ノート:小永井五八郎

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生没年と号の異説[編集]

本記事の存在に気づかず「小永井小舟」を立項してしまった者です(現在は本記事のリダイレクトに改めております)。

本記事の参考文献とされる『世界を見た幕末維新の英雄たち』(ISBN 978-4-404-03364-2)47頁の内容は確かに現記事の通りですが、「小永井小舟」執筆時に用いた文献類では上記リンク先の通り、『日本人名大辞典』(ISBN 978-4-06-210800-3)の7720頁、『徳川幕臣人名辞典』(ISBN 978-4-490-10784-5)の283頁、『江戸文人辞典 国学者・漢学者・洋学者』。ISBN 978-4-490-10427-1の170頁で、「1829年生、1888年12月10日に60歳で死去」とあります。また号の「小船」は、それらの資料では「小舟」表記で、読み仮名も「しょうしゅう)とあります。どちらが正しいのでしょうか?

各書の典拠・参考文献は、『世界を見た幕末維新の英雄たち』に表記はありませんが、『江戸文人辞典』には『小舟小永井先生碑』、『徳川幕臣人名辞典』には『柳宮補任』、『続徳川実紀』第3~5篇、『続日本随筆大成』第9巻収録「口嗜小史」とありますので、そちらの方ももう少し調べてみます。--逃亡者会話2019年4月17日 (水) 03:18 (UTC)[返信]

『幕末軍艦咸臨丸』NDLJP:1921104/375においても「明治21年12月に歿した」とあります。また墓所(現在は谷中霊園 乙10号6側 [1])の墓石にも、「小舟 明治21年12月10日」と刻まれていましたので、没日についてはそちらが正しいと思います。--Latenscurtis会話2019年4月30日 (火) 02:45 (UTC)[返信]
追記)『房総の偉人』NDLJP:1020669/32においても没日同等でした。なおこの前項に実兄 田中従軒吾の記事もありました。--Latenscurtis会話2019年4月30日 (火) 03:24 (UTC)[返信]
情報提供ありがとうございます。対応が遅れ、申し訳ありません。その後も私も調査しましたが、現記事内容での生没年月日と号をを裏付ける出典は『世界を見た幕末維新の英雄たち』に見当たりません。その旨、Template:単一の出典, Template:疑問点範囲を貼りました。しばらくして他にご意見が無いようでしたら、「1829年生、1888年12月10日没、号は小舟」へ改訂させていただきたく思います。よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2019年5月19日 (日) 09:36 (UTC)[返信]
1週間以上にわたり他のご意見がありませんでしたので、生没年月日と号を改訂の上、それら確認時に用いた資料により、極力もとの文面を保ちつつ加筆させていただきました。--逃亡者会話2019年5月31日 (金) 23:42 (UTC)[返信]