ノート:密教

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典・著作権関連 2008年9月-2009年10月[編集]

出典の確認のお願い[編集]

こんにちわ。

出典について、確認させていただきたいことがございます。 このページに書かれている内容ですが、高野山金剛峰寺の下記ホームページに記載されている文章と同一の文章が散見されます。

http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/about/mikyou_shingon.html

もし、転載したのであれば、削除・訂正するか、もしくは参考文献に「高野山金剛峰寺」と追記していいただけないでしょうか。

宜しくお願い申し上げます。 --Jayhawk 2008年9月17日 (水) 16:58 (UTC)[返信]

どの節のどの部分が、金剛峰寺のホームページの文章のどの部分と同一なのか対比して提示して頂けると助かるのですが、お願い出来ませんか。--Szk7788 2008年9月17日 (水) 17:13 (UTC)[返信]

--Jayhawk 2008年9月18日 (木) 13:56 (UTC) 以下の通り対比します。[返信]

  • Wikipedia「密教」
密教(みっきょう)とは、秘密仏教(ひみつぶっきょう)の略称[1]。密教徒の用語では大乗(mahāyāna)、小乗(hīnayāna)に対して「金剛乗」(vajrayāna)ともいう。仏教を自称しているが、密教が仏教に含まれるかどうかは学者の間でも見解が分かれる。[2] 一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
  • 金剛峰寺「密教と真言宗」
密教とはなんでしょう。一般的には、秘密仏教の略称とされています。密教の用語では「金剛乗」ともいいます。「民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説く一般の大乗仏教(顕教)」に対し、様々な教義を内部の師資相承によって伝持(でんじ)するという、極めて神秘的・象徴主義的な点に特徴があります


  • Wikipedia「密教」
密教成立の流れ
密教成立の背景には、インド仏教後期においてヒンドゥー教の隆盛によって仏教が圧迫された社会情勢がある。ヒンドゥー教の要素を仏教に取り込むことで、インド仏教の再興を図ったのが密教である。
  • 金剛峰寺「密教と真言宗」
密教成立の背景には、インド仏教の後期においてヒンドゥー教などの隆盛によって、仏教が圧迫された社会情勢が指摘されます。密教はヒンドゥー教のもつ呪術性の要素を取り込むことで、インド仏教の再興を図ったのではないかとされています。


  • Wikipedia「密教」
初期密教
呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階で形成されていった初期密教(雑密)は、特に体系化されたものではなく、祭祀宗教であるバラモン教のマントラに影響を受けて各仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで現世利益を心願成就するものであった。密教経典があった訳ではなく、各種の大乗経典に咒や陀羅尼が説かれていた。
  • 金剛峰寺「密教と真言宗」
初期の密教は、呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階であり、真言や陀羅尼(だらに)を唱えることによって様々な願いを成就させるという現世利益的傾向がありました。


  • Wikipedia「密教」
中期密教・・・・・本格的な仏教として理論体系化が試みられて中期密教が誕生した。中期密教では釈尊(Bhagavān)が説法する形式をとる大乗経典とは異なって、その別名を大日如来と呼ぶ大毘盧遮那仏(Mahāvairocana)が説法する形で密教経典を編纂してゆく。・・・・・、多様な仏尊を擁する密教の世界観を示す曼荼羅が誕生し、一切如来(大日如来を中心とした五仏:五智如来)からあらゆる諸尊が生み出されるという形で、密教における仏尊の階層化・体系化が進んでいった。
  • 金剛峰寺「密教と真言宗」
やがて、仏教理論の体系化が進み、実在した釈尊仏陀に替わって、新たに密教の根本仏である大日如来を中心とした五仏(五智如来)が主軸に据えられ、曼荼羅に示される多様な仏尊(ぶっそん)の階層・体系化が進みました。


  • Wikipedia「密教」
日本の密教(7行目)
日本の伝統的な宗派としては、空海が中国(唐)の青龍寺恵果に受法して請来し、真言密教として体系付けた真言宗(東密。即身成仏と鎮護国家を二大テーゼとしている)と
  • 金剛峰寺「密教と真言宗」
弘法大師は、ちょうど理論的に整備された中期の密教を唐の青龍寺・恵果和尚(けいかかしょう)より受法し、日本へ請来されて即身(そくしん)成仏と鎮護国家を二大テーゼとした「東密(とうみつ)」と呼ばれる真言宗を開宗しました。

以上です。 --Jayhawk 2008年9月18日 (木) 13:56 (UTC)[返信]

お疲れ様です[編集]

かなり似ていますね。部分的には丸写しに近い箇所もあります。過去ログを見ると2004年頃から現在の記述に近い部分があるので、削除・訂正は難しそうです。各々に参考文献として、リンクを貼り付けるか、外部リンクに記述するしかなさそうですね。--Szk7788 2008年9月19日 (金) 00:47 (UTC)[返信]

11ヵ月以上も現状維持になっていたようですが、Szk7788さんがご提案されたようにリンクを貼り付けるのが最善策かと思いますが、皆様いかがでしょう?--TibetFreedom 2009年8月25日 (火) 06:30 (UTC)[返信]

著作権侵害は事実無根では?[編集]

(削除依頼の依頼サブページでも書きましたが)ノートで指摘されている箇所は履歴をみれば、2005年2月24日 (木) 01:42時点における版で加筆されています。一方、インターネットアーカイブから判断して、「転載元と指摘のあったページ」は2007年12月11日に記載され始めたのであれば、(a)同一人物が2005年2月24日にWikipediaの記事に加筆し始めた後、2007年12月11日に「転載元と指摘のあったページ」に記載したか、もしくは(b)むしろ、2005年2月24日に加筆され始めたWikipediaの記事が、2007年12月11日に「転載元と指摘のあったページ」へと転載されたと推測する方が合理性があるのではないでしょうか。(a)の可能性は完全には否定できませんが、(b)の可能性の方があり得ると思います。したがって、著作権侵害の疑いは事実無根と考えます。--TibetFreedom 2009年9月11日 (金) 06:24 (UTC)[返信]

「存続」が決定したので、削除依頼・著作権侵害のテンプレートを除去しました。[編集]

Wikipedia:削除依頼/密教とノート:密教において10月21日付で存続が決定しました。--TibetFreedom 2009年10月27日 (火) 05:58 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

密教」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月2日 (月) 01:13 (UTC)[返信]