ノート:文人

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記事への疑問:中国における「文人」_2006年9月[編集]

士大夫の中から登場して、どうして反権威的になるのかさっぱり解りません。隠棲した人物を文人なんて普通言わないですよ? --らりた 2006年9月22日 (金) 04:49 (UTC)[返信]

すべての文人が必ずしも反権威主義で隠棲しているということでなく、文人の理想である陶淵明がそうであったという程度にご理解ください。しかしながら、多くの文人たちが陶淵明の暮らしを理想としていたとはいえます。これは中国に限ったことではありません。日本の文人の代表格でもある浦上玉堂はそれを実践していますし、祇園南海のように仕官はしていても、内なる精神においてはすでに隠棲をしている文人も多数います。反権威主義とはなにもクーデターを起そうとする反権力・反政府主義ではなく、権威によって抑圧されること、または抑圧をすることを嫌う根っからの自由人であることを指しています。--萬卯 2006年9月22日 (金) 07:27 (UTC)
私の疑問は「文人という言葉がそう言った隠棲志向の人々を指す言葉として普通に使われているのか?」ということです。私が持っている認識からすると文人とは「文に関わる人間」であって、権威とか隠棲とかとは関係無しにある言葉です。日本での展開は良く知らないのですが、少なくとも中国で文人がそういった意味で使われているとは寡聞にして聞きません。それとですが、当項目の中の「文人度表」とは一体なんですか?どなたか美術評論家かの評価によるものなのでしょうか?そうであればその人の名前を挙げてください。そうでないならば削除します。--らりた 2006年9月23日 (土) 12:20 (UTC)[返信]
記事中にもありますが、文人とはまず第一に学問の人であり、次に風流の人であることが挙げられます。従ってすべての文人が隠棲志向であるとはいいきることは難しいかもしれませんが、多くの文人がそういう志向をもっているという表現ならば誤りではないでしょう。
もともと文人の発祥は中国ですが、しっかり文献にも登場しています。
  • 『醉古堂劍掃』陸紹珩(明末)[1]
またこれを解説したエッセイがあります。
  • 伏見无家 評論  —賞琴一杯清茗— (一)~ (二十六)[2]
これを読んでいただければ文人度表についての妥当性がご理解いただけるのではないかと思います。
さて文人という言葉の意味について「文に関わる人間」と書かれておられますが、こちらの出典がわかりかねます。辞書を調べさせていただきましたが、そのような意味を掲載している辞書はありません。
  • 三省堂 (1)文事にたずさわる人。⇔武人 (2)詩文・書画など文芸の面に親しむ人。 (3)大学寮の文章生(もんじようしよう)。
  • デジタル大辞泉(小学館) 1 詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人。「—趣味」 2 文事をもって仕える人。 「—武士は国家の重んずる所」〈続紀・元正〉 3 律令制で、大学寮の文章生もんじょうしょう。
三省堂の(1)文事にたずさわる人。⇔武人というのが一番近いかと思いますが、これは国家などに仕えている人を前提にしている言葉と理解できます。古代ローマの人物を表すときに「文人」を利用しますが、これに該当するものと理解できます。明治の文豪 夏目漱石や森鴎外が文人と言われるのは、彼らが風流人で実際に漢詩や画を余技として楽しんでいたからです。ただ文章を書いているから文人であるとするのは、拡大解釈にすぎるのではないかと思います。その場合、文士という言葉が適当ではないでしょうか?
ただ、この記事に「(1)文事にたずさわる人」の意味を掲載していないことは事実なので訂正が必要であると気付かされております。また上記のものを外部リンクさせようと思います。--以上の署名のないコメントは、Example会話投稿記録)さんが 2006-09-24 06:33:29 (UTC) に投稿したものです。
外部リンク先を見させていただきましたが、この本の原文には「文人」という言葉は一切出ていないですし、エッセイの方には「清朝の禁書の難に遭い、中国においてはほとんど流布しませんでした」ともあります。「中国においてそういった隠棲志向の人間を指す言葉として「文人」が普通に使われている」という証拠にはなっていません。二十五史に対して文人で検索をかけてみましたが、全部で90件という結果が出ました。普通に使われているとは言いがたいのではないでしょうか?
なお私の言った「文に関わる人」の「文」とは文章も琴棋書画もあるいは政治も全てひっくるめてのことです。
あと、「民衆を導くために世俗にまみれることもある。これを大隠といい」とありますが、大隠は普通「わざわざ山の中に隠れるようなことをせず、俗世間の中にあっても心を汚されないような人物」を指します。--らりた 2006年9月24日 (日) 09:44 (UTC)[返信]
