覚を元にして規定するほかありません。どんな領域でもそうでしょう。 日本民族(または大和民族)という分け方が確立しているかは別としても、感覚の中には日本人という民族の概念があります。それはおおよそ明治時代までには住みついて日本人と呼ばれた人々を祖先とし、アイヌ・琉球・中国・朝鮮系はしばしば分けて考える、その後に入国した人々も分けて考える。感覚を元にあえて定義付けすればこのような方向になるでしょう。実際に、それ以外の人々との遺伝的差異などが確認できる事は、人類学等でも明らかになっています。(いい加減な研究ではありません。)

そこで単一民族についてです。極めて厳密な意味での単一民族国家というものは、今日ほとんど存在し得ないでしょう。しかしこれも感覚の中では存在し、用いられています。言い方の良し悪しは別としても、日本国に住んできた集団の大部分は日本民族です。多民族国家といわれる国と比べれば、特定の民族の占める割合が圧倒的です。そのため相対的にみて、単一民族国家という色彩が認められることは多いにあると考えられます。 しかし同時に、長く存在した集団でも日本民族や大和民族でなかったり、同一視されることを嫌う集団があることも事実です。そのことへの社会的配慮、認識上の留意が必要だとして、アイヌ・琉球・中国・朝鮮についての記述を続けました。

中国・朝鮮系は入ってきた時代によっていろいろあってむずかしい。渡来人ルーツは日本民族だけど、新しく入国してから同化したらなんなの?見た目が決定的に違う民族は同化しえるの?とか。あと国籍がどうとかもそうだけど、少し別な話になってくるから。ということでよろしく。言いたかったことは、訂正される前もかなり気を使って書いてたんだよ、ってこと。 というか上の節の人が言ってくれた事と全部同じだね。--61.26.3.200 2007年4月24日 (火) 05:17 (UTC) (履歴より署名追加 KJ達磨

ウィキペディアは百科事典であって社会的啓蒙・政治的喧伝サイトじゃないんだよ。「社会的配慮、認識上の留意」なんて余計なお世話もいいとこ。むしろ、そういう偏向した観点を介在させるのは避けるべきとするのがウィキペディアの編集方針(Wikipedia:中立的な観点)。権威のある学者の研究なりを参照して、ちゃんとソースの裏付けのある解説だけを記してればいいんであって、余計なことはしなくていい。名無しウィキペディアンの「配慮」なんて誰も望んでない。--Saintjust 2007年4月24日 (火) 09:23 (UTC)
その通りだけど、実際にそこらへんを気にして編集されてるから保護依頼になってる。あと、社会的配慮っていうのは余計だったけど、知識や分類上の問題としての留意は必要でしょう。その点に限り触れるのは問題無い。ここまでの流れで、日本人の分類に混同があること自体は認められているし。もし単一民族国家として捉える事に異論無いなら、話は早い。どっちかというと、保護依頼直前に編集した人に反論すべき。--61.26.3.200 2007年4月25日 (水) 02:38 (UTC) (履歴より署名追加 KJ達磨

そのHtk5346氏の履歴を見ると、琉球民族の話で、なにやら強い反発を受けているような。--KJ達磨 2007年4月28日 (土) 19:20 (UTC)

「出典の明記」タグを貼りました[編集]

すでに「独自研究」タグが貼ってありますが、参考資料・外部リンクが記載していないので「出典の明記」タグも貼りました。Penpen 2007年5月20日 (日) 12:55 (UTC)

日本人のルーツ[編集]

書いてある内容として民族としての日本人(大和民族)のルーツだったのでこのような項目名にしましたが、大和民族の歴史の項にもあるのでズバッと削除でもいいと思っています。--ベーグルベーグル 2007年5月27日 (日) 09:05 (UTC)

テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分け[編集]

テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けについて意見のすりあわせを行い、ある程度の統一見解を作りたいと思います。

ご意見をお持ちの方はTemplate‐ノート:Unreferenced/テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けまで。 Penpen 2007年6月23日 (土) 00:03 (UTC)

本件は提案者が無期ブロック措置となったため、既に終了しております。--122.249.118.171 2008年2月13日 (水) 07:52 (UTC)

民族と遺伝子[編集]

民族概念についての誤解があるようです。

民族は同祖の観念を基準のひとつとしてもちますが、客観的遺伝子によっては規定されません。 遺伝的グループと民族の枠が大枠で、外延的に(構成メンバーの重複として)ほぼ一致する、ということは、 歴史的経緯の問題であって、そこから逆に、民族を遺伝によって規定してよい、ということにはなりません。

たしかに、多くの民族は、ひとつの主要な人種から構成されることが多いですが、 それは、その二つを概念的に混同してよいということにはなりません。

民族の紐帯として機能する同祖・同族の観念は、文化的・社会的な観念であり、構成員の 共通信念であって、科学的遺伝の問題とは一致しません。

ですから、日本人というとき、民族というくくりとはほどとおい、こうした、とりわけ人種的な くくりがしばしばとりあげられるという点で、追加した定義です。--Clinamen 2007年10月9日 (火) 03:42 (UTC)

「民族は同祖の観念を基準のひとつとしてもつ」なら、それは民族的分類の定義にに含むべきであり、「同祖の観念」だけ「人種的分類」に独立される必要はありません: "ethnic: 1a. Of or relating to a sizable group of people sharing a common and distinctive racial, national, religious, linguistic, or cultural heritage" (The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.)。そもそも「日本人」などという人種的分類があるなんて話は聞いた事がありません。日本人を人種として扱っている、信頼のおける学術的な出典を出せないなら独自調査の産物です。--61.202.39.3 2007年10月9日 (火) 05:17 (UTC)
血のつながりがあるという信念が民族の成立要素の一つなのであって、血のつながりがあることが成立要素のひとつなのではありません。客観的な遺伝的同質性を「日本人」としてグルーピングするさいの基準として用いるならば、それはすでに民族とは異なる分類です。民族は同類・同族であるという強い共同の信念が、文化の共有とともに社会的に形成されることで成立するのであって、本質的に社会的現象です。物理的・身体的・生理的な現象ではありません。なお、人種的分類といういい方が悪かったのかもしれませんが、要はそういう遺伝を日本人に分類する基準として重く見る、あるいは必要であるという観念が存在する、しばしば非常に強い、ということをいっているわけです。人種的というよりは、人種主義的、のほうが誤解を生まないかもしれませんが。というわけで、そもそも日本人種というものが存在する、というような主張はもとよりしてませんよ。なお、ethnicもnationもpeopleも英語では日常語でもあるんですから、学術ターム以外では,そりゃ普通に人種的な、ばくぜんとしたなになに人みたいな使いかたはします。当然です。しかし、社会科学では身体形質や遺伝という生物学的・生理的な分類とは区別されたものとして使用する定義が確立しています。なんの本を読まれても、どこをぐぐられても、この基本線は容易に確認できると思いますが、わかりやすいところでは、このへん。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000612nation.html
英語でも大丈夫でしたら、ここでも。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ethnic_group
--Clinamen 2007年10月9日 (火) 12:09 (UTC)
当記事は「日本人」です。もし人種的分類としての「日本人」という呼称の概念が存在しないのであれば、その定義を当記事に記載するわけにはいきません。存在するのであれば、それを裏付ける信頼のおける学術的ソースを提示してください。
遺伝子的研究は、「日本民族」とされる人々が実際に同じ集団を祖先として共有しているかどうか、或はその祖先が何処から来たいかなる人々であったのか、を調べるための一手段でしかありません。その限りにおいては、遺伝子的研究は民族としての日本人のセクションにおいて言及すれば十分です。わざわざ独立した第三の定義として提示する必要などありません。
また、人種的分類としての「日本人」概念が存在しないのであれば、これと民族としての日本人概念を「混同」などしようがありません。存在しないものと混同などできないからです。あなたが「二つを概念的に混同してよいということにはなりません」と懸念されるのは結構な事ですが、ソースの裏付けの無い啓蒙活動の類いをウィキペディアに掲載することはできません。--61.202.39.3 2007年10月9日 (火) 12:51 (UTC)
まず、学術的概念として、人種的分類としての日本人という概念があるなどという主張はもとからしていません。また、そのような用法が,適切である、とか、支持できる、という主張も,当然していません。すでに繰り返し述べていますが、「民族」の分類基準として血の共有のような生物学的特徴は使えない、にもかかわらず、「日本人」の多くは、「日本人」の範囲を考える場合において、なんらかの,当人を「日本人」たらしめる、血や血筋、あるいは遺伝的特徴というものがあって、それによって、他と区別される、そう考える傾向が強い。そのことをさして、人種的・遺伝的な「日本人」の概念が、非学術的で素朴な通念として存在する、と述べているのです。勿論、多くの場合、こういう通念をもつひとは、本人は「民族」の分類だと考えがちですから(実際には違うのですが)、現在の私の修正した記述のように、民族としての日本人の場合の「民族」という言葉の理解のしかたの問題、ととらえることも可能でしょう。そういう書き方の方が、日本人という人種が存在するということを主張している、というような誤解を防ぐことができるのなら、それはそれでかまいませんが。--Clinamen 2007年10月10日 (水) 13:12 (UTC)

