ノート:日本の映画スタッフ一覧

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

理由を説明して下さいPhantom 05:46 2003年5月24日 (UTC)

ヘルプは読んでいますか? 人の名前に余計なものを付けるのは変です。説明はその人の記事などでしてください。括弧を付けるのは曖昧性回避などの場合だけです。おこめ 05:48 2003年5月24日 (UTC)

読みましたが、慣例扱いなので、わかりやすさを優先しました。それが絶対的なルールであるなら、ルールと明記してあるはずです。それから、安易にリダイレクトをかける理由を説明して下さい。Phantom 05:59 2003年5月24日 (UTC)

おこめさんは形式ばかりを表面的に直しているようですが、直すのであれば、その記事内容の意図を汲んだ直し方をしたらどうですか?Phantom 06:02 2003年5月24日 (UTC)

その人の名前で検索したりリンクを貼ったときに、括弧付きでは他からのリンクが見つかりません。余計な手間をかけないように括弧なしにしているのです。

括弧は曖昧性回避のために付けるものなので、他に同じ名前の項目がないものは括弧なしのページに移動しているだけです。

どのような意図でしょう? おこめ 06:04 2003年5月24日 (UTC)

それが理解できないのなら、問題提起をして、本人が直す時間を数日待つぐらいのスタンスが必要なのではないですか?削除するのは簡単です。削除しないように前記事を生かす努力はして当然だと思いますが。Phantom 06:08 2003年5月24日 (UTC)

元に戻そうとするときもそれは同じではないでしょうか? 書かれた記事は誰が手を加えるのも自由です。個人のものではありません。おこめ 06:12 2003年5月24日 (UTC)

けんかをやめて、ふたりをとめて by 竹内まりや


当然です。しかし、建前的な言い方でもあります。記事を補完していくなら、そうあるべきでしょう。ですが、記事を育てていく努力も必要だと思います。記事を書くのは記事を機械的に削除するより労力を必要とします。だから、削除するにあたっては慎重であるべきでしょう。ウィキペディアにとって、より大事なのは記事内容の充実なのではないですか?辞書ではなく、百科事典なのですから。形式も大事でしょう。しかし、書き手を失うことの方が大きな損失だと思います。(つい先日の聖書関連の記事をめぐる経緯を見ていて思いました。あれだけの内容を書ける人を僅かな書き出しに拘って失ったのは大きな損失だと感じました。ルールを押しつけていては人を失うと思います)日本映画にあなたが書き込んだ一文は一面的すぎるし、記事として粗雑だと感じましたが、内容的に含んでいる部分があるので、手をつけていません。敬意を払っているからそうするのです。手を加えるのは自由だけど、それが建設的な方向に向かうようにする努力も記事を充実させるために必要なのでは?Phantom 06:32 2003年5月24日 (UTC)

だいじょうぶ。彼(彼女?)なら、きっと他のハンドルネームですでに参加してると思われる(予想)。

修正してみましたが、このようにしたかったのでしょうか? 括弧のなかを先に外しておきたかったので、削除という意識はありませんでした。失礼しました。 日本映画でも、正確になるなら簡単にコメントを添えて、変えたり削ったりしてもよいかと思います。 おこめ 06:43 2003年5月24日 (UTC)

ありがとうございます。その通りです。私も言い過ぎました。おこめさんの指摘を受けて、別のフォーマットに変えてみます。Phantom 06:50 2003年5月24日 (UTC)

Loveさん、どうも。クールダウンできました。Phantom 06:56 2003年5月24日 (UTC)