ノート:家族

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表現の修正[編集]

wikiの「言葉を濁さない」の基準に抵触するものを削除しました。「増えてきた」という表現ではなく、論拠を示しつつ何%増えてきたのか、それが全体の何割になるのかを主観によらず記述して下さい。--59.171.23.76 2006-08-04 17:15:51‎ (UTC)

IPユーザーも署名をしてください。~を四つで署名と日時が自動的に入ります。--Mishika 2006年8月4日 (金) 20:44 (UTC)[返信]

「家族をテーマにした作品」節に追加[編集]

「家族をテーマにした作品」に、「ファミリータイズ」を追加させていただきました。米国人に「家族をテーマにした作品は?」と聞けば、まず第一に挙がる作品であり、日本の大抵のレンタルビデオ店にも置いてあるものです。主演のマイケル・J・フォックスはこの作品等による功績でニクソンやアインシュタインを押しのけてTIME誌で「20世紀を代表する顔」として表紙に載りました。--ディズニースピリット 2006年8月18日 (金) 03:44 (UTC)[返信]

「漫画」に『サザエさん』を追加いたしました。--ディズニースピリット 2006年8月18日 (金) 05:01 (UTC)[返信]

「漫画」に『浦安鉄筋家族』が並んでおりまして、本日、私が内容を調べたのですが、タイトルに「家族」とあるだけで、内容は「家族を描いた」とは言えない、主に学校が舞台のギャグマンガでした。別にギャグマンガが悪いわけではありませんが、特に百科事典でとりあげるほど「家族を描いた」とはとても認められない内容でしたので、削除いたします。(これを載せるなら、まだ『ドラえもん』の方が「家族をテーマにした」といい得る)。また定義にありました「HOME MADE 家族」というヒップホップグループは、「家族」が名前の一部でしかなく、削除したします。(これを認めると『~家族』というTV番組名などを全部定義部分に載せられることになってしまう)。--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 07:05 (UTC)[返信]

定義について[編集]

すみません。現時点で定義が意味をなしていないのですが。「家族とは単家族を中心に…」では、それじゃあ単家族って何?にしかならないと思います。私はこの言葉自体知らないので、どなたか手入れ願います。--Ks 2007年2月1日 (木) 06:48 (UTC)[返信]

単一家族の間違いかと思います。定義を修正してみました。でも、現実の社会から見ると古いです。同棲、里子、単なる同居、婚姻外の事実婚など考えると、言葉を補わないとダメでしょうね。--Mishika 2007年2月1日 (木) 07:33 (UTC)[返信]
ちょっと難しいですがありがとうございます。現在的な多様性については、典型について述べた後に説明すればいいのではないでしょうか。ついでに、動物の家族についてはどうしましょう?たとえばオオカミなどは、家族単位が存在するので有名ですが。--Ks 2007年2月1日 (木) 08:19 (UTC)[返信]
「動物家族」についてはWikipedia:検証可能性に基づいた定義の合意が出来てからでよろしいのでは?「家族(生物)とか、作りたくないのですが。--Album 2007年2月1日 (木) 08:26 (UTC)[返信]
検証可能な内容であれば、記述に合意が必要とは聴いていませんが。それと、<「家族(生物)とか、作りたくないのですが。>の理由をお聞かせください。--Ks 2007年2月1日 (木) 08:31 (UTC)[返信]
社会学上の契約概念を含んだ「家族」と、「カルガモ家族」が混在して、記載が混乱し、それを逃がす為に興味の無い「家族(生物)」を作成せざるを得ない、という「育児」の二の舞です。貴方が作るなら文句はありません。蟻も家族なのですかね?生物学上は?そうすると集団生活をするゴキブリもですか?全部列記するんですかね?ここに。--Album 2007年2月1日 (木) 08:43 (UTC)[返信]
えらく荒れていらっしゃる。そういう問題ではないですよ。そもそも人間だってヒトという動物ですから。「社会契約の概念を含んだ」とおっしゃるけれど、原始時代から家族はあったでしょうし、ヒトの家族を認めるならば、その起源を動物に求める論議はごく当たり前です。そもそも「家族とは何か」も、様々な動物の配偶関係と比較してこそ客観性が増すというものです。もちろん、それをここに書かなければならないとか、あちこちに織り交ぜるべきとも思いません。そういう意味では記述はあってしかるべきかと。むしろ、「家族(動物)」を作るべきでないというのが不思議だったのですが、それはつまり、Album様が自分で作る気はないが、存在を否定するものではない、そういう理解でよいですか?--Ks 2007年2月1日 (木) 09:00 (UTC)[返信]