Clinamenさんは

血のつながりがあるという信念が民族の成立要素の一つ

と言っていますが、それは民族ではなくて氏族 (clan) ・血族 (lineage) などになるのでは?民族は文化的 (ethnic group) または政治的共同体 (nation) だと思うのですが。Bit 2007年10月9日 (火) 23:38 (UTC)

具体的にイメージ可能な祖先ということであればそのとおりです。しかし、何らかの形でその民族と他の民族は血筋が異なる、という通念は、非常に一般的です。(もちろん、これは必ずしも客観的には真実ではありません)そのことをさして、『血のつながりがあるという信念』をあげました。たしかにエスニック・グループは、文化を共有する集団ですが、しかし外から同一の文化を持っているからと観察者が付与した線引きではなくて、そうした信念を紐帯として同族意識が存在して、はじめて民族となるわけです。実際、客観的にはほとんど同一の文化を持っていながら、ふたつの全く異なる民族としての自意識をもって対立している民族というのはそこそこ存在します。文化に加えて、最終的には帰属意識が決定的な要素となる、ということです。--Clinamen 2007年10月10日 (水) 13:12 (UTC)

帰属意識が決定的だというのは私も同じ考えで、同一文化集団への帰属意識は民族の成立要件として確実にあると思いますが、同一血統集団への帰属意識もそうなのでしょうか?ユーゴスラビアや朝鮮のように同一文化を持ち政治的に対立しているのは単に同一ethnic groupへの帰属意識はあるが同一nationへの帰属意識は無いというだけなのでは?Bit 2007年10月11日 (木) 16:03 (UTC)

自分たちが同一の文化集団に属しているという集団的な主観的認識、範囲画定は、人類学者などによる客観的な画定とはかならずしも一致しません。それはnationの場合だけでなく、ethnic groupにおいてもそうです。(とはいえ、ethnic groupはどちらかといえば学術タームとして導入されたものなので、留保は必要で、日本語の民族とは異なる面はあります)また、共同体が別になることによって積極的に異なる特徴の強調・創出もしばしば行われます。クレイグ・カルフーンは種族的な同一性の意識を、「自分たちが同一の民族であると想定することを可能にする」条件の一つとしてあげています。(しかし必要条件ではありません。代替可能な条件としてです)(民族参照)文化的差異は、連続的なものですが、共同体としての切断面は不連続なものです。連続的なものを不連続に区切る以上、そこには、純粋に文化だけではない、他のさまざまな「自分たちを同族であると想定させる」要因がかかわってきます。いま、琉球語などで行われている議論も、そういう文脈で理解できるでしょう。)必要条件としてではなく、代替可能な条件として、しかしほぼつねに随伴する要因として、「成立要素」という表現をしたとお考えください。--Clinamen 2007年10月12日 (金) 03:58 (UTC)

つまり同一血統集団への帰属意識は単なる「しばしば見られる条件」であって、同一文化集団への帰属意識のような民族の成立要件ではないということですか?Bit 2007年10月12日 (金) 19:11 (UTC)

要件という言葉が必要条件や十分条件という意味であるならば、そうです。私は最初から要件であるとは述べていません。しかし、単なる随伴要素という意味でもありません。「それら自体はそれぞれどれも必要不可欠ではないが、つまり他によって代替可能だが、しかしそうした複数の要素のうちの一定以上のものが成立していることは、民族の成立の為の必要条件である」という類のものです。もっとおおざっぱにいえば、成立に有利な環境として働く要因の一つ、ということです。なお、「血を引いているという観念」で私が意味しているのは、モンゴロイドが祖先が同じとか、これはトンデモですが日本ユダヤ同祖論とか、トルコの大トルコ主義に於けるトルコ系民族の観念とか、つまり具体的な祖先や血統の伝承が存在したり、観念できるレベルというよりも、同じ種族、同じ血が存在するという想定のレベルです。ゲルマン系とか、ケルト系とか、例えばボーア人は周囲の黒人集団に対して文化的な集団でもありましたが、人種的な意識というのは、その成立要素として大きく働きました。ですから、氏族とかたとえば「李氏」とか、そういったもののことを想定しているわけではありません。--Clinamen 2007年10月13日 (土) 02:35 (UTC)

そうなると成立要素とは、ある集団が最初に民族としての自意識を持ち始めるかどうかという時に影響を及ぼす要素であって、ある集団がある時点で民族であるかどうかの判定には全く関係がないということですか?Bit 2007年10月13日 (土) 03:18 (UTC)

