ノート:川島喜代詩

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「ジャーナリズム」について[編集]

「歌風」の節の「昨今の短歌ジャーナリズム」で始まる段落は、直接関係ない記述のように思われます。消去したほうが良いように思いますが、いかがでしょう?--アイザール 2008年8月22日 (金) 04:31 (UTC)[返信]

「昨今の短歌ジャーナリズム・・・」については、一番主張したい本質はここなのですがこの短文ではやむを得ませんか。なんとかこのニュアンスを入れる方法はないでしょうか。本来の素稿は2.歌風の次に、3.歌集の代表歌とそのあとがきなのですがここでは無理でしょうか。だめでしょうね。 --Dirou 2008年8月22日 (金) 05:40 (UTC)石川民雄 [返信]
個人的な感想を言えば、今の歌壇では、一首ごとよりも、作者の人生を重ねて鑑賞する傾向が強いように思いますけど・・・ね(独自研究 笑)。
この件は、川島氏に関する事柄というより、短歌全般に関する事柄でしょうね。ただし、これには公刊された評論などの出典が必要でしょう。
代表歌については、その作品に関する解説を付せば引用は可能でしょう。でも、どの歌を代表歌とするかが問題ですね。川島氏に関する評論を出典とする必要があるでしょう。何かの短歌雑誌に、追悼特集とかでてませんでしたっけ?--アイザール 2008年8月22日 (金) 06:03 (UTC)[返信]


代表歌について[編集]

アイザール様川島氏には短歌総合誌の『歌壇』昭和62年6月号(創刊号)に宮柊二と共に「特集・シリーズ今日の作家」があり、ここのなかに「自選100首」があるのですが、これは代表歌として、ウィキペディアに自由に書き込みができますか。追悼記事では『短歌往来』2007年7月号に「追悼50首抄」(他選)があります。最近奥さんも亡くなり、子供もいなかった川島氏ですので著作権も不明なのですが。お手数ですがご教示できれば幸甚です。--Dirou 2008年8月22日 (金) 09:35 (UTC)石川民雄[返信]

第三者がよく論評したり、引用している歌を用いればいいでしょう。特に「追悼50首抄」の中の歌は、代表歌とみなすにふさわしいでしょうね。
著作権のことですが、著作権法に定められた正規の「引用」方法に則っていれば、誰に許可を得る必要もなく引用できます。この場合は、そうですね、歌を収録した「歌集名」をそれぞれ明記し、引用した歌の文字量をそれなりに越える「歌の解説文」が同時に投稿されれば問題ないでしょう。つまり、ただ代表歌を10首、20首となんの説明もなく並べて書いては問題が生じます。記事全文を「解説」と見做して、1、2首だけぽつんと書くことも可能でしょうが、百科事典の記事としてあまり推奨できませんね。三省堂の「現代短歌大事典」などが書き方の参考になるかと思います。たしか、川島氏の項目もあったのでは? そこで紹介されている歌なら、文句なしに「代表歌」でしょう。--アイザール 2008年8月25日 (月) 02:16 (UTC)[返信]


発言の出典について[編集]

「見ることは気づくこと」で始まる川島氏の発言は、どの著作に記されたものでしょうか? 明記お願いします。--アイザール 2008年8月22日 (金) 04:35 (UTC)[返信]

①「気づくこと」は第3歌集『星雲』の後記
②「こころを留めること」は第4歌集『人の香』の後記
③「こころをあずけること」は第6歌集『消息』の後記
④「人のこころを暖めるもの」は第3歌集『星雲』の後記
⑤「こころの器である」は第5歌集『水の器』の後記
以上ご指摘の出典を明示しました。 --Dirou 2008年8月22日 (金) 05:40 (UTC)石川民雄[返信]
ありがとうございます。私もチェックして、後に修正してみます。--アイザール 2008年8月22日 (金) 06:03 (UTC)[返信]