インデント戻します。私が採用したい「家族」の定義の出典を提示しますので(一字一句同じにするつもりは、もちろんありません)、異論あれば、出典を明記して提示して下さい。荒れているのは確かなので、今日はこの項はここまでにします。ご迷惑かけて、本当に、申し訳ない。

【広辞苑より】
夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。

--以上の署名のないコメントは、Album会話投稿記録)さんが 2007-02-01 09:17:33 (UTC) に投稿したものです。

動物にも配偶関係、親子兄弟関係は存在します。これを動物に適用してはならない理由はないと思います。それでは続きははあした以降ですね。--Ks 2007年2月1日 (木) 09:35 (UTC)[返信]
配偶関係も、血縁関係も、「親族関係」に言葉がかかっています。
「親族関係」の定義は以下のとおりです。もちろん、人間の話です。
【広辞苑より】
  1. 身寄り。縁家。親類。親戚。親族。
  2. (法)民法上、六親等内の血族、配偶者および三親等内の姻族をいう。
--Album 2007年2月2日 (金) 07:54 (UTC)[返信]
1の方の定義は動物にも使えますね。2はそもそも人間にしか使わないことを前提に作られてますから、動物に関係するかどうかの判断には使えません。結局、動物に家族があって良いわけですね。--Ks 2007年2月2日 (金) 10:02 (UTC)[返信]

生物学辞典 第4版 岩波書店(1996)ISBN 4-00-080087-6 から引用しておきます。

【家族】
  1. 母子のつながりに母の配偶者または兄弟、およびその近親が安定した経済的・社会的関係を結ぶことによって構成されている、人類社会を構成する最小の単位。
  2. 親子が一定期間共存し、その間に密接な相互作用の存在する動物の集団。社会性昆虫のコロニーなどが典型。

--NEON 2007年2月2日 (金) 14:41 (UTC)[返信]