そうです。ですから、「成立」要素といっています。たぶん、そういうすれ違いなんだろうなあ、と徐々に気がつきました。わたしは、eticな客体的判定基準については、「同族意識」以上の規定は困難であると考えています。(というか、社会科学的は大体そんな感じだと思います。ただ「文化」概念も規定の曖昧な用語ですから、すべての後天的に身につく属性を文化といってしまえば、もちろん、基準は文化の一語で済んでしまいますが、いちおうここでは習俗と象徴体系あたりに限定して理解しておきます。もちろん、nationに対して、外部から研究者側が判定するものとして定義的に導入された用語であるエスニック・グループについては、もうちょっと細かい規定は可能かもしれませんが)そして、その民族に属する人が通常挙げる判定基準・区別の根拠は、その同族意識の主観的理由として、歴史的・政治的文脈によって「選び取られる」もので、社会的に可変的で、しかも必ずしも実態を反映していません。
ただし、本来の文脈の議論との関連で補足しておきますと、にもかかわらず、その民族の自己理解、区別の主観的基準として通念としては、宗教や政治や人種的身体属性、出自(の伝承)は、自他共に信じられ、実際に区別や排除において機能する、という意味では、(学問的・客観的判定基準としては厳密には間違いだが)単なる虚構ではない、ということです。
つまり、
  • 民族の成立時の因子として、また、成立後の構成員のもつ主観的理念として、人類学的な意味での狭義の文化(言語・習俗・価値・象徴体系)に通例含まれないもの、政治・非共同体的な宗教・人種的特徴・出自(の伝承)といったものが含まれうる。
  • これらは、研究者が、実際にその民族に属するかどうかの判定基準として用いようとする、あくまで理念であって実態を反映していないか、あるいはそもそも経験的基準にはなりえない性質のものであるかで、基準としては使えない、つまり学的定義にはなれない。
  • しかし、これらは、まさしく理念として、自他がそう信じることによって、実効的に作用し、そのことによってその民族をその民族として維持・存続させているものでもあるので、単なる幻想や虚構として捉えることはできず、一定の社会的実体を持つ。
というあたりです。--Clinamen 2007年10月13日 (土) 07:04 (UTC)


--Clinamen 2007年10月13日 (土) 07:04 (UTC)

了解しました。丁寧なご説明ありがとうございます。私は初め「成立要素=成立要件」という意味で使っているものと考えていました。(微妙に誤った表現をしている人もいるので) 次に、「成立要素=大抵(全てではない)の場合にそれが成り立つような条件」という意味の造語だと考えました。そして今は上記説明の通りの意味の造語だと認識しています。私が造語するなら「成立要因」でしょうか。しかし思うに、何かしらの独特な概念を説明するためには、造語はしない方が良いのではないでしょうか。「成立時の因子」などのように、複数の既存の単語を使った方が「独特な概念の説明をしているんだな」という意識が聞き手・読み手に起こりやすく、Clinamenさんの仰る「すれ違い」は起きにくいものと考えます。Bit 2007年10月13日 (土) 14:54 (UTC)


日本人=大和民族=日本民族という表記[編集]

何度も「日本人」=「大和民族、日本民族」ということを書き込まれる方がいますが、事実として、アイヌ民族と琉球民族と帰化外国人という少数民族が国内に存在することを否定される方はいますか。大和民族しかいないような表記は、たとえどんな「定義」を出されようと、単純に事実として間違っているのではないでしょうか。それと日本民族という単語の意味する内容についてはいろんな見解があるようです。「大部分が大和民族なので日本民族とも表される。少数民族として、アイヌ民族、琉球民族、帰化外国人が存在する。」というような書き方がベターではないでしょうか(完璧とは言いませんが)。よかったらご自身の立場というよりニュートラル化してどう書くかという観点で、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。--Nativemania 2007年12月18日 (火) 14:12 (UTC)

アイヌ他を含むのは「日本国民」を意味する場合の日本人であって、民族を意味する場合の日本人にはアイヌ他は含まれません。参照ソースである広辞苑でも大和民族=日本民族です。アイヌ他は民族文化を共有しない別個の民族集団です。--Saintjust 2007年12月18日 (火) 14:31 (UTC)

Saintjustさん、お返事ありがとうございます。 確かに広辞苑は参考にはなりますね。でもマイクロソフトのはわざわざ掲載するようなものではないかと思います(とくに第2・第3はあまりにいいかげん・・)。大和民族=日本民族が辞書界の確定事項ならそれで構いませんが、実際のところいろんな意見がありますね。 一番気になったのは、日本人=大和民族の方、つまり「民族を意味する場合の日本人」という分類です。これは日本が単一民族社会であるという前提にたった議論なんですよね。例えば「民族を意味する場合のアメリカ人」とは誰も言いませんが、それはアメリカが単一民族社会ではないからです。日本にもれっきとした少数民族がいるので日本も客観的事実として多民族社会です。違うのは、日本では圧倒的に大和民族が占めている、という割合の問題です。「民族としてのアメリカ人」がヨーロッパ系といえば当然アウトで「民族としての日本人」が大和民族がOKだというのは、単に問題にする人が圧倒的に少ないというだけの違いで、基本的にどちらも不正確でしょう。 民族的に日本人を説明するニュートラルな方法は、上書したように、日本人を構成する民族集団を(大和民族が大部分といって)併記することだと思います。これが問題だという方はいますでしょうか。 ちなみに少数民族を含む概念は国家的分類(日本国民を意味する場合の日本人)だという意味は分かりますが、やはり民族的分類にも関係するわけです。国家的分類のところにも民族を併記してもいいですが、そうしたところで民族的分類で「日本人=大和民族」と書くことの問題はなくなりませんので、あまり意味はないかと思います。--Nativemania 2007年12月18日 (火) 20:49 (UTC)

「少数民族」というのは、ある国家の人口内において少数派である民族のことです。「日本民族」は国家(「社会」)ではありません。民族の内に少数民族があったら意味不明です。
「民族としてのアメリカ人」と言えばネイティブ・アメリカンのことです。別に多数派民族の名前が国名になるという決まりはありません。イタリアドイツ韓国などであれば、日本同様、国名と土着の多数派民族の名前が同じです。--Saintjust 2007年12月19日 (水) 01:29 (UTC)

誰も「大和民族=日本民族」に少数民族が含まれるとは言っていません。また「民族としてのアメリカ人」つまり「アメリカ民族」=「ネイティブ・アメリカン」という話は聞いたことがありませんし、間違っています。USA, Americanという枠組み自体ヨーロッパ人(イギリス人など)がつくったものです。「日本」も「アメリカ」も概念としてまず「国名」ですが、「(国名)人」=「(国名)民族」という等式自体、つまり「民族としての(国名)人」という認識には、(単一民族国家でなければ)無理があります。私はそういう社会通念がないとは言っていません。厳密には不正確な表現だと言っているのです。ドイツ人についてのwikipedia(日本語・英語ともに)でも、通念としての「ドイツ民族」(Germanic peoples: the concept of "Germanic" as a distinct ethnic identity)についてはそれが歴史的にどう形成されてきたかを含めて説明はありますが、「民族としてのドイツ人」つまり単一の「ドイツ民族」が存在しているという記述は回避されていますし、少数民族等への言及など一応配慮されていますね。繰り返しますが、「(国名)人」の内の圧倒的多数が特定民族集団に属しているがために「(国名)民族」という社会通念が強いという事実が明確なケースでは(その通念の形成経緯も含めて)そのように記述することは可能ですが、より客観性をもつ「(国名)人」の民族的説明においては事実としての「(国名)人」の民族的構成を明らかにすることが重要です。このこと自体に異議のある方はいますでしょうか?--Nativemania 2007年12月19日 (水) 08:53 (UTC)

Nativemaniaさん個人が「無理」があると考えようと「厳密には不正確な表現」だと考えようと、ソースの裏付けが無い限りはそのような懸念は考慮するに値しません。ソースがあるなら、その出典を記した上で加筆してください。--Saintjust 2007年12月19日 (水) 09:34 (UTC)

