道長らが国史編纂を企図しながら、終ぞ行われなかった根拠として、『権記』と『御堂関白記』を挙げている。しかし、『御堂関白記』寛弘7年8月29日条は、道長が厨子を作らせ、蔵書を収めた事を書いているのであって、件の根拠として挙げるのは疑問である。
トークページとはWikipediaにあるコンテンツの最適化を皆さんで協議する場です。新国史の改善について議論を始めるなら、このページを利用してください。