なるほど、マードックが「生物学的家族」の概念が別にある、と言っていたのはこれなのですね。ちょっと感動なのですが、「家族」を形成しようとするのは、社会的、文化的に後天的に形成されたのではなく、本能なのですね。私も岩波生物学辞典を確認しますが、着地点が楽しみです。調べて書くって、本当に楽しいことですね。--Album 2007年2月2日 (金) 16:55 (UTC)[返信]
ちなみに、現在の生物学では本能は使いません。本能行動と言う用語はありますが。それと、生物学事典に人類の家族が記されているのは、生物学の用語でもあると言う意味にも取れますね。--Ks 2007年2月3日 (土) 03:54 (UTC)[返信]
NEONさんから教えていただきました「岩波生物学辞典」の該当部分を図書館からコピーして参りました。結論から申し上げれば、1.の人間に関する定義は大変に長いもので全部は書きませんが、趣旨としては「コロニーを形成するような昆虫などの生物の家族の概念と、人間の家族の概念は、同列に出来ない」旨を書いてあります。その記述があったあと、2のコロニー形成型の生物学的家族の説明に入ります。したがいまして、文字は同じ「家」「族」という漢字2文字ですが、やはり同列で記述することには賛成できかねます。--Album 2007年2月5日 (月) 10:04 (UTC)[返信]
Album様は自分の読みたいようにだけ読んでいらっしゃる。確かに同列に扱えないとの文はあります。しかし2つの項目のどちらにも「家族と言うことがある」とあり、明らかに使われていることが肯定されています。ついでにペアだけの場合は家族とは言わないで等と範囲を絞ってすらあります。どう読んでも家族という語が動物学の範囲で使われていることを認めたものです。--Ks 2007年2月6日 (火) 09:25 (UTC)[返信]
落ち着いて考えれば、この項は最初から「曖昧さ回避」になっているので、いつでもどうとでもなる、と考えました。それより、ksさんの記述から気が付いたのですが、本文の「単身世帯の増大」は、家族の話ではないですね(笑)。2人以上が家族なのですから。。「世帯」の概念と「家族」の概念がごちゃ混ぜになっています。どうしましょうか。私が手を出すと、なんとなくまた、火がつきそうです(笑)。。--Album 2007年2月6日 (火) 09:37 (UTC)[返信]
動物用の定義を安易に人間に適用しないものです。どこにでも例外や逸脱はある、と言うことを前提に考えればいいでしょう。それと、そういう懸念を感じた場合には手を出さないのは正しい姿勢だと思います--Ks 2007年2月6日 (火) 09:49 (UTC)[返信]
なんだか、私も生物学辞典ばかり見ていたので、案外、違和感が無いですね。良いのではないですか。--Album 2007年2月6日 (火) 10:01 (UTC)[返信]

インデント戻します。部分的には良い文章ですし、検証可能性もありますが、全体から浮いてしまっています。..基本定義の福祉云々とも整合しないし。。将来的には家族(動物学)、家族(社会学)、でしょうかね。定義部を追記した方の意見を聞いてみたいですね。今はPDAなので言葉足らずですが。--Album 2007年2月6日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

定義文中の「単家族」について[編集]

こんにちわ、匠雅音といいます。家族の定義の中で、<単家族>という言葉が使われているのが気になります。<単家族>は、1997年にボクが「核家族から単家族へ」丸善、という本の中で使った言葉で、核家族が分裂した成人もしくは成人とその子供という定義で使っています。<単家族>はボクの造語で、まだ周知されていないと思います。--匠雅音 2009年11月28日 (土) 04:45 (UTC)[返信]

日本的な家族についての説明が大半であるとの指摘を受けました[編集]

日本的な家族についての説明が大半であるとの指摘を受けましたので、諸民族の家族について追記されればと思い、ここに記します。加筆依頼に出しても良いのですが、とりあえず「家族団欒」「家族旅行」の節を中心として全体的に世界的な観点になるような方向でお願いします。-- 2007年6月23日 (土) 03:49 (UTC)[返信]

指摘されたからではなく、日本中心にならないようにするのは守るべきガイドラインのひとつです。--125.196.161.242 2008年4月17日 (木) 04:26 (UTC)[返信]

一般人が被写体の写真について[編集]

質問 当記事に、一般人が被写体となっている画像を投稿するのは問題ないのでしょうか?

トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんの2009年4月8日 (水) 05:57 (UTC)の編集により、「家族」にウィキメディア・コモンズ画像が貼り付けられました。この画像は、トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんによりウィキメディア・コモンズに投稿されたものです。この画像はもともとelmimmoさんがフリッカー投稿した画像であり、それをトトト会話 / 投稿記録 / 記録さんがウィキメディア・コモンズに持ち込んだように見受けられます。ライセンスは「cc-by-2.0」ですので、ウィキメディア・コモンズへの投稿は問題なく、ウィキペディア日本語版でもライセンス上は掲載が認められると思います。しかし、この写真の被写体は一般の方のように見受けられ、なおかつ、顔の表情がはっきり視認でき個人が識別できる状態です。ウィキペディア日本語版では「Wikipedia:画像利用の方針」においてライセンスだけでなく肖像権への配慮も規定されており、公人以外の人物の画像の掲載には慎重を期すよう求める記述があります。この画像はその決まりに抵触するのではないかと懸念するのですが……。トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんは、被写体本人に許諾を得ている、もしくは、この被写体が公人であるとする根拠をお持ちでしょうか? --Nnkrkrhhdi 2010年2月22日 (月) 17:34 (UTC)[返信]