私の提案は個人的判断を載せてほしいということではなく、単に「少数民族」の存在という事実を当該カ所に含めていいですかということです。上ではその提案の趣旨を分かりやすく説明しようと努めました。少数民族の存在についてのソースは山ほどあるのでどうしましょうかね(大和民族の存在についてもソース必要なのかな)。とりあえずそれぞれ専門のページがすでにあるのでそれへのリンクでいいと思います。あとSaintjustさんがせっかく調べてくれたのに心苦しいんですが、なんでも形として「ソース」を示せばいいというものではなく、マイクロソフトの「日本人種」のような学問的にも根拠のないものを「ソース」にあげるとこちら(wikipedia)の信憑性も疑われかねません。これだけ全文掲載になっていますが何か特別理由がなければ他辞書と同様に出典名のみにしておいた方が良いのではないでしょうか。--Nativemania 2007年12月19日 (水) 12:32 (UTC)

上でも書きましたように、ソースの裏付けが無い懸念は考慮するに値しません。名無しウィキペディア編集者の意見は、それを裏付けるソース無しには無価値です。
日本という国家における少数民族については、日本の記事にその解説が既にあります。当記事においても必要であれば、「国民としての日本人」の節でも設けてそこに記述すればよいことです。わざわざ「民族としての日本人」の解説において言及する必要はありません。--Saintjust 2007年12月19日 (水) 14:18 (UTC)

ご自身の分類についてのお考えは分かりますが、すべての人がそれを必ずしも前提としておらず、むしろ事実をもとに客観的に記述するのが安全だと思っています。マイクロソフトのだけ全文掲載している特別な理由はありますでしょうか?一部内容がおかしいので消していただきたいのですが。--Nativemania 2007年12月19日 (水) 15:50 (UTC)

「事実」ではなくてソースをもとに記述してください。ソースの裏付けの無い「事実」は不要です。それと、文献を参照されるなら、その参照箇所(ページ番号)もきちんと明記してください。小熊英二『日本単一民族神話の起源』のどのページに「大部分は大和民族なので日本民族とも表される。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる。」と書かれているんですか? --Saintjust 2007年12月19日 (水) 16:51 (UTC)

Saintjustさんは私が書いたことは無視されているようなので、二人でのやりとりはそろそろ限界かな。私が言っている事実とは、日本に少数民族がいる(日本は単一民族国家ではない)という事実です。Saintjustさんは事実そのものじゃなく同じ文章でそっくりそう表現されていなければいけないかのようにおっしゃってますが、それはご自身が勝手に考えたルールです。しかもご自身は辞書をソースとおっしゃっているわけですが、日本人が単一の日本民族であるという事実そのものを根拠づけているわけではありませんね。私は少数民族の存在という事実を当該カ所に記載する必要があるという趣旨を上できちんと説明してきました。少数民族の存在や単一民族ではないことへの言及は小熊の二つの本のあちこちに出てきますし本全体を通して論述していますので特定のページだけをあげる意味はないと思います。他にも少数民族の存在を言っている資料は無数に存在しますがそれをいちいちすべて書く気はありません。そもそも日本国は法律や判例等で少数民族を認知しています(アイヌ文化振興法など)し、社会的にも少数民族の存在は認知されていると思います(否定されるなら根拠をあげてください)。私は言葉遊びは苦手です。誰かが考えた想定・観念・分類などよりも、客観的事実を記載することが大事だと思っています。--Nativemania 2007年12月19日 (水) 21:15 (UTC)

この記事は「日本人」であって「日本」ではありません。当該箇所も「日本民族」であって「日本国民」ではありません。「日本」の記事では、日本国内に居住する少数民族についてちゃんとふれています。「日本の民族問題」という記事もあります。また、当記事は別に「日本に少数民族はいない」などと書いていません。私も「日本に少数民族はいない」などとは主張しておりません。日本という国家に関する記述において少数民族に言及するのは妥当ですが、民族としての日本人に関する記述において斯様な断り書きは「場違いだ」と言ってるだけです。
そもそも、日本に少数民族がいるかいないかなど、Nativemaniaさん以外誰も問題にしていません。「日本に少数民族が存在しない」などという馬鹿げた主張は、どこの記事でも誰もしていません。明らかにアイヌ他の少数民族が存在するのに、そんなことを問題にすること自体が意味不明です。
ソースの裏付けの無い「必要」は考慮に値しません。「日本に少数民族がいる(日本は単一民族国家ではない)」とNativemaniaさん個人が啓蒙活動したいのであれば、どうぞご自分のホームページでやってください。名無しウィキペディアンの懸念だけで場違いな記述を好き勝手に挿入されては困ります。
要出典タグを勝手に剥がさないでください。「民族的分類:大部分は大和民族なので日本民族とも表される。アイヌ民族琉球民族などの少数民族がいる」という主張を裏付けるソースを提示できないなら、要出典タグを勝手に剥がさないでください。ウィキペディア公式な方針であるWikipedia:検証可能性において「出典を示す責任は掲載を希望する側に 出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」とされています。
また、小熊英二の著作の出典を加筆されているようですが、この意味が不明です。小熊はこの著作の一体どこにおいて、脚注の付加された箇所のいかなる主張を裏付けるような発言をしてるのですか? ページ数と妥当性をきちんと示してください。--Saintjust 2007年12月20日 (木) 00:48 (UTC)

区切り1[編集]

場違いというのはご自身の勝手な思いこみによるものです。既にいろいろと説明しましたので繰り返しません。少数民族を否定されないということは単一民族であることを前提とした記述・分類「(国名)人=(国名)民族という等置」はできないということです(アメリカとの違いは比率が違うだけのことです)。この点お分かりいただけませんか。客観的事実に要出典や場違いや啓蒙とかいわれても困ります。言葉遊びではなく、客観的に事実を記載するに止めるべきです。--Nativemania 2007年12月20日 (木) 02:12 (UTC)

現在問題とされているのは以下の記述です:
民族的分類[1]日本国において98.5%の多数派[2]を占める民族(日本民族、大和民族[3][4]大部分は大和民族なので日本民族とも表される。アイヌ民族琉球民族などの少数民族がいる。
Nativemania氏の加筆部分は斜体の「大部分は大和民族なので日本民族とも表される。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる。」です。これを「客観的事実」だからという理由で要出典タグを剥がし強行掲載し続けている。
まず第一に問題なのは「大部分は大和民族なので日本民族とも表される」というNativemania氏の主張です。参照ソース(広辞苑)では「日本民族=大和民族」としており、「大部分は大和民族なので」などと書いているソースはありません。また、そのような「客観的事実」など私は聞いた事がありません。
そもそも、何の「大部分」なのか不明です。現行記述では、日本民族の大部分を大和民族が占めることになっている。つまり、まず日本民族という民族があり、それがさらに大和民族他の複数の民族集団から構成されることになってしまっている。その後に「アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる」と続くわけですから、民族の中にさらに少数民族がいる話になる。これでは甚だ意味不明です。
冒頭註で参考文献として上げられている小熊英二の著作の妥当性も不明です。小熊はこの著作の一体どこにおいて、脚注の付加された箇所のいかなる主張を裏付けるような発言をしてるのか? ページ数もろくに示されておらず参照文献の用を全く成しておりません。日本国内に少数民族が存在するなどという当たり前のことを示したいなら、わざわざこんな文献を引く必要はありません。
また、「単一民族であることを前提とした記述・分類」など現行記述のどこにもありません。被害妄想にも程があるでしょう。--Saintjust 2007年12月20日 (木) 02:26 (UTC)

