ノート:律令法

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律令制との統合について[編集]

律令制との統合について悩む。律令制に基づいて律令法がつくられたので、重複部分があり、統合の意見があるのは当然のことである。しかし、律令法の研究史については、律令制の研究と若干異なるからである。--Lennon 2005年5月19日 (木) 23:37 (UTC)[返信]

統合がいいかどうかは、あまり急がないと思います。ただ、気になるのは、ここは百科事典なのですから、読む人のことを考えると律令制律令法があったら、どちらを読んでいいのか迷うかも知れません。研究からいうと法と制度ということになるのでしょうか?Izuamagigoe 2005年5月20日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
統合しないほうがいいのでは?「律令法」には法律としての解説をして、「律令制」には政治制度としての解説をすればいいと思います。Stanislaus 2005年6月15日 (水) 08:39 (UTC)[返信]

江戸時代の律令研究[編集]

疑問なのだが、江戸幕府や諸藩が自己の法を作る時に参考にし、荻生徂徠・北渓兄弟らによって江戸時代に盛んに研究が行われた明や清の律についての項目がないのはどうなのか?

確かに日本の律令についてしかかかれていません。他の国での律令もあった方がいいのでしょうが、問題は詳しい方がおられるかどうかですね。Stanislaus 2005年6月15日 (水) 08:39 (UTC)[返信]

律令制と律令法[編集]

日本史だけに限って言うならば、律令制律令法は、強い関連を持ってはいるけども別個の実態を持つ概念です。7世紀後期の倭国政府は唐の脅威に対抗しようと国力の増強に努めました。そこで、仮想敵国である唐の律令を参考にして自前の律令を制定し、それによって新たな国家体制を構築しようとしたのです。この「新たな国家体制」を史学では便宜上、律令制と呼んでいます。「新たな国家体制」は8世紀前期に全盛を迎えますが、国力がついて体制が安定すると、それまでにない経済問題や政治課題が浮上し、8世紀末までに「新たな国家体制」は別の体制へと変質してしまいました。つまり、律令制は遅くとも8世紀末までに消滅したのです。一方で、「新たな国家体制」を規定していた法体系(=律令)は、9世紀以降も格式による改正・補強を受けながら存続していきます。すなわち、律令法という体系は、律令制が消滅した後もしぶとく生き残っていったのです。だから、両者は別物であり、統合の対象にはなり得ないのです。実際に図書館で百科事典を見てみると、両項目が並立しています。だから、統合の議論はこの辺でお開きとしてはどうでしょう?
ただ、「読者は律令制律令法のどっちを読むか迷うのでは」との懸念も示されてますので、その辺はうまく整理してみようと思います。さらに、本家中国の律令に関しても、律令律令制に簡単なアウトラインだけ加筆しときます。ついでに、江戸期の明律・清律研究についてですが、律令制に記述されているという現状は適切と言えないので、律令法へ移動するか、新規項目として立てるかしてみます。shimoxx 2005年8月20日 (土) 17:15 (UTC)[返信]
特にご意見がありませんので、とりあえず律令法律令制の冒頭にある記事統合テンプレートを外しておきます。--しもー(shimoxx) 2005年9月13日 (火) 03:27 (UTC)[返信]

項目名「律令法」を「日本の律令法」に変更するとか、「日本法制史」とすることも考えられますね。Shishin 2005年10月11日 (火) 23:42 (UTC)[返信]

「律令法」という概念は日本だけのものなんですかね?それとも中国や韓国やベトナムにも存在してるんですかね?もし日本にしか存在しないのなら項目名を「律令法」のままにしといて構わないと思いますが、他国にも「律令法」という概念が存在するのなら「日本の律令法」等に変えるべきでしょうねえ。どなたかお詳しい方のご意見を伺いたいところです。--しもー(shimoxx) 2005年10月13日 (木) 17:03 (UTC)[返信]
「『律令法』という概念」って何ですか?「律令法」という項目名は、「律令制」とも混同しやすいので、「日本の律令法」とか「日本法制史」ぐらいにしておく方が、分かりやすいのではないかと思うのですが。Shishin 2005年10月14日 (金) 09:36 (UTC)[返信]
自分は法制史を本格的に勉強した訳でないので、的はずれなことを言っていたらお許しください。管見では、律令法という概念は、法制史学上、固有法・公家法本所法武家法などと並ぶ非常に重要な概念として扱われているようです。日本以外の他の地域、例えば中国の法制史でも「律令法」という概念が存在するのであれば、「日本の律令法」という項目名に移動するか、今の律令法に中国の律令法について加筆すれば良いだろうと思います。また、既に日本法制史という項目がありますが、これは江戸期以前の法制史を包括的に概観する項目なので、律令法をこの項目へ統合するのは適当でないと思われます。紙の百科事典を見ると、「律令制」のとなりに「律令法」という項目が置かれていることが多いので、ja.wpに律令法という項目があっても特におかしいことではなさそうです。--しもー(shimoxx) 2005年10月16日 (日) 09:56 (UTC)[返信]
「『律令法』という概念」が大事だと言われても、どんなものか分かりませんし、武家法は武家の法という意味で鎌倉から江戸までの法を指すのだろうし、公家法とは平安の貴族の法を指す(?)とすると、律令法はどうなるのでしょうねえ。紙の百科事典にはどのように書いてあるのでしょうか?Shishin 2005年10月16日 (日) 13:14 (UTC)[返信]
大抵の図書館には百科事典がありますよ(^o^)。自分も数ヶ月前に図書館へ行って律令制と律令法を百科事典で調べました。律令法自体についてですが、律令法でかなり説明されていると思います。史学上、律令(+格式)・律令制律令法いずれも異なる概念で、自分もこれらの違いを判りやすくするよう工夫したつもりだったんですが、まだまだということなのかなあー。反省。--しもー(shimoxx) 2005年10月16日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
[1][2][3]には「中国律令法」というような使い方がたくさんありますね。
話変わって、[4]は、ウィキから転載したと書いていないので、問題では?ウィキの方が早いようです。
Shishin 2005年10月18日 (火) 08:09 (UTC)[返信]
最後のリンク先はGDFL違反してるようですね。困ったもんですね。--しもー(shimoxx) 2005年10月20日 (木) 12:06 (UTC)[返信]
律令法と言う言い方はこの記事で初めて知りました。中国史の分野ではそのような言い方は多分しないと思います(私が知らないだけかも)。Shishinさんの挙げられたリンク先は法学の方のようなので。(律令法って意味が重複しているような気もするんですけど)らりた 2005年11月1日 (火) 13:09 (UTC)。全面撤回。らりた 2006年7月22日 (土) 14:38 (UTC)[返信]

唐の脅威って?[編集]

「7世紀後期の倭国政府は唐の脅威に対抗しようと国力の増強に努めました。」 下線部分の「唐の脅威」って、具体的にどのような史実でしょうか?Shishin 2005年10月20日 (木) 12:41 (UTC)[返信]

話せば長くなることながら、早く言っちゃえば、建国期から7世紀後期にかけての唐が非常に強い対外進出の傾向を見せていたことを指します。東アジアでは、この時期に高句麗と百済が唐によって滅ぼされました。倭は両国、とりわけ百済と固い同盟関係にあったので、「次は自分たちの番」との危機感を強く抱き、国制整備を精力的に進め、律令制を構築するに至りました。古代史学の研究者の本を読むと、だいたい以上のことが記されてます。--しもー(shimoxx) 2005年10月20日 (木) 13:06 (UTC)[返信]