ノート:折口信夫

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参考までに[編集]

折口信夫門下に穂積生萩本名澤木数枝と申される女性がおられる。1978年にこの女性が「私の折口信夫」を講談社より出版している。2001年5月に文庫サイズで中央公論の新社より出版されている。内容は実に衝撃的なものでありまして、古式ゆかしき文章で、女嫌いで男色との噂のあった折口が、実はほのかに、この女性を慕いしのんでおられた事を、実に明瞭に書きとめて記載しておられるのだ。後書きの中にさり気なく下記のような言葉を述べておられる。「私がただひとりの女弟子であったかどうかは、真偽のほどはわからない。女の弟子はたくさんあったろうけれども、私と折口信夫の関係は、師弟でもありながら、私は、先生の男性を呼びさまし、意識させる役割をより多く持っていたと言えそうだ。その点ではただひとりの「女」弟子であったろう。つまり事実は小説より奇なりであります。故三島由紀夫氏は杉山画伯の娘さんと結婚される前に、一度お見合いをされておられますが、そのお見合いのお相手が、正田美智子さん現皇后陛下であった事は当時隠されておりました。後に氏の親友の村松剛氏が自著の中で暴露されておられます。百科事典とは言え、あまり断定的に論ずるのは、ちと危険ではないかと危惧致しております。年寄りの姥心。*中公文庫「私の折口信夫」より引用す--以上の署名のないコメントは、124.98.2.102会話/Whois)さんが 2006年10月28日 (土) に投稿したものです。

2014年の投稿[編集]

1887年に生まれた人間が終戦時に60歳を迎えていたとか正気で書いたとは思えないのだが、1週間以内に典拠が示されなければその節全部カットするのでよろしくお願いします。--121.3.199.207 2014年8月1日 (金) 23:44 (UTC)[返信]