強行掲載されているのは逆からみればSaintjustさんになりますが、それを言い合うのは不毛でしょう。啓蒙とか被害妄想などといった主観的表現も、事実についての話あいの際に用いるべきではないと思います。

議論を最初から呼んで頂ければお分かりいただけると思いますが、Saintjustさんは最初、「日本人」=「大和民族・日本民族」だけを書いていました。これは単一民族であることを前提とした記述であるので、少数民族の存在を含めて記述をニュートラルにしましょうと提案しました。その趣旨をさんざん説明し、アメリカ人・ドイツ人などの例もあげました。Saintjustさんが本日最初の文章を書き加えたことで現在のような重複ある記述にされました。

日本人の大部分が大和民族である、広辞苑の定義では大和民族=日本民族である、日本人の中には少数民族が存在する、これらは異論の出されていない事実ですね。「大部分なので」という表現が不適切であると皆さんがお考えになれば私はべつに変更しても構いませんが、その場合でも、日本人=大和(日本)民族という等置にならないように、「(日本人の)大部分(あるいは~%)は大和民族(日本民族)である。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族が存在する。」といったニュートラルな表記にする必要があると思います。

あとSaintjustさんは私のつけたソースのことも言われていますが、それについてはすでに説明しています。少数民族の存在や単一民族国家ではないという事実関係に言及した文献をあげること自体には問題ないはずです。しかしSaintjustさんはこの事実関係に対してではなく、そのまま~ように表現されているものを出せ、という勝手な「ソース」の定義をされて、そのご自身のルールに基づいて要出典を書き続けておられたと思います。

なおSaintjustさんの「ソース」の一つには、日本人種などという学問的に証明されていない記述を含むマイクロソフトの定義が全文掲載されており、それについて私は疑問を出しましたがお答え頂けませんでした。

私たちだけがしゃべっていますので、他の方にもできればご意見・ご検討をお願いしたいです。よろしくお願いします。--Nativemania 2007年12月20日 (木) 05:14 (UTC)

  1. 当該箇所は「民族としての日本人」について記述しているものです。
  2. 「単一民族」というのは国家を形容する言葉であって、民族を形容する言葉ではありません。「単一民族民族」では全くもって意味不明です。
  3. 単一民族国家については日本国日本国民、あるいは日本の民族問題の記事で記載すればよいことです。「民族としての日本人」の節において言及するのは場違いでしかありません。
  4. 民族を意味する場合の「日本人」(日本民族)は大和民族と同義であり、これに関してはソースの裏付けがあります。
  5. 一方、Nativemani氏の主張する「大部分は大和民族なので日本民族とも表される」を裏付けるソースは存在しません
  6. ソースの無い記述は掲載するに値しません。WP:Vでも「出典を示す責任は掲載を希望する側」としています。
  7. ソースの裏付けの無い名無し編集者の意見は考慮に値しません
  8. 信憑性と著名性において、一名無し編集者の個人的意見とマイクロソフト社製百科事典とでは全く比較になりません。--Saintjust 2007年12月20日 (木) 05:44 (UTC)
横から失礼します。「大和民族なので日本民族」という際の、「ので」というのが私も特に気になります。時間をかければ出典がでることでしょうから、お待ちになられるのがよいかと思います。「ので」について挙証責任があると感じました。「ノート」は論理を駆使するところというより、「出典」の事実関係・信頼度の確認で済ますのが理想かと思います。疑問を感じたところをいきなり削除したり、書き換えたりするより、「要出典」のタグを付ける方が紳士的だと思います。それを剥がすのは良くないと思います。当方も「要出典マニア」(ノート:3S政策参照)などと誹謗されておりますが、「要出典」のタグは付ける方も勇気が要ります。あたりまえのことに付ける不見識を疑われるからです。付けられた側は誠意をもって示すべきと思います。--Memosa 2007年12月20日 (木) 06:45 (UTC)

心得ておきます。ソースを求める場合にもルールは必要とも思いましたが、また繰り返しになるので、できれば上を読んでいただけると非常に助かります。「(民族としての)日本人」=「大和民族」という等置がなければ事実にも反しません。「大部分(~%)は大和民族(日本民族)である。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる。」ならいいでしょうかね。--Nativemania 2007年12月20日 (木) 07:22 (UTC)

まったくもって意味不明です。
  1. 日本民族を大和、アイヌなどと細分化できるのであれば、日本民族はもはや一つの独立した「民族」ではありません。単なる雑多な民族の集まりでしかない。それでは「日本民族」の民族的自主性を否定するようなものです。
  2. 逆に、アイヌ他の少数民族を含めたまま日本民族を一つの独立した民族と認定するなら、その包含されるところの少数民族のほうの民族的自主性が否定されることになる。戦時中の皇民化政策で創始改名し日本語教育を施し民族的アイデンティティをぬぐい去れば朝鮮人も「日本人」(日鮮同祖論)でございというのと同じです。アイヌ他の少数民族が全て日本民族の一部でしかないなら、彼らの民族的アイデンティティを否定しているも等しいことです。「一部」は「一部」であって、もはや「民族」ではありません。言語における方言のようなものです。
いずれにしろ、当該箇所の言う民族的「分類」の用を成しません。--Saintjust 2007年12月20日 (木) 08:17 (UTC)
この場合、Nativemania さんが示すべきは代案ではなく、出典ではないでしょうか。現時点ではSaintjust氏の発言に説得力を感じております。短期間で決着させなくても、ウィキペディアは簡単には滅びませんし、ウィキペディアのこの項目を参照する人も「日本人」全体では極めて少数ですから、どうしても記述をお加えになりたいということであれば、じっくりと出典をお探しになってはいかがでしょうか。基本的にはウィキペディアは百科事典であって、さほど大げさなメディアではありません。民主主義は時間のかかるものです。素人が集まって百科事典を作ろう、というのですから、時間は多量にかかるものとご覚悟なさるべきと存じます。妄言多謝。--Memosa 2007年12月20日 (木) 10:08 (UTC)

出典というのは事実関係の根拠として出すものであり、全く同じ表現で書かれている文献を出せ、というルールはありません。事実について、少数民族の存在や単一民族ではないということについての出典ということでしたらすでに出していますので、要出典は筋違いになります。問題になっているのはあくまで「日本人=大和民族」という事実が客観的に正しいかどうかです。「民族としての日本人」という理解の仕方そのものにかかわります。「民族としてのアメリカ人」「民族としてのドイツ人」とは言えないと思いますが、Saintjustさんによるとそれはそれぞれ「ネイティブアメリカン」「ドイツ民族」だというのです。私はこれはおかしいと思います。「民族としてのアメリカ人」「民族としてのドイツ人」が言えないのに、なぜ「民族としての日本人」が言えるのかを、よく分からない大前提から出発するのではなく、事実から示すことはできますか?ある特定の辞書にこう書かれているなどというのは、参考にはなりえても、事実自体を完全に裏付けるソースを出したことにはなりません。

私は「民族としての日本人」というよりも正確に日本人の民族的構成を説明しましょうと提案してきました。なのでSaintjustさんの民族的自主性の否定という指摘は的はずれで、真逆です(そもそもSaintjustさんの大前提を私は共有していません)。私の提案においては、大多数が大和民族で、少数民族も存在する、というシンプルな表記が可能になり、その中に一つも疑問視される事実がないようなので、出典を求められる理由もありません。

