ノート:摂理

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宗教団体摂理という項目について[編集]

この曖昧さ回避のためのページから繰り返し宗教団体の摂理へのリンクとその概説を削除しようとしている方がいますが、納得の行く説明をください。おっしゃるように改名したからといっても(改名したという出典をいただけない上に公式サイトhttp://www.j-cgm.net/ で明確に摂理という名称が高頻度で使用されています)曖昧さ回避のページから削除する必要はないでしょう。Wikipedia上にページが存在しないからリンクを貼ってはならないという理由付けも意味不明です。その理論でいくとすべての赤リンクは削除するべきです。--Tassels会話2014年4月25日 (金) 14:48 (UTC)[返信]

ページの簡略化について[編集]

本項では、「神の御業に例える」、「キリスト教の概念を模倣して用いる」といった表現で、一般的な「摂理」の用法が神学上の「摂理」の用法に由来するという趣旨の説明が行われています。しかし、小学館『日本国語大辞典』によると、「摂理」一般の用例は既に平安時代中期の『本朝文粋』で見られるものである一方、神学上の「摂理」の用例としては1886年の『和英語林集成』第三版が挙げられているので、一般的な「摂理」の用法の方が原義である可能性が高いと考えられるし、少なくとも一般的用法が神学上の用法に由来するとという説明は根拠が不充分と考えられます。また、複数の語義のうちどれが原義かという情報は、曖昧さ回避を行う上で必須の情報とも考えられません。そのため、一般的な「摂理」の用法が神学上の「摂理」に由来するとした説明を削除し、全体を簡略化しました。

また、研究社『新英和中辞典』によると、英語の"providence"には神学上の「摂理」や「神」等の意味しかなく、日本語の「摂理」全般の訳を"providence"とすることは正確さを欠きます。そこで、見出し部分の"providence"を削除しました。また、「万物に適用される法則のことを「providence」(摂理)"と呼ぶことがある。」という記載も、上記の辞書での語義に整合するものではない上、ウェブ上の検索でも根拠が見いだせないため削除しました。さらに、同様の理由でes:Providencezh:普洛威頓斯への言語間リンクも削除しました(なお、これらの項目はプロビデンスと言語間リンクされています)。 --Iewslast会話2019年1月19日 (土) 05:16 (UTC)[返信]