只今この写真を撮影された方に問い合わせをしましたので、しばらく御猶予下さい。私としては、映っている男性を仮にAさんとして、これがAさんにとって不名誉な写真では到底なく、写真そのものの芸術性の高さから掲載は可と判断したように思います(当時)。もしAさんが撮影者の知人であるとすれば答えはより明確になりますが、もしそうでない場合、規則づくめで行けば色々と議論が出てくるのかもしれません。--トトト 2010年2月22日 (月) 19:19 (UTC)[返信]
コメント そうしますと、現時点では未承諾ということですよね。被写体本人からの許諾を示す根拠は特に何もないわけですので。仮に「Aさんが撮影者の知人」であったとしても、フリッカーへの掲載なら承諾している可能性はあるでしょうが、その時点でウィキペディア日本語版への掲載を承諾しているとは思えないですよね。「Aさんにとって不名誉な写真では到底なく」というのは仰るとおりだと思うのですが、「不名誉な写真じゃないからウィキペディア日本語版で一般人の顔を晒してもよい」ということにはならないと思います。「Wikipedia:画像利用の方針」はウィキメディア・コモンズに比べて人物画像を抑制的に取り扱っており、被写体からの許諾も承認もないままに一般人の顔を晒すことはできないでしょう。現時点では画像の掲載は控えておいた方が無難だと思います。もちろん、承諾が得られるのであれば、再掲載を妨げるものではありません。--Nnkrkrhhdi 2010年2月22日 (月) 22:46 (UTC)追記。--Nnkrkrhhdi 2010年2月22日 (月) 22:52 (UTC)[返信]

一般人が被写体の写真の撮影者[編集]

コメント トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんの画像投稿時の編集によれば、この画像をフリッカーに投稿したのは「Jorge」さんだとされています。しかし、上記でも指摘したとおり、この画像を投稿したのはelmimmoさんです。Jorgeさん(URLに「jorge」を含む利用者ならpudding_pieさん)は全然別の人のように見受けられます。念のため補足です。--Nnkrkrhhdi 2010年2月22日 (月) 22:46 (UTC)[返信]