私ではなく大前提から出発されているSaintjustさんの方に事実関係を証明する責任があります。もう一度聞きたいのですが、「民族としてのアメリカ人」とは何ですか。ネイティブアメリカンというならそれを証明してください。それが言えない場合、日本人=大和民族というならアメリカ人との量的ではなく質的な違いは何でしょうか。

ご指摘のあった「なので」については修正しました。--Nativemania 2007年12月20日 (木) 16:10 (UTC)

Nativemaniaさんは日本人と日本国民を混同していませんか?思うに事実としては
  • 日本国民・・・(1)
    • 日本民族または大和民族・・・(2)
    • アイヌ民族・・・(3)
    • 朝鮮民族・・・(4)
    • etc...
となっており、この構造自体はNativemaniaさんも同意している、というより強く主張しているものと思います。問題は「日本人」の意味で、Nativemaniaさんは常に(1)のみを想定して考えているように見えます。しかし(3)(4)をアイヌ人・朝鮮人と言うように(2)も日本人と言うことがあります。その場合は当然その中に(3)(4)を含みません。その(2)のことをSaintjustさんは一貫して「民族としての日本人」と言ってきており、(2)に関する記述の中に(3)(4)に関する記述は場違いだ、それは(1)に関する記述に含めれば良い、と言っているものと思います。Nativemaniaさんはこのような認識をお持ちですか?「日本人とはすなわち(1)なのだから少数民族としての(3)(4)についても言及すべきだ」と思っていませんか?
あと関係ないですが、ネイティブアメリカンを民族としてのアメリカ人と言うときの「アメリカ」USAという国家の名称からではなく、ネイティブアメリカンの住む南北アメリカ大陸という地名から採られていると思います。Bit 2007年12月20日 (木) 16:58 (UTC)
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今、問題にしているのは、「大部分は大和民族で日本民族とも表される」という記述の検証可能性です。ここで言う「検証」とは、編集内容が信頼のおけるソースにより裏付けられているかどうかの検証のことです。Wikipedia:検証可能性はウィキペディアの三大編集方針の一つです。
ウィキペディアにおいては、編集内容が外部の信頼のおけるソースにより裏付けられている限りは、その記述情報自体が正しいかどうかを問題としません。ウィキペディアでは「真実かどうかではなく検証可能かどうか」が重要なのです。名無しウィキペディアンが情報の真実性を勝手に調査・判断することは許されていません(Wikipedia:独自研究は載せない)。そして、検証可能性を満たすための「出典を示す責任は掲載を希望する側」にあり、「信頼できる情報源を欠く編集は除去」されても文句は言えません。
  1. 「客観的に正しいかどうか」など関係ありません。そんなことは名無しウィキペディアンが判断する問題ではありません。ウィキペディアで重要なのは情報の真実性ではなく検証可能性のみ、情報が信頼のおけるソースに裏付けられているかどうかのみです。
  2. 「全く同じ表現で書かれている文献を出せ」などとは誰も言っていません。当該記述でなされている主張を裏付けるソースを出せと言っているのです。
  3. 「少数民族の存在や単一民族ではない」「ネイティブアメリカン」「ドイツ民族」の話は何の関係もありません。当該記述を裏付けるソースを出せと言っているのです。
  4. 日本国の「民族構成」は日本国なり日本国民の記事で書くことであって、日本民族には関係ありません。民族の民族構成など甚だ意味不明です。--Saintjust 2007年12月20日 (木) 17:26 (UTC)

区切り2[編集]

Saintjustさんのいう「民族としての日本人」という場合の「民族」は単一の(または特定の)民族です。多民族からなる日本人に対してなぜこういう単一民族分類がそもそもされるのかが分かりません。そこで「民族としてのアメリカ人」を例としてお聞きするとネイティブインディアンだとお答えになったのですが、そんな話はどこでも聞いたことがなく、またまた理解できませんでした。関係ないとおっしゃられても関係あるから聞いたのです。私は(民族の民族構成とか?)混同しているのではなく、「民族としての日本人」という想定そのものに関して、多民族という検証された客観的事実との関係で納得していない(その想定を共有していない)だけです。

ある辞書または百科事典にそう書いてある(それが検証されたということだ)といって、事実なんかはどうでもいいという態度で、それをwikipediaに書くという姿勢も私には理解ができません。

「大部分は大和民族で日本民族と表される」にソースを「出せ」とおっしゃってますが、大部分(~%)が大和民族であること、大和民族が(広辞苑によると)日本民族であること、これらの事実関係はSaintjustさんが「検証」されたことです。なおもソースを出せというということは、「全く同じ表現で書かれている文献を出せ」と言っているとしか受け取れません。それは勝手なルールでしょう。「アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる」こと(つまり日本人が多民族であること)も検証された客観的事実であり、いまはつけられてないのでいいですが、先日まではここにも要出典をつけられていました。ちなみにSaintjustさんが前文掲載されているマイクロソフトの百科事典は「日本人種」という言葉が入っており、「外部の信頼のおけるソース」なのか疑わしいです(脚註にあげるのは自由ですが全文掲載する意味は分かりません)。

私の提案は単純なものです。日本人=大和民族という等置を大前提にするのではなく、(検証された)客観的事実のみを表記するに止めるということです。「大部分が大和民族で日本民族と表される。アイヌ民族・琉球民族という少数民族がいる。」というような(一字一句変えるなとは言っていません)、事実をシンプルに書くことに止めましょうということです。--Nativemania 2007年12月20日 (木) 23:35 (UTC)

「日本人」というのは言葉です。この言葉は日本国民同様に民族的分類である日本民族も意味するのです。だからその定義が国語辞典にも百科事典にも載っているのです。民族と国民を混同しているNativemania氏個人の「日本人」という言葉に関する個人的思い込みを「客観的事実だ」と幾ら強弁したところで、ソースの裏付けの無い名無し編集者の主張である限りは考慮に値しません。ウィキペディアの重要編集方針の一つであるWikipedia:検証可能性をよく読んでください。
「この文脈における『検証可能性』とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は『真実かどうか』ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」
名無し編集者がそれぞれ自分勝手に「客観的事実」と思い込むだけで編集を強行できたら、ウィキペディアは滅茶苦茶になってしまいます。だからこそウィキペディアでは出典の明記を強く求められているのです。貴方が「客観的事実」云々とやっていることは、ウィキペディアで禁止されている行為そのものなのです。
日本民族が多数派を占めるのは日本国の人口においてです。日本国の人口において、日本(大和)民族の他にアイヌなどの民族が少数派を形成しているのです。それについては日本国の記事や日本国民の記事で言及するのが筋です。一方、Nativemania氏の記述は、日本民族という一民族集団内において「大部分」が大和民族であり、他にアイヌなどの少数民族がいる、となっている。これでは一つの民族内に別の民族がいることになってしまうのですから、日本語として甚だ意味不明です。民族の中の民族などという滅茶苦茶な主張を裏付けるソースがあるとは思えませんが、いずれにしろ、あなたの主張を裏付けるソースが無い以上は考慮するに値しないのです。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 01:16 (UTC)

あくまで自分の想定に基づいて相手の言うことを曲解した上で、混同している、ソース出せ、と言いつづけても話になりません。いろんな方がこの問題をご検討くださることを期待します。--Nativemania 2007年12月21日 (金) 02:32 (UTC)

