ノート:宮沢桃子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

個人の感想・評論は不要[編集]

人物・エピソードの項に、単なる個人ウォッチャーの感想や評論に過ぎぬ記述があり、 コメントアウトしました。中には、「往年のファンとしては」などと公然と記述しているものもあり、はっきり言って、履き違えも甚だしいです。まず、ウィキペディアは何でないかWikipedia:中立的な観点をご覧頂き、ウィキペディアは公共の事典であり、ファン的思い入れを反映したネタなどを書き込む場ではないことを認識して下さい。--Huskys 2007年4月18日 (水) 18:20 (UTC)[返信]

Huskysさんが削除された部分を書いた者です。削除の理由には同意しかねます。
Huskysさんは私が宮沢桃子のファンであるという先入観を持たれているように思います。私はWikipediaに書くときは宮沢桃子のファンではありません。宮沢桃子を知らない人が、どんな人物であるかがわかるように、ポイントを押さえて簡潔に書くという目的があるだけです。Huskysさんの変更は、ポイントを押さえるという点を損なうものです。
人物評価のようなことも書いてありますが、地方の有名アナレベルの比較的小さい記事なので、多くの人が同意できそうなことだけを選んで書いています。私が評価の主体に立ってはいません。(「往年のファンとしては」はどこにも書いていません。) 例えば、宮沢桃子の発音は、独特の声質である割に聞き取りやすいと思うが、聞き取りにくいと感じる人はどのくらいいるだろうか、といった疑問は常に気にしながら書いています。Huskysさんの言われる「ファン的である」というのはどういうことかよくわかりませんが、「結果としてではなく、前提として高評価に偏っている」や「一挙手一投足に関する感動のみが書かれていて、『だからどうした』の部分がない」という意味であれば、そうはなっていないと思います。
もしかしたら、褒める文章の多さから、「ファン的である」と誤解されたのかもしれません。私はこれは中立の視点に立った結果、高評価に偏ったケースだと考えています。もし、Huskysさんが意見の偏りを嫌ったのなら、宮沢桃子がそれほど高評価にならない反論を書くべきで、単に高評価の文章を削除してバランスを取ろうとしたのなら、中立の視点に立った編集態度としては筋違いです。--Mr. 辛口 2007年4月21日 (土) 13:14 (UTC)[返信]

少しおかしなことを書いてしまったかもしれません。私のファンとしての感慨が入り込んでしまった可能性がある部分を削除します。何かについての説明をするときは、まず明らかな特徴や経緯を簡単に述べるもので、中立の観点ならわかりますが、検証可能性を持ち出すのはなじまないと思います。どこまでがそのような概要の説明に当たるのかという問題もありますが。

もし他に不適切な部分があれば、議論する意思があります。--Mr. 辛口 2007年4月27日 (金) 22:28 (UTC)[返信]

「ギラギラとした派手さがなく」、「硬い表情」「往年のファンからは残念がられることがある