報告 昨日 elmimmo 氏より連絡を頂き、"Jorge" というのは氏のファーストネームである旨の御答えを得られました。当該写真の Exifデータ中で確認できるとのことです。なお氏は写真のクレジットをフルネームか、またはリンク先がelmimmoならばそれがニックネームと分かるようにelmimmoで、との希望を表明されましたので、原著作者を明確にするため当該ファイルをフルネーム表記に変更しました。(ただし、Exifデータでは2バイトのアルファベットが消えている可能性があります。)--トトト 2010年2月28日 (日) 18:29 (UTC)[返信]
コメント Flickr画像をコモンズにアップロードする際に通常Flinfo Tool というソフトを使いますが、これはFlickrに登録した本名をそのままコモンズの "Author" の欄に記入する仕様になっています。Flickrに実際に登録されてみれば分かると思いますが、本名の記入は任意であり、実際はニックネームで済ませている人も少なくありません。可能性として、1) elmimmo氏(これもニックネームとのこと)が、当時は jorge を名乗っていた 2)ウィキペディア・プロジェクト内で履歴の残らない改竄が発生していた可能性があり(履歴に残らないため立証は不可)、何者かが最初のアップロード時の記録に上書きした... ということは考えられます。ただ、FlickrのIDは変更できないので、問い合せをしてたどり着く人は同一人物です。 (念のため、ファイルの著者名は "elmimmo" に変更しておきます。)
◆ で、Flickrを通じてelmimmo氏から早速お返事を頂きました。残念ながらelmimmo氏の知らない方であるとのことです。したがって、Aさんの事後の承諾を得ることも困難が予想されるため、この場合は差替もやむを得ないかもしれません。私としては(この記事に貼る写真としては)質的にこれを上回る写真はないと思いますので、不本意ではありますが。--トトト 2010年2月23日 (火) 03:54 (UTC)[返信]
質問 ……「履歴の残らない改竄が発生していた可能性があり(履歴に残らないため立証は不可)、何者かが最初のアップロード時の記録に上書きした」とのご指摘ですが、これは何か根拠があっての発言ですか? 「履歴に残らないため立証は不可」と仰るように、仮にそのような事態が発生したとしても、一般利用者がそれを検知するのは甚だ困難ですよね。一応確認ですが、そのような事態が発生したことを示す明確な証拠を、トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんはお持ちなのでしょうか? それとも、単なる想像での発言ですか? --Nnkrkrhhdi 2010年2月24日 (水) 08:06 (UTC)[返信]
コメント 何だか変だぞ、という勘のようなものです。勘ですので、議論の論拠とするつもりはありません。立証は不可だと申し上げているので、当然明確な証拠はありません。別の事例のきわめて断片的な状況証拠なら、私自身の編集で、こういうのがありました。"Typo" ・「M」編集と断って、語句の編集をしたのだと思いますが、実際は古い版に戻っています(愛着を持って育てていこうとしている記事で、編集結果も直後に確認するはずなのに、わざわざ古い版に戻すような編集は普通は考えられない)。可能性としてはシステム障害のようなものもあるかも知れませんが。いずれにせよ、elimimmo 氏の画像については、Flinfo Toolを使用してアップロードをしたのは確かであり、その結果 "jorge" になっている(しかしリンク先は正しい)とすれば、私としては何も申し上げられませんが。少なくとも私自身は著者の名前をアップ時に書き換えるメリットもないし、意図してそのようなことを行ったこともありません。--トトト 2010年2月24日 (水) 13:42 (UTC)[返信]

1957年に撮影された写真について[編集]

コメント 画像を貼った本人として責任の一旦はありますので、差替えて代わりの画像を掲載しました。52年前の写真であり、常識の範囲内で肖像権が問題にならないであろうと考えられる写真です。これなら如何でしょうか? --トトト 2010年2月23日 (火) 04:17 (UTC)[返信]