自分が行った編集(太字部)をよく読んでください:
民族的分類(としての「日本人」): 日本国において98.5%の多数派を占める民族(日本民族、大和民族)。大部分は大和民族で日本民族とも表される。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる。
  1. 大部分」とは、いったい何の大部分なんですか? 何という集団の「大部分」を大和民族が占めるんですか?
  2. その母体となる集団はどういった性格の、いかなる定義の集団なんですか? 何かの民族ですか? どこかの国家ですか?
  3. その集団が「日本民族」と呼ばれる理由が、本当にその「大部分」を大和民族が占めているからなんですか?
  4. 「日本民族」の語源が本当にそうであることを示すソースはあるんですか?
まったくもって意味不明です。ソースも無し。掲載するに値しません。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 02:59 (UTC)
経緯を見ると、当初の版の、人類学的な意味での「日本人」の「大部分が大和民族なので」日本語を話す。そして、その大和民族は日本民族とも表現される、という内容が改変される過程で現在の記述になったようです。現状の記述と整合させ、或る程度Nativemaniaさんの強調したいことに歩み寄るなら、
民族的分類(としての「日本人」): 日本国において98.5%の多数派を占める民族。大和民族。日本国の主要民族であるため、国内には少数民族も存在するが、日本民族とも表される。
といったところでしょうか。たしかに多少くどい感じはしますが。--Clinamen 2007年12月21日 (金) 03:17 (UTC)
「日本民族」の語源が「大和民族が日本国の主要民族であるため」だと主張しているのであれば一応意味はなしますが、出典を明記する必要は依然あります。いずれにしろ、現在の文面では日本民族の「大部分」を大和民族が占めるという意味になっており意味不明ですので書き換える必要があります。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 03:46 (UTC)

やはり日本国民と日本人を混同しているように思えます。

多民族からなる日本人に対してなぜこういう単一民族分類が

という表現に於ける日本人とは私が先程述べた(1)のことを言う「日本人」であり、(2)を指す「日本人」に対して適用するとSaintjustさんの言うように意味が矛盾してしまいます。ある言葉には二つ以上の意味がある場合があります。よく「広義の~」「狭義の~」と使い分けることがありますが、まさにこの場合の日本人も同じです。アイヌなど少数民族を含む日本国民という意味での日本人と、日本民族の別名としての日本人と、両方の範疇を同じ日本人という言葉が指します。前者が前述の(1)で、後者が(2)です。この記事を最終的にどうするかはともかく、日本人という言葉に複数の意味があり、その一つが日本民族とイコールであるという認識に立って議論をできませんか。(その上で、日本国民という意味から考えることもできますし)Bit 2007年12月21日 (金) 05:57 (UTC)

区切り3[編集]

私が聞いてきたことには答えていただけないようで、そもそも国家的分類・人類学的分類・民族的分類という三分類をつくりそれぞれこういうことしか書けない、などという想定も共有しておりません。日本人の「民族的分類」または「民族としての日本人」といっても、それが「日本人」の言語上・観念上の一用例の話にすぎないのか、実態としての「日本人」と呼ばれる人々の民族的説明なのか、なんなのかよく分からず、少なくとも解釈に幅が生じます。そういう曖昧な枠組みを前提に、検証された事実にのみ基づく記述をSaintjustさんが最後に追加した一文とコンバインして、意味不明だ混同だソース出せだなどと延々言われても話になりません。こう言ったらいいでしょうか。検証された客観的事実としての日本国民の民族構成をシンプルに説明することは、「日本人」を民族という視点で実態的に説明・記述する上で誤解の生じないニュートラルな方法であり、そのような記述はいずれにしても不可欠だと考えています。--Nativemania 2007年12月21日 (金) 12:49 (UTC)

Nativemania氏が「大部分は大和民族なので日本民族とも表される。アイヌ民族・琉球民族などの少数民族がいる。」なる記述を要出典タグを剥がし当記事に強硬掲載して編集合戦・保護に至っているから、その問題を解決するために議論しているのです。現在それ以外の事は一切問題にしていません。貴方の編集が問題を起こしているのです。自分自身の編集には責任を持ってください。
上で何度も指摘しているように、この記述は(1)まったくもって意味不明であり、(2)ソースの裏付けもありません。Nativemania氏はこの記述が具体的にいったい何を意味するのか説明しようともしない。また、その主張を裏付けるソースも一切提示しようとない。そのくせウィキペディアでは明示的に禁止されている「客観的事実」云々の話をいつまでも一人勝手にやっている。いずれにしろ、ウィキペディアの3大編集方針の一つであるWP:Vに反するこの記述は掲載するに値しません。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 13:27 (UTC)

少し戻りますが、Nativemaniaさんの

ある辞書または百科事典にそう書いてある(それが検証されたということだ)といって、事実なんかはどうでもいいという態度で、それをwikipediaに書くという姿勢も私には理解ができません。

との発言ですが、これでは日本人がどうとか以前の問題です。Wikipediaは初めから、他のソースにより検証された事実しか書いてはいけないというルールを持っているからです。「Microsoftの事典中に日本人種という言葉が見られる」と書くことはできますが「日本人種というものが存在する」と書くことはできません。Wikipediaは元々そういうものなので、この決まりを守る気がない人にWikipediaで書く資格はありません。「事実に対するあるソースの記述」ではなく「事実」の話を書きたいならば、Wikipediaではなく自分でWikiを立てるなりしてすべきなので、Wikipediaのルールを受け入れることをお薦めします。Bit 2007年12月21日 (金) 14:02 (UTC)

分類法(この形の三分類でなければならないとまでは検証されていません)やそれら定義は共有できませんでしたが、数人だけで話していても仕方ないですしずっと議論してる時間もないので、「大部分が大和民族であるが、アイヌ民族・琉球民族などの少数民族も存在する。ref小熊~/ref」といった「検証」された事実のみの記述を、「国家的分類」に移すなりして明記すればとりあえず結構です。「民族的分類」は不明確な表現だと思いますが、「検証」されているのが[ある特定の辞典に「日本人」の言語上の一用法として大和民族(日本民族とも表される)を指すことがある]ということのみのようですから、それ以外の解釈の可能性が生じえない形で記述していただきたいと思います。「(日本人の)民族的分類:大和民族(日本民族)」という表記だと、実態として日本人と呼ばれる人々は単一の大和民族であるという解釈も可能になるので、あくまで特定の辞書によると言語上の一用法として日本国民の中の一民族集団を指すことがあるという「検証」された範囲の意味であることが明確に伝わるような書き方にする必要があります。今後その用法を認めていない辞書が見つかればそれも言及していいと思います。--Nativemania 2007年12月22日 (土) 11:15 (UTC)

Nativemaniaさんは定義と叙述を混同しているように見えます。「日本人は日本民族のことである」は本文の体裁からして定義として読むべきですし、それでほぼ誤解は生じないでしょう。仰るような批判は定義としてではなく経験的命題(つまり叙述)として読む場合にしかあてはまりませんが、そう読む場合、saintjustさんのいうように、定義が不在となって意味不明になります。(「日本人は日本民族である」を「日本人を構成しているのは日本民族である」と、定義ではなく事実命題として読むなら、その主語たる「日本人」ってじゃあどの意味の「日本人」だよ、ということになります)また、言われている代案ですが、むしろ、民族的分類のほうに、「この用法の場合は国家的分類と異なり、当然ながらアイヌ民族等の他民族は含まない」と書いた方が内容的には一貫すると思われます。--Clinamen 2007年12月23日 (日) 07:31 (UTC)