『醉古堂劍掃』が幕末から大正まで、文人のバイブルであったことは事実なので、日本においては文人に隠棲志向があったといいきって間違いでないと思います。ただ、ご指摘の通り(たいへん興味深かったのですが)中国においてはどうもそうではないようです。この原因が清朝の禁書のためなのか、元より『醉古堂劍掃』などが広く読まれなかったのか、はっきりわかりません。つまり清代になってからそれまであった文人の隠棲志向が断絶してしまったのか、元々隠棲志向など存在しなかったのか、ぼくには判断できません。これとよく似た事例に、清の画家 沈南蘋が挙げられます。彼は日本の文人画を語る上でなくてはならない存在ですが、母国ではほとんど知られていません。(中村真一郎伝)
日本では文人の要素として、「隠棲志向」を挙げることはできるのではないかと思いますが、中国においては一般的でないと結論してもよいのかと思います。
なお、大隠の解釈につきましては異論有りません。--萬卯 2006年9月24日 (日) 12:16 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 一言だけ。大陸における文人のあり方についてご存じないのであれば、とりあえず中国関係については確証のない部分を書かずにおき、荒井健 編『中華文人の生活』(ASIN 4582482066) といった定評ある研究書を読んでから加筆した方がよいでしょう。--220.211.148.224 2006年9月24日 (日) 16:51 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。文人を書いていく上で必読書のようですので購入しようと思います。ただ品切れのようで現在古本を探しています。お値段もなかなかです。もしいい出物のがあったら御紹介ください。--萬卯 2006年9月25日 (月) 13:57 (UTC)
天牛書店にありますが、送料を入れると一万円を超えるので、先に本当に所蔵するほど必要かどうか最寄りの図書館で調べることを勧めます。ちなみにこれは論文集で茂木信之「文人と隠逸」、三浦国「白楽天における養生」、村上哲見「南唐李後主と文房趣味」、河野道房「文人画前史」、大平桂一「日日と四季の健康法」、坂出祥伸「老いについて」、田中淡「飲食について」、中原健二「夫と妻のあいだ」、井波陵一「家庭の秩序」、井上進「書肆・書賈・文人」、金文京「湯浜尹と明末の商業出版」、曾布川寛「董其昌の文人画」、荒井健「明末紹興の庭」、合山究「明清の文人とオカルト趣味」、大野修作「文人の残照」、脇田晴子「三条西実隆の風雅」、日野竜夫「桜と日本近世漢詩」、中島長文「魯迅における「文人」性」といった論文が収録されています。京大系の著名な方々が書いていますが、必要なものだけ参照するという選択肢もあるでしょう。--220.211.148.224
涎が出そうなくらいな内容ですね。う〜ん、一万円か。まず図書館を当たってみます。情報ありがとうございました。--萬卯 2006年9月26日 (火) 03:05 (UTC)
結局買ってしまいました。ついでに青木正児氏、中田勇次郎氏の著書も数点入手しました。現在、茂木信之「文人と隠逸」を読んでいる途中です。結論から言って中国において文人には連綿と「隠逸」志向が続いていたということです。ただし、「隠逸」と「隠棲」は微妙に異なる言葉のようです。現在の記事そのものに大きな間違いが潜んでいるとは思いませんが、研究者によっ捉え方に差異が見られるようです。このあたりを記事に反映できるようできればと思っていますが、大部な著書を数冊抱えていますのでしばらく時間がかかりそうです。ご報告まで。--萬卯 2006年9月28日 (木) 13:29 (UTC)
今後しっかり読み込まれていけば、現在の項目の色々不備が見えてくるでしょう。記事の構成自体で言えば中国と日本がごっちゃになっていること、歴史事実の点から言えば中国と日本の相違に気づかれてないことが気になります。あえて言えば、現在の記事は日本の隠逸概念を中国に投影したものとなっており、その意味では不正確でしょう。恐らくらりた氏もそのあたりのことを念頭に置かれて発言されていると思います。手がかりとなる研究書を購入されたようなので、事細かには述べませんし、今現在加筆するつもりも時間もありませんが、私としては構成・記述の再構築を考慮された方がよいと感じます。--220.211.148.224 2006年9月28日 (木) 20:40 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 念の為に言っておきますが、私は「中国の文人に隠棲志向が無かった」と言っている訳ではありません。そこら辺はあまり詳しくないのですが、隠棲志向があった(少なくとも魏晋南北朝時代には)というのは間違いないでしょう。私が言いたいのは中国での「文人」が隠棲志向を持った人物を指す言葉ではないと言いたかったのです。文人の一要素として隠棲志向を挙げられるかもしれませんが、文人という言葉自体が隠棲志向と結び付けられるものではないということです。--らりた 2006年9月29日 (金) 12:13 (UTC)[返信]

