ノート:新規堀用水

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新規堀用水と新規用水の関係[編集]

「新規堀用水は明治以前に『新規用水』の名称で開削された農業用水路」と説明していますが、これの出典は示せませんか?武蔵国郡村誌によれば、新規用水は「村のの野久喜村界より来りて」とあり、これは北北西でしょう。それに対し、1956年あるいは1968年の『久喜町全図』に描かれている「新規堀用水」は中落堀川から引かれているようであり、吉羽の西に当たります。それに中落堀は江戸時代には排水路だったはずで、ここから用水を取ることはなさそうです。両者が同一であるとする文献、あるいは同一であることが推定できる地図などはありませんか?--Freetrashbox 2011年1月19日 (水) 11:40 (UTC)[返信]

(追記)いろいろ調べてみたところ、武蔵国郡村誌にある「新規用水」は、今の稲荷台用水のことじゃないですかね。この記事の新規堀用水は、起点の石碑にもあるように、昭和29年からの下水道工事で汚水が混じらなくなった中落堀川を、用水として利用したのが始まりなようですよ。--Freetrashbox 2011年1月22日 (土) 11:02 (UTC)[返信]