ノート:日亨 (日蓮正宗)

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  • 文中にある「最近の創価学会系出版物の中には著者本人の字句を著しく変更したものが存在する。」というような場合、その「出版物の名称とページ数、該当する文章の引用」の記載をお願います。文章の引用は、著作権法で保障されています。Tetralemma 2005年7月28日 (木) 03:48 (UTC)[返信]

編纂者について[編集]

当時の御書発刊は、創価学会が出版費と編纂委員を立ち上げ、堀日亨氏が戸田城聖氏と創価学会教学部を中心に刊行したのであって、創価学会と宗門が協力したのではなく、寧ろ宗門は戸田城聖氏の協力要請に対して、「宗門関知せず」の態度であった。 従って創価学会版御書の序文にも、堀日亨氏が、「且又去来と云えば老駑を鞭ってくれる義俠の学匠の必ずあるべきを予期し幸いに東上してある会合の折に参加を懇請したが何れも繁多の常務の外に同記念出版に特務を負はせられたりとの事で不幸にして一人の同志をも得ず止むなくば万一途中失敗の補助たるべき仁すら咄嗟に見当らず」と当時の宗門の非協力的態度を直々に嘆き、また「殊に学会の教学部に於いて大挙校正に当たり世務を割きて長日長途を往復せられた事及び略年表まで作成された事は望外の僥倖であった」と創価学会に感謝の意を表している。

従って客観的に、御書発刊を創価学会と宗門協力の下とは言えず、堀日亨氏が創価学会の協力の下と表記するべきである。 且又この編集に疑義を挾む御仁あらば委細之をノートに反論してからにして下さい。 Mastu123会話2021年12月14日 (火) 18:32 (UTC)[返信]