ノート:序破急 (企業)

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気づき点[編集]

実際に色々な出典に当たってきたのですが、出典間の矛盾・出典に明記していないなど、書けない事項についてノートで触れておきたいと思います(それが、会社記事の割には核心に触れられない理由としておきます)。もっとも、明記してある出典を見つけたら、本文中に反映したいと思います。

まず、会社について。現社長の蔵本順子が興した会社。父の蔵本登が興した会社があり、それがある程度独立した物みたいです。現運営会社の株式会社序破急ですが、蔵本順子らが主になって、1981年に興した会社では無かろうかと思います。興行専門会社で、旧社名が公楽産業有限会社ではなかろうかと思います。理由として、『広島商工名鑑』の2007年版1069ページを確認し、公楽産業が1981年創業(序破急と同じ年)で有ること、また事業内容も序破急と同じであることを理由として上げたいと思います。ただ、本文中の出典にあるとおり「(旧)サロンシネマは家賃を払っている」について、ある矛盾を関しておりました(父が造った建物に家賃を払っていた理由)。

『日本映画は、いま』の34ページに、1990年代時点で蔵本登は不動産関係の会社を運営しているとあります。実際に(旧)サロンシネマに行き、出典中にも出てくる社名三和興行(蔵本興行)が、恐らく蔵本登が運営していた会社で、当初は劇場運営をしていたが序破急に移管。その後家主のような関係になったのではと推測しています(実際に劇場運営にも出てくる名称であります)。もっとも、父が運営している会社ですので、一定の支援は行いつつも(名義上の信用保証を含めて)、興行については序破急が行う形になっていたと思います。その上で、ある時期に三和興行が蔵本順子が関わっていない会社になったのかも知れません(詳細は解りませんが)。それが「父が造った建物ではあるが、家賃を払っていた」理由なのではと思ったりしています。

蔵本順子が1976年に公楽産業に入社とありますが、本当の所は父の会社の三和興行に入社したのでは(それも名義上の話で)と思っています。

それと、一時期シネツインが別会社だったのは、序破急・ヘラルド・エース・テレビ新広島の共同出資だったと考えるのが自然ではと思います。それが2003年頃に、序破急単独で運営するようになったのではと思います。

社史とかサイトに書いていないので、確認出来るレベルでの記述にしておりますが、もう少し時系列の繋がりがよい資料があれば、見直した方が良いのかなと思います(もし、良い資料がありましたら、教えていただければ嬉しく思います)。--Taisyo会話2014年10月29日 (水) 14:05 (UTC)[返信]

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