ノート:山崎行太郎

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「ブログを介して世間やメディアに大きな影響を与える人物」という方針に基づき、カテゴリーからブロガーを削除しました。--NOBU 2008年3月17日 (月) 15:14 (UTC)[返信]

124.214.182.8さんへ。反論されている出典つき記述を除去する理由を述べてください。ここは売名する場ではありません。POVにならないようにしてください。--Namisenjin 2008年7月10日 (木) 12:58 (UTC)[返信]

Hiasinsu なるユーザーも124.214.182.8 とまったく同じ行為をやってますね--おいかわ 2008年7月10日 (木) 17:14 (UTC)[返信]
別に削除はしなくてもいいと個人的には思いますが、そもそも引用方法じたい恣意的に見えますですねこれは。SAPIOの対談記事と照らし合わても「曽野が誤読していなかったことが判明しており」という断定の根拠が弱く、また「曽野が誤読などしていないことが"明らかにされ"」なんていうブログの原文にもなかったような表現が書き加えられていますが、これには編集者の主観(件の人物評価)を既定事実化したいという強い意図が感じざるをえないです。まずは原文は原文のまま、すべてを引用符で囲んで処理することから努めたほうがよろしいかと思います。--121.84.168.226 2008年7月10日 (木) 23:32 (UTC)[返信]
引用されていた箇所ですが「曽野が誤読などしていないことが明らかに」したものにはなっていません。全く根拠としては薄弱です。池田信夫氏ですら述べていない引用者の意見を、引用箇所を証拠として付け加えることに妥当性はないと考えます。この流れから論理的にわかることは、
   1 対談における「巨魁」の漢字は編集部が選択した
   2 従って、曽野氏は校正の際に見落としたかまたは、それを自身の意図に合うものとして承認した
   3 文字の誤りは曽野氏の責任が小さい可能性もある(校正で見落とした責任はあるが)
でしかないでしょう。引用元での池田氏自体、曽野氏の責任でない可能性を強く示唆しているのみです。引用するのは良いとしても、するならばあなたの主観を排除し、また、山崎氏の反論も載せて両論を併記した方がよろしいかと思います。 Buyobuyo 2008年7月11日 (金) 00:46 (UTC)[返信]
初版が正しい字なのですから、山崎なる者の指摘である「曽野が誤読で調査を始めた」と言う主張は崩れているわけです。まさに彼の調査不足である表面的な評論であったことになります。しかし「明らかにされ」の表現は確かに私の主観が入っていると言われれば、そうかなとは思いますので修正しておきます。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 10:15 (UTC)[返信]
それでいいと思います。ただ後のSAPIO対談記事による曽野氏の「人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を『罪の巨魁』と思ったことはない。だから罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです」なる発言は既に「巨魁」のニュアンスでコメントされたと見て差し支えない(渡部昇一氏による引用も同様)。もしこれが編集段階や読者的なニーズに沿ったミスリードでなければ、いわば後天的誤読といいますか、氏自身の積年の記憶の中にあやふやな記憶違いが生じていると考えられます。--121.84.168.226 2008年7月11日 (金) 14:13 (UTC)[返信]
池田信夫氏の下品な罵倒は後から山崎氏による名誉既存訴訟などの法的な問題に発展する可能性もあるので記述しない方が良いかと思います。また、細かい変種を短時間でちまちまされるのは大変迷惑です。止めてください。Buyobuyo 2008年7月11日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
121.84.168.226サンへ。
「巨魁」のニュアンスでコメントされたと見て差し支えないというのは121.84.168.226サンの意見・捉え方として理解しましたが、SAPIO対談記事の少し前の産経の記事[1]を見ると 私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。 と曽野は「罪の巨塊」として同じことを語っています。これが「後天的誤読」なのかどうかは私には判断しかねますが、なるほどと思える考え方だと私は思いました。まあ、それぞれの受け取り方次第なのかなと思いますが、少なくとも山崎の「誤読から始まった問題」ではないことが明らかです。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
なるほど。そこまで明確な意図を持って語られているのを見ると、逆に曽野氏は執筆当初より「巨魁」の意味で「巨塊」という文字を選択されていたという線も考えられます。これが文学者の微妙な表現のあやか、ただの誤用かも伺い知れませんが、「巨魁」というニュアンスで用いられたこれらの内容は少なくとも裁判過程で大江氏が開示した表現意図(死体)あるいは池田氏の推測内容(巨きい罪)とも異なるという意味で食い違っているということです。むろん同意される必要はないですが論点として呈示します。--121.84.168.226 2008年7月11日 (金) 15:24 (UTC)[返信]
曽野も池田も同じ捉え方でしょ。「罪の巨塊」とは「罪の大きな塊」のことでそれは赤松のことを指しており、文法上からもそれは明らか、という。曽野も「罪の大きな塊な人ってどういう人なのか?」と思ったと最初から述べていますし。私も裁判問題が出る前に大江のこの本をすでに読んでおりましたが、まさか「死体のこと」とは思いもしませんでしたね。恐らく日本中で、それが「死体」と思った人はいなかったのではないでしょうかね?辞書にもない、ノーベル賞作家の凡人には理解できないオリジナル表現に驚かされましたよ。少なくともそのレベルのものを「誤読」と決定付けるのは難しさがありますね。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 16:29 (UTC)[返信]
