ノート:寺澤捷年

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

和漢診療学の創始者というのは正確な表現か[編集]

平成25年10月16日 (水) 13:27の版で『和漢診療学の創始者』という記載があります。この方は漢方医学と西洋医学の融合を謳われているようですが、日本で東洋医学会が設立されたのは1950年代ですし、ツムラの漢方製剤が薬価収載されたのは1960年代です。つまり、この方が医者になる以前より漢方製剤は西洋医学者に広く使用されています。山田光胤(1951年医師免許取得)の著書(図説東洋医学;1979年初版)には『和田啓十朗が明治末年に、(中略)漢方を現代医学に結合しようとした最初の医師であった』という記載もあります。また現代医学病名に対して漢方薬を使用する方法を最初に記載したのは、昭和7年発行の南山堂の『漢方診療の実際(初版)』であり、それらを編集したのは大塚敬節矢数道明木村長久(以上3名とも医師)らです(矢数は大学卒業と当時に漢方医でしたが、大塚は元々西洋医学の産科医)。また板倉武(元東京帝国大学医学部第一内科学教室講師)という人物も東洋医学と西洋医学の融合を戦前に説いています。確かにこの人物も漢方の普及を担っていることは否定はしませんし、富山医科薬科大学和漢診療学講座の初代教授のは事実でしょうが、「和漢診療学の創始者」とするのは過剰な表現かと思います。和漢という名称ですが、明治以降に使われた漢方医学の1つの呼び名に過ぎず、この方が命名したり提唱したものでもありません。初版作成者の方は、ひょっとして「和漢」と「和漢診療学」は違うと主張されるかもしれませんが、ならばその相違点に言及がないのも問題かと思います。創始者とまで言うに相応しい画期的な違いを説明する出典があるのでしょうか?--メルビル会話2013年10月16日 (水) 10:05 (UTC)[返信]