ノート:懐疑主義

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心覚え。

  • 懐疑主義と懐疑論はどっちが一般的な用語なんでしょう(私は後者になじんでますが、ここで取り上げられている話題全般に使われる語かどうかは不明)。
懐疑論は懐疑主義によって得られる成果、という感じがしますが。--shinya~ 2005年6月11日 (土) 15:39 (UTC)[返信]
  • セクストゥス・エンペリコスに触れるのを忘れました。
  • ヒュームはもう少し記述が伸びると素敵ですね。(他人任せ)
  • ヘーゲルやカントが(彼らは懐疑論者ではないですが)懐疑論に注目していたということば触れてもいいかも。どう構成するかというのが思いつかないです。すいません。

とりとめなくすみません。

ひとつの提案として。--Inabasan 2008年3月6日 (木) 17:48 (UTC)[返信]

  • 懐疑論を自己の哲学的立場としている人物は懐疑主義者、懐疑論について否定的だが語っている人物については、○○の懐疑論という風にしてみてはどうでしょうか。デカルト的懐疑はあってもデカルト自身は懐疑主義者ではないと思いますので。
  • ピュロン主義を独立させるべきなのか迷っています。あまり分散させない方がいいとは思うのですが。

現代の懐疑主義について、最後の部分を削除しました。疑似科学が増殖しているか減少しているかは不明であるため。おそらく時に増殖し、時に減少しを繰り返しているのだと思いますが。--124.211.118.91 2008年8月18日 (月) 07:38 (UTC)[返信]