Clinamenさんが最後に書いたご提案内容なら意味がはっきり分かり「混同」は生じえなくなるので私はそれでいいです。--Nativemania 2007年12月24日 (月) 00:10 (UTC)

「言語は日本語」について[編集]

なお、「言語は日本語」は典拠のある記述なので必要、という件ですが、広辞苑は、日常用語としての意味を記述していて、本記事のように分類して書いていない。したがって、「言語は日本語」という記述は民族的分類の所に書けば、十分、典拠によって書いていることになる、と思います。(あるいは、人類学的分類、という言葉をはずす、ないし、「引用」であることを括弧で囲って示す)。広辞苑の記述者が、言語は日本語の部分を「定義」として書いているか、「説明」として書いているかは、はっきりしない、あるいは、文脈からいえば、前段までが定義でこの部分は、・・・が日本人である、そしてその日本人(の大部分)は日本語を話す、という意味だと私は理解するのですが、どうでしょうか。典拠が必要だとしても、そのまま引用しなければならない、というわけではないと思います。--Clinamen 2007年12月21日 (金) 03:17 (UTC)

人類学(anthropology)はもともと民族を研究するethnologyなわけですから、人類学的分類と民族的分類は統合できると思います。あるいは「文化人類学」的分類と「形質人類学」的分類にわけても構いませんが、はたして後者においても実際に「日本人」という分類はあるのでしょうか?
エンカルタによれば「人種としての日本人はモンゴロイド(黄色人種)に属し、明色から黄褐色までをふくむ黄色い肌、黒色の直毛、うすい体毛、短頭、内眼角ひだ(蒙古ひだ)、小児斑(蒙古斑)などの一般的なモンゴロイドの特徴をしめしている。ただし、地方差もかなりある。たとえば血液型では、全体にA型がもっとも多いが、A型遺伝子の頻度は東北地方から西日本にむかってしだいに高くなっている。日本人をほかのモンゴロイドと明確にわける身体的特徴をあげることは不可能であり、モンゴロイド人種内の1グループとして「日本人種」というたしかな集団が存在するわけではない。」とあります。広辞苑の「モンゴロイドの一つ。皮膚は黄色…」というのは、「日本人」という独立した人種的分類があるというよりも、日本国民あるいは文化(言語)的に定義される日本民族という集団の遺伝子的性格について述べているものであるように思われます。
民族的分類としての日本人について言及する以上は、民族の記事における民族定義との整合性も考慮しなければならないでしょう。ちなみに広辞苑では「民族:文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識をもつ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い…また、人種・国民の範囲とも必ずしも一致しない。」としています。民族の定義も複雑ですが、いずれにしろ、ある集団が民族認定されるためには、その構成員が共通の祖先と共通の民族文化(言語)を有しており、かつその成員が自らをその集団の成員であると認識している事が条件でしょう。人種的、遺伝子的な話は「共通の祖先」に関わってくるものですが、それ自体では「日本人」という質的に独立した分類を形成するものではないように思われます。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 03:46 (UTC)
私も事実関係としては異議はありません。ただ、現状の記述ですと、「モンゴロイド…で、かつ日本語を話す人を日本人と、この分類ではみなす」とパラフレーズするのか、(定義に含む場合)、「モンゴロイドで……な人を日本人と、この分類ではみなす。そして、その意味での日本人は、日本語を話す」とパラフレーズする(定義に含まない場合)のかは、必ずしも現在提示されている部分だけでは決まらない(そして、前者に読まれる可能性もある)ということです。また、「人類学」とだけいうと、普通に自然人類学を意味する場合も多いので、(由来はともかく、現状では、この二つの分野は(アメリカ等をのぞき、とりわけ日本では)、基本的に別の分野という状況です。)自然人類学の定義という意味かと思っていました。結局、日本民族の血を引く非日本民族の人を「日本人」と呼ぶかどうかというケースを、どう扱うかというところを、記述にうえでどう表現するかというところなのですが、たとえば引用されている遺伝的研究なんかでの「日本人」の用語では、含めるような意味になっているようにも思えますし(もっともそれも、おのおの揺れがあるようですし、日常の用法と整合しているかどうかもはっきりとしませんが)、日常の実情を見ると、ケースバイケースであるように思われます。たとえばアルベルト・フジモリ氏は日本人でしょうか、というような場合。といって、いま代案が思い浮かばないので、保護中でもありますし、とりあえず提起まで。--Clinamen 2007年12月21日 (金) 04:30 (UTC)
たとえば2と3を統合して、「日本列島の住民の伝統的な多数派の集団、モンゴロイドで・・・日本語を話す。文化的・民族的な同一性による外延と血縁や遺伝的な同一性による外延がほぼ一致してきたことを前提とする概念であるため、厳密には民族的分類であるとはいえない。関連日本民族 」といった感じのがましかもしれません。--Clinamen 2007年12月21日 (金) 04:40 (UTC)
まず私は、この記事「日本人」自体が冗長になりすぎていると考えています。「国民としての日本人」については日本国民なり日本国で詳述し、「民族としての日本人」については日本民族なり大和民族で詳述して、この記事自体は曖昧さ回避のような形にして、内容は簡潔に留めた方がいいように思います。導入部は
  1. 国家的分類:日本の国籍を有する者。日本国民
  2. 民族的分類:日本民族に属するもの。
これだけでも十分でしょう。当記事の「遺伝的観点からの日本人のルーツ」などについては日本民族の方で記した方が良いように思います(実際、大和民族と多くの内容が重複しています)。この記事では、国家的分類と民族的分類以外の、例えば「日本人」という言葉の語源などを解説するのは良いかも知れません。
分類として曖昧なのは「人種的分類としての日本人」であって、「民族的分類としての日本人」はそう曖昧ではないと思います。民族において一番重要なのは「同属意識をもつ」ことなわけですから、同属意識の根拠となるところの共通の祖先なり文化・言語、人種的形態、遺伝子に関して境界が曖昧であることはさして大きな問題ではありません。もし「民族的分類としての日本人」が曖昧であるなら、それは「民族」という概念自体の曖昧さに起因するものですから、他の全ての民族的分類も同じく曖昧だということになると思います。実際問題として、例えばアメリカの国勢調査や人口統計などで国の民族構成を調べたりするわけですから、「民族的分類としての日本人」がれっきとした分類として存在するのは確かです。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 05:40 (UTC)
  1. ^ 小熊英二『日本単一民族神話の起源』(1995)、『「日本人」の境界』(1998)
  2. ^ The World Fact Book -- Japan”. CIA. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  3. ^ "大和民族". 広辞苑. 岩波書店.
  4. ^ 「日本人という語の意味は、大きく3種類にわけることができる。第1は日本国籍を有する日本国民という意味で、人間を国家単位で、政治的に分類したときのグループである。第2は日本人種という意味で、人間を生物学的・身体的特徴によって分類したときのグループである。第3は日本民族という意味で、文化を基準に人間を分類したときのグループである。また、文化のなかで言語はとくに重要なので、日本民族は日本語を母語としてもちいる人々とほぼ考えてよい。これら 3種の日本人が同義ではないことはいうまでもない。」"日本人". エンカルタ. マイクロソフト.