ノート:新戸雅章

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

IPの方へ。ご存じないのかもしれませんが、ウィキペディアにおいて出典を示す事は極めて重要視されています。(建前としては)必要不可欠、と言ってもいいかもしれません。それゆえに私は(一見、著書と無駄に重複した)「参考文献」の節を設けたのです(ちなみに版まで指定してあるのもそれが理由です)。ご理解ください。--Five-toed-sloth 2008年6月28日 (土) 18:12 (UTC)[返信]

「IPの方」とは無関係の者ですが、当件について質問させてください。現在の表記の仕方では、どの部分がどの「参考文献」から作られたわからず、その後、追記しようにも、困ってしまいませんか? 「参考文献の版数」にまでこだわられるのであれば、それが、本文中のどの文の「参考文献」なのかを、「注釈」としてつけていただいたほうがいいと思いますが・・。没故人物ならともかく、存命人物ですから、今後、内容も変わってくると思いますが・・? それにたとえば、本文の、「学生時代からSFファン活動を始め、小説「汀線都市」で、SFファンジン大賞を受賞。また、一時、SFファンジン大賞の審査員もつとめた。1982年から1986年まで9号刊行された、新時代社発行のSF評論雑誌『SFの本』の発行人をつとめ、また自らもSFの評論活動を行う。」の部分が、「参考文献」2冊に書かれているのでしょうか? これらを証明する参考文献を挙げるなら、10冊以上の本になると思うのですが? --Kokada jnet 2008年7月1日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
えー、はい。仰る通りです。そもそも参考文献の節を設けるよりは<ref></ref>を使うべきでしたし、Kokada jnetさんが加筆して下さった後ではさらに意義が薄いです。
早急に(自分の書いた分の)出典の<ref></ref>化を行います。よろしければ(大変厚かましいお願いですが)Kokada jnetさんもご自身の書いた部分について、(暇のおありな時にでも/重要な点だけでも)同様の処理をお願いできますか?--Five-toed-sloth 2008年7月3日 (木) 17:05 (UTC)[返信]