ではその他「沖縄ノート」に故赤松氏を明白に罪人と断じて責めたてるがごとき表現はあったか、逆にお訊きしします(それさえ分かれば「巨塊」記述が名誉毀損の主たる事実として焦点化する手間もいらないのです)。以前広島原爆碑の「過ちは二度と繰り返しませんから」なる碑文につき、その主語が何なのか、と一部で問題視されたことがありましたね。また大江氏自身も「開国以降、百二十年の近代化に続く現在の日本は、根本的に、あいまいさの二極に引き裂かれている、(中略)そのあいまいさに傷のような深いしるしをきざまれた小説家として、私自身が生きているのであります」(あいまいな日本の私)と述べています。私もそのような一億総懺悔的情緒を持つ一人として"日本中で、それが「死体」と思った人はいなかったのではないでしょうかね"とは思わないし、これまでの氏自身の取り組みからしてそれが偽りの心情とも言い切れません。ただ「ああいう人ってのは人格あるのかね」という率直な感想を述べた石原氏のように「文学者としての表現」という逃げ道がちゃんと残されており、鵜呑みに出来ないことも同意できるのです。--121.84.168.226 2008年7月11日 (金) 18:07 (UTC)[返信]
 ああ、それは赤松隊長のことをアイヒマンになぞらえた箇所とか、屠殺者と表現した箇所とか、ペテン扱いしたこととかを挙げればいいんですかね?--おいかわ 2008年7月11日 (金) 18:40 (UTC)[返信]
 それは失礼しました。大江氏自身はあくまで包括的軍命による犯罪性を主張してますが、判決は公の事実という免責事由つきで名誉毀損認定してましたね。大江氏の主観と司法判断を分けて考えるのを忘れてました。--121.84.168.226 2008年7月11日 (金) 19:43 (UTC)[返信]
故赤松氏を明白に罪人と断じて責めたてるがごとき表現はあったか→あったということをご理解いただいたようで安心しました。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 21:18 (UTC)[返信]
Buyobuyoサンへ。
山崎が池田を訴えるなら、それで良いではないですか。wikipediaとは関係ないことです。それもこちらに記載すれば良いことです。それを理由に何ら記載すべきで文章ではない、とは成り得ません(そもそも未来のことを予想しても仕方ありません)。池田が下品発言ならば同じレベルの発言を山崎はしており、訴えるならば面白いものだなと思いますね。あとあたなは人の行為をチマチマなどと言葉使いに少しお気をつけくださいね。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
数分ごとに数バイトずつの編集には「チマチマ」という形容は全く妥当なものだと私は認識しています。ガイドラインを熟読し、このような編集は推奨されていないということをご理解いただき、あなた自身の投稿の方法に問題があることを認識していただければ幸甚です。[2]プレビューの活用やテキストエディタなどで編集・推敲などしてからの投稿などを強くオススメします。 Buyobuyo 2008年7月11日 (金) 16:45 (UTC)[返信]
一度に編集すべきなことは理解しており、注意したいとは思ってます。しかし言い方というものがありますので人の行為を「チマチマ」などと言う表現が普通とお考えでしたら、改めておいたほうがよろしいかと思います。実社会でもお気をつけを。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
本題とは外れるので別にいいのですが、ちまちまという言葉からネガティブな意図を読み取るのは勝手ですが、それはあなたの特殊な語感ですよ。そういう偏った考えで批判されると余り愉快ではありません。 Buyobuyo 2008年7月12日 (土) 04:09 (UTC)[返信]
あと一つ確認ですが、121.84.168.226サンとBuyobuyoサンは別人と捉えてお答えしてよろしいのでしょうか?(あまりにも同時にお二人が出てくるもので・・)--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 15:12 (UTC)[返信]
疑心暗鬼なのも分かりますが、Buyobuyo氏の言い分は編集部のミスにより「文字の誤りは曽野氏の責任が小さい可能性もある」という点で、私の見方と決定的に違います。またこういうやりとりが大仰にも訴訟沙汰まで発展する懸念すらありませんので--121.84.168.226 2008年7月11日 (金) 16:19 (UTC)[返信]
なるほど。それは失礼しました。まあ、著者の校正責任の指摘・批判ならば理解もできるのですがねえ。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 16:29 (UTC)[返信]
ウォッチリストに登録していることを考えれば別段驚くべきことではありませんよ。 Buyobuyo 2008年7月11日 (金) 16:45 (UTC)[返信]
結局124.214.182.8氏は現れませんでしたね。それからこれは論議とは直接関係ないことですが、ある所で私おいかわとNamisenjin氏の同一人物疑惑が持ち上がっているようですので一応書いておきます。私おいかわとNamisenjin氏は別人です。--おいかわ 2008年7月11日 (金) 17:29 (UTC)[返信]
124.214.182.8氏の都合の良いうように保護されてしまいました。この状態ですとますます124.214.182.8氏は出てこないと思われます。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 20:18 (UTC)[返信]