質問 拝見いたしましたが、1957年撮影とのことですので、存命中の方がいらっしゃる可能性がありますよね。トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんは、被写体本人に許諾を得ている、もしくは、この被写体が公人であるとする根拠をお持ちでしょうか? --Nnkrkrhhdi 2010年2月24日 (水) 08:06 (UTC)[返信]
コメント こちらも念のため問い合わせをしました。しばらくお待ちください。--トトト 2010年2月24日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
報告 写真の所有者である伊藤氏(リンク先写真のTag欄に記載あり)よりFlickrを通じてお返事を頂き、ウィキペディアでの使用の許諾を頂きました。私信ですので全文の引用は控えますが、1.”肖像権等の問題は全くないのでぜひ掲載お願い致します。” 2.”他の写真で使えそうなものがあればご利用ください。” という暖かいお言葉でした。--トトト 2010年2月25日 (木) 13:59 (UTC)[返信]
コメント ご報告ありがとうございます。もしよろしければ、今後は確認前に画像を投稿するのは控えていただけませんか。毎回「Wikipedia:画像利用の方針」違反が指摘されかねませんので、トトト会話 / 投稿記録 / 記録さんにもご負担がかかるでしょう。今後は投稿前に一度確認していただき、そのうえで投稿していただければ幸いです。なお、一応確認なのですが、上記の許諾はYasuhiko Itoさんからご返信いただいたということですよね。では、この写真Yasuhiko Itoさんが撮影されたと考えていいんですよね。それとも、Yasuhiko Itoさんが写っている写真ということなんでしょうか。--Nnkrkrhhdi 2010年2月26日 (金) 05:16 (UTC)[返信]
報告 誤解されると面倒ですので、整理して箇条書きにしてお答えします。
1. 仰るように、許諾はYasuhiko Itoさんから頂いたものです(以下、「氏」と称します)。25日と26日(本日)、2回にわたって御回答を頂きました。
2. 二度目の回答で、以下の点を御説明下さいました。
  • File:Hosokawa family 1957.jpg」(当記事の冒頭で使用されている写真)を撮影したのは「伊藤最中種店」。(氏のページでは「伊藤最中屋」と記述されているが、当時の正式な名称は「伊藤最中種店」である由。
  • 被写体は、氏の御親族(「母親、叔父、叔母、従兄弟」)とのこと。
  • 伊藤最中種店は一種の事業者である。
3. 1・2を総合すると、まず著作権状態は、Flickr上は {{Cc-by-2.0}} となっており、そのまま移植した関係でコモンズでもそうなっているが、元写真の正確な著作権表示は {{PD-Japan-organization}} となる。被写体は氏自身ではないが、いずれも氏の親族であり、それらの人物を知りうる立場にある氏は、撮影から経過している年月も考慮して、肖像権についての問題はないと判断された。
…ということになります。なお、上記が私の作り話でないことを保証するために、以上に述べた内容を当該ファイルの説明欄に書き添えます。これでよろしいでしょうか。
最後になりましたが、御指摘のように私の投稿はやや性急すぎたように思いますので、今後は必要に応じて事前に確認をとるなど、慎重を期したいと思います。--トトト 2010年2月26日 (金) 14:11 (UTC)[返信]
コメント トトト会話 / 投稿記録 / 記録さん、ご報告ありがとうございます。そうしますと、ライセンス上は問題ないことは確実ですが、被写体の方々のご同意は一切ないということですね。しかし、上記のご説明を拝読する限り、画像の投稿者の方の同意があり、なおかつ、被写体の方はご存命中ではないようですので(この点は不明確なので断言はできませんが)、それであれば掲載は可能かと思います。なお、ウィキメディア・コモンズにはCommons:OTRSなどさまざまな制度が用意されておりますので、そちらのご活用などもご検討いただければと思います。いろいろとありがとうございました。--Nnkrkrhhdi 2010年3月6日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

写真について[編集]

無意味なブロンズ像をトップに掲載しないように。--49.239.78.249 2016年5月5日 (木) 02:00 (UTC)[返信]

それと、人類学的に見て、アフリカにだって家族はいるのだから、それを掲載したほうがバランスが良い。学者の感覚だと、そういう写真も入れるのが正常。まるで「人類はヨーロッパ人と日本人だけだ」とでも言おうとでもしているように感じられる写真の選択は、非常に変だ。--49.239.78.249 2016年5月5日 (木) 02:04 (UTC)[返信]

家族をテーマにした芸術作品は無意味だと?
にもかかわらず『民宿に宿泊した家族』は意味があると?
ではオーストラリアの家族とか、伊豆大島の家族とか、そんなのも入れないと正常ではないと?
そもそも家族が一列に横に並んでいるのが家族のあり方なのですか?
その判断の理由を説明してくださいますか? --Keisotyo会話2016年5月5日 (木) 02:07 (UTC)[返信]
文句のための文句を言わないように。既存の出版されている百科事典類の写真をよ~く確認してみて下さい。ブロンズ像をまっさきに挙げてはいません。まあ、民宿に宿泊した家族は削除してもよいかも知れない。だが、かわりにどこかの節に核家族の写真は入れたほうがよいような気はする。変な固定観念を作りださないように、2~3人しかいない小家族の写真も配置したほうがよいだろう。--49.239.78.249 2016年5月5日 (木) 02:11 (UTC)[返信]