ノート:専慶流
この記事は2006年4月23日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
専慶流の項目文書はコピーではなく著作権者である西阪慶眞直筆文章です。他のサイトに表記された文章も筆者所有文章です。専慶流・西阪慶眞--以上の署名のないコメントは、Ane-mone-0905(会話・投稿記録)さんが 2006年4月23日 (日) 14:05 (UTC) に投稿したものです(Greatupperによる付記)。
- 著作権者ご自身であることが確認できなかったため、やむを得ず通常の手続きに従って削除させていただきました。再掲出のご意思がございましたら恐れ入りますがもう一度ご投稿いただけますでしょうか、なおその際[1]にWikipediaに寄稿する旨御記載頂くなど、著作権上の問題の発生しないよう事前のご処置をお願いいたします。また、お願いばかりで恐縮ですがWikipedia:スタイルマニュアル等もお読み頂き記述スタイルにもご配慮頂けると幸いです。--こいつぅ 2006年5月1日 (月) 13:13 (UTC)
- また、もし再投稿していただけるのでしたら、ホームページとは違う新たな文章をお願いできれば、後々混乱がおきることもないと思われます。あわせて「桑原専慶流」との関係が分かるように記述していただければ幸いです。--miya 2006年5月1日 (月) 14:36 (UTC)
カテゴリの移動願い
[編集]「専慶流」は人名ではなく、華道流派の名前です。 カテゴリーを「華道流派」「華道」に変更したいのですがどうすればいいのでしょう。 Ane-mone-0905 2006年7月26日 (水) 14:03 (UTC)
剣山の由来について
[編集]専慶流の記事中にて、「剣山は戦後まもなく専慶流の考案」とありますが、いけばな研究家であった故人北條明直氏が日本女性新聞に寄稿した記事(2003年10月1日号/「ことばの文化史」31回目)によると、安達潮花が西洋のフラワーアレンジメントのピンホルダーに想を得て取り入れた、と解釈できそうです。それも、剣山自体、明治末〜大正年間に広まった、とあります。「戦後間もなく〜考案」としているこの記事の記述の典拠について、ご示唆いただければと思います。あるいはそれぞれに別の形で考案(発想)した場合、「剣山」という名を使い始めたのが誰なのか、という点について資料が指示いただけるとありがたいのですが…。Jackal1 2007年3月28日 (水) 14:26 (UTC)
ご指摘を脚注として引用させていただいた上で、当該箇所について要出典範囲とします。剣山使用の起こりと華道用語としての初出についても調べてみたいと思っていますが、専慶流と直接のかかわりのない由来であった場合は該当する頁(たとえば華道など)に記述するかもしれません。--Greatupper 2011年6月28日 (火) 13:38 (UTC)