ノート:抑圧された記憶

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「抑圧された記憶」という名称[編集]

記憶によっては思い出さないほうが元気に生きてゆけることはありますよね。
キャビネットの中の大切な書類に限っていえば、確かに必要な時にすぐに取り出せたほうが便利ですけれど、邪魔だと思ってゴミ箱に捨てた古いものが、勝手にこぼれ出てきたり、誰かによってほじくり出されて部屋の床や机の上に散乱したりすると、現在と将来の作業に差し障りが出てきますね。さらに、軽い気持ちで逆さまにしてみたゴミ箱の底に、予想外のおぞましい生ゴミなどが入っていて落下した勢いではじけ散ったりした時などは目も当てられませんね。
「抑圧された記憶」という名称ですが、定着してしまっているようで、このウィキペディアの項目としても多分変更のしようもないのでしょうけれど、そもそも心理学の専門家による「抑圧された記憶」という名称の選択自体に"なんでもかんでも思い出したほうが良いのだ"、という先入観が微妙に入り込んでいませんかね? セラピーをすることによって収入を得たり自己確認をしているセラピストにとっては、ついそう思いたくなってしまう、つまりセラピーを肯定するバイアスがいつのまにかかかってしまうのでしょうが、「人間の幸福」という観点からは、疑問に感じることもあります。記憶を思い出さないようにすることをもっと肯定的に表現する心理学用語もあっていいように思うわけです。
もっとも、特別な事情がある時は、ゴミ箱を探索するノウハウも必要な時はあるので、決してその技術を否定ばかりする気はありませんが。ゴミ箱の中から、時には探していた大切な指輪や鍵やパスワードのメモがひょっこり出てきたりすることもありはしますからね。 ゴミ箱をさかさまにする前に、ブラックボックス化しているゴミ箱の中の価値あるモノと不要・有害なモノの量を事前に察知できる技術があるといいのでしょうね。
まあ通常の人は、経験則から言って、ゴミ箱漁りはわずらわしさの割りにはメリットがほとんど無い、デメリットが多いと感じ、次第にそれはしないようになってゆく人が多いように思えますが。こういうことは個別の事情によるのであって、一般化はできないのでしょうね。  -- Kioku 2007年2月2日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

確かにそういう場合もあると思うので、全てを思い出すべきと言う考えはアメリカ合衆国で支持されていない事、精神医学において全てが虐待のせいとは限らないと念を押した事などを書いておきました。
しかし、性的虐待を受けた人は何でもかんでも忘れてしまう事が問題となるのですが。つまり、レイプされそうになるときの極限状態での抑圧された記憶による「フリーズ」を引き起こす事が問題となるのだと思います。再被害を防ぐためにある程度自分の限界を推し進めるためには思い出す事は必要な場合もあります。
また、「抑圧」という用語が結構曖昧に使われている事、特に現在「抑圧」よりも「解離」の方が重視されている事も明記すべきかとも思います。--The Side 2007年2月3日 (土) 04:14 (UTC)[返信]