保護のタイミングには「誰かの都合」という要素を管理者が考えることはありません。保護は1週間で解除されますので、いずれにしてもみなさんがクールダウンをしてくださることをお願いいたします。--海獺(らっこ) 2008年7月11日 (金) 20:30 (UTC)[返信]

そういうつもりで申したわけではありませんが、語弊がありましたらお詫びします。--Namisenjin 2008年7月11日 (金) 21:00 (UTC)[返信]
でも124.214.182.8氏はここに来てくれないんですよね。そういう場合合意の取りようが無いんですが、そういうときはどうすればいいんですかね。--おいかわ 2008年7月12日 (土) 02:00 (UTC)[返信]


メモ[編集]

編集履歴を見たのですが、利用者:124.214.182.8会話 / 投稿記録氏以外にも、利用者:山崎義章会話 / 投稿記録利用者:Hiasinsu会話 / 投稿記録利用者:Heavypiece会話 / 投稿記録利用者:及川愛実会話 / 投稿記録という、このページだけしか更新しないユーザーが複数存在しますね。これって靴下なのかな?--おいかわ 2008年7月12日 (土) 16:01 (UTC) ※細部編集--おいかわ 2008年7月14日 (月) 06:48 (UTC)[返信]

すべてCUしてdionIPでしたら濃厚ですね。私個人の感想としては記事の本人濃厚という気もしますが。彼がブロックあけて、まだ同じ行動するようでしたら、CU含めて考えましょう。--Namisenjin 2008年7月14日 (月) 05:38 (UTC)[返信]

この記事の初版を見ると宣伝文句っぽい記述もなされているので、本人が作成した可能性というのも否定できませんね。初版作成者もdionIPですし。偶然かもしれませんが。--おいかわ 2008年7月14日 (月) 11:24 (UTC)[返信]
またこのページしか編集していない新規ユーザーが現れましたね--おいかわ 2009年1月19日 (月) 07:26 (UTC)[返信]

タグ剥がしと記事自体の特筆性について[編集]

2008年7月に「検証可能性」と「中立的観点への疑問」のタグが本記事に貼りつけられました。もうすぐ5年が経過しようとしていますが、未だに脚注が満足に付け加えられることもなく、宣伝的記述が多く、中立的立場も守られていませんでしたので、本人が公開しているプロフィールを参考に出来るだけ脚注を付け、それ以外の記述は一切を削除致しました。これ程の長い期間にわたってタグが放置されているのですから、本来であれば削除されていてもおかしくありません。

またこの評論家についてですが、特筆性のある評論家でしょうか。 齢66、長い間評論活動を行っているようですが、13年現在で著作はたった4冊、出版社も聞いたこともないマイナー出版社ばかりで、そのうちの1社はすでに倒産しています。

これといった業績もなく、継続的な主要誌での活動もなく、4冊の著作はベストセラーにもなっておらず、適当な発言をして法的措置を執ると言われれば謝罪もなく逃げたり、名前を検索にかければくだらない、活動とも呼べない行為ばかりを行っています。

本記事はそのほとんどすべての記載を本人公表プロフィールに負っています。本人が公表しているものを脚注として採用していいのかどうかわかりませんでしたが、もしいけないのであれば本記事はほとんど内容のない記事になってしまいます。--219.23.138.225 2013年4月5日 (金) 14:13 (UTC)[返信]