ノート:拳骨拓史

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拳骨拓史は鈴木朝雄か?[編集]

拳骨拓史氏は鈴木朝雄氏でしょうか?ご本人が公表しているブログや著書を見る限り、鈴木朝雄氏と研究論文や過去の実績で重複しているものは見られませんでした。本人を特定できるもの「拳骨拓史=鈴木朝雄」とする確固たる資料がない限り、同一人物として結びつけるのは難しいのではないでしょうか?そのため、鈴木朝雄氏に関する人名・略歴・業績の一切を削除いたしました。もしも、それらを繋げられる論拠とするものがあるならば、ご教示いただきたいと思います。--以上の署名の無いコメントは、Yama-takashi会話投稿記録)さんによるものです。2009年8月30日 (日) 02:42‎(UTC)


生年月日 出身地 研究テーマ 師匠 が共通する拳骨拓史と鈴木朝雄氏についてですが 遅ればせながら回答します。鈴木朝雄と拳骨氏は同一人物です。 月刊日本の論文には「メガネに太い眉毛の拳骨氏を特徴づける」鈴木朝雄氏の写真も掲載されています。 ただ月刊日本は手に入れにくいと思われますのでもうひとつはっきりした証拠として


拳骨氏の著作である『日本陸軍に学ぶ「部下を本気にさせる」マネジメント』2008年 扶桑社 のなかの第一章「兵法の発祥地は日本」の北条氏長 三井高利 白圭の部分は 鈴木朝雄氏が平成15年に戦略研究学会で発表された論文『「兵法経営」の史的研究』のなかの 『「兵法経営」の祖、白圭』、『「兵法経営」の祖、北条氏長』、『三井商法にみる「兵法経営」』 をそのまま移植したものです。

もし拳骨氏と鈴木氏が別人なら拳骨氏は鈴木氏の論文を盗作したことになります。--126.112.48.246 2009年9月5日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

同論文は、国会図書館で閲覧いたしました。が、自らが公開していないものを掲載することは、wikipediaでの掲載ルールに反するものと考え、再度削除いたします。 あなたはご本人の容姿について書いていることから、親しい関係者?であると想像され、このことから「鈴木朝雄=拳骨拓史」である「かも?」知れませんが、ここはWikiのルールにのっとるべきであると考えます。いずれにせよ、「自らが公開していないものを掲載しない」という原則に基づいて再度、研究業績などを削除いたします。--以上の署名の無いコメントは、Yama-takashi会話投稿記録)さんによるものです。2009年9月6日 (日) 10:53 (UTC)[返信]