ノート:庶子

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御質問に対する回答[編集]

会話ページの質問に対する回答です。何か長文になってしまいました。

定義の中にも、非嫡出子のことと書いており、嫡出には『嫡出(ちゃくしゅつ)とは「婚姻関係にある男女から生まれた」の意。嫡出子とは婚姻関係にある男女から生まれた子である。嫡出でない子は非嫡出子と称される。』とある以上、結婚(婚姻)制度の確立により、嫡子、庶子の概念が生まれるのは自明のことです。婚姻関係にある女性が何人いようと、その間に生まれた子供は嫡子で、それ以外の女性の子供は庶子または私生児です。

イスラム教の場合も、婚姻関係にない女性との子供が庶子となるはずです。イスラムに庶子がいないのかは、良く知らないのですが、歴史上では奴隷との子供が存在するはずです。ですので、嫡子のことではなく、イスラムに庶子はいるのか、いるとしたらどうなのかを書いて欲しいのです。サンコン氏の件をコメントアウトしたのは、それに加えて庶子を主に歴史的な表現と冒頭で述べているのに、現代のサンコン氏が出てくるのに違和感があったせいもあります。

次にモラルの点ですが、儒教においてモラルの禁忌はあるのでしょうか? 孝の観点からは祖先の社稷を絶やすことが最も罪悪であり、それを避けるために妾を持つことは、むしろ推奨されていたように思います。もちろん、礼の観点から嫡庶の差別は明確にしているでしょうが、それは世俗的な差別であり、モラル的なものではないはずです。ただ、朝鮮の例を見ますと、世俗的な差別がモラルに影響を与えることはあるのだろうとは思いますが。

王朝時代の「通い婚」においては、嫡子、庶子の概念は、無かったと思います(概念ができるのは鎌倉頃からか)。繰り返しになりますが、庶子がなかったことを書く必要は無いと思います。 むしろ問題になるのは、地域、時代によって婚姻制度は様々であり、婚姻制度の確立とは何かと言う点ですが、それは婚姻に譲ったほうが良さそうです。

最後に庶子の例ですが、日本では庶子はいくらでもいるため、庶子であることが、その人の活動や歴史への影響において重要であった例に絞るのが良いと思います。その点から言えば徳川吉宗は御三家の三男として生まれたにも拘わらず、将軍になったと言う点が特異なだけで、庶子であったことはあまり意味をもたず、代表例にはならないかなと思っています。庶子でありながら嫡兄に取って代わった上杉謙信や庶兄で嫡子の弟と争った人物、兄なのに母の身分が低かったため跡を継げなかった結城秀康、庶子で叔父直義の養子となって実父尊氏と争った足利直冬などの方が、庶子の例として興味深いのではないでしょうか?

Zorac 2007年1月25日 (木) 13:45 (UTC)[返信]

確かに徳川吉宗は特筆すべき人物ではないように思います。ただ、吉宗に限らず、徳川幕府の将軍のほとんどが庶子だったことは、それなりに必要な記述だと思い、以前書き込みました(その場合は正室と側室の話になってしまうので微妙なズレはあるにはありますが……)。Zoracさんがあげている例は、確かに興味深そうですね。--ぽえこ 2007年2月12日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
「徳川幕府の将軍のほとんどが庶子だったこと」は必要だと思います。日本が比較的、庶子の差別が少ないことを示す例になっています。但し、徳川幕府の場合は意図的なもので、少し特殊だと言えますが。 Zorac 2007年2月13日 (火) 13:41 (UTC)[返信]