とりあえず、問題となる文章をカットしました。文献を充分吟味した上で記事を書き直したいと思いますので、その折りはお二人ともよろしく御教示をお願いします。--萬卯 2006年9月29日 (金) 12:45 (UTC)

主要部分の改訂の報告_2006年10月[編集]

報告 たいへん遅くなってしまいましたが、ようやく主要となる部分について書き換えができました。まだまだ手を加えなければならないところがありますが、まずはご意見を伺えれば幸です。どうぞよろしくお願いします。--萬卯 2006年10月18日 (水) 16:25 (UTC)

「文人」の加筆について。以下、簡単に意見を述べます。
  1. 全体の構成について(一)。文人と隠逸思想がよく共に論じられることが多いのは確かですが、この記事の主体はあくまでも文人であり、隠逸でないことを考慮すると、隠逸については「隠逸」記事を新たに作って書くか、あるいは隠逸以外の部分を相対的に増やすべきだと思います。これに関連して、文人とは文学・芸術の素養ある人々という意味合いがありますが、現記事はあまりにもその点に触れられていません。箇条書きとなっている文人趣味の章を、詳細に述べる必要があると感じます。
  2. 全体の構成について(二)。文人という観念が古い時代からあったのは確かですが、文人と目される人物、あるいは自認する人々が増加しはじめるのは唐代からです。知識教養の習得が生来の身分と必ずしも連動しなくなる時代以降、つまり科挙の実施によって新興の地主層なども知識教養を身に着けるようになって以降文人は増えます。(「なぜ士人という特権階級に生まれながら文人は隠逸志向を持つのか、現代人の感覚からは理解し難い」という一節は、つまり多くの文人たちを対象からはずすことになり不正確です) その点から言うと、変遷部分における唐代以降の分量の少なさは気になります。予想ですが、茂木論文の変遷言及部分を下敷きに書かれているためと思いますが、推薦した『中華文人の生活』には明清時代について詳しく書いた論文も収められています。参照されるべきでしょう。
  3. 全体の構成について(三)。恐らくこれから加筆されるのだと思いますが、日本そして可能であれば、朝鮮における文人の有り様についても言及がほしいところです。(朝鮮についてはわたしもほとんど知りませんが)
  4. 個別の注意点(一)。ところどころ誤解や不親切な記述があります。たとえば「漢学」という言葉ですが、これは現在の日本では儒教の中の訓詁学や考証学をさして言う言葉(朱子学や陽明学といった思弁的な儒教と区別するために使用)として使われることが多く、儒教の意味ではあまり使用されません。(昔はよく使っていましたが。「漢学者」ということばがあるように)ましてや儒教を含む中国の学問全体という意味では使用されません。また「鄭氏の箋」という箇所がありますが、これだと一般の読者には何のことか分からないと思いますので、素直に「鄭玄の注釈」としておくのがよいでしょう。より詳しく説明するのであれば、それこそ最下部に注として書くという風にすべきと考えます。(ただ最近の記事に目立つ何でもかんでも注にする傾向には非常に批判的なのですが。あれは学術文の書き方を知りませんと、自称しているようなものです。)また参考文献の書き方ですが、人文系の学問の世界では、論文タイトルは「」で、著作は『』でくくることが常識となっています。うろ覚えですが、wikipediaではいまだどうするか論議中だったはずですので、とりあえず世間一般的なルールに従っておいた方がよいと思います。
  5. 個別の注意点(二)。リンクが切れています。できるだけ個人サイトは避け、公的なものを推薦してもらえると助かります。たとえば文人画を公開している図書館とか。
以上、小うるさいと思われたかもしれませんが、一考してもらえれば幸いです。期限が設けられているわけでもなし、ゆっくりと加筆していけば良いかと思います。--220.211.148.224 2006年10月22日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
詳細で丁寧なご教授いただき、本当にありがとうございます。学生時代に戻ったようでなにか新鮮な感覚を得て、勉強するぞ!というような気合いが入ってきております。また素人とはいえ、根本的な語義の解釈ができておらず恐縮しております。特に漢学のさすところをまったく誤解しており、ご指摘がなければまったくあらぬ方向に進んでいたことは間違いないと思います。ベースとなる知識をしっかり吸収しておかないといけないと痛感しております。他のご指摘も含めて対応を進めていきたいと思っておりますが、まず早急に訂正すべき点を正した後に「文人趣味」や「文人の芸術」などについて加筆し、必要な要素を満たしていこうかと思っております。またまた時間がかかるかもしれません。どうぞご容赦いただき、再々度のご意見をいただければと思います。--萬卯 2006年10月23日 (月) 09:14 (UTC)
遅くなっておりますが、ようやく、この「文人」の編集作業を再会しました。とりあえず唐宋と明清について加筆をしたいと思います。--萬卯 2007年2月23日 (金) 17:02 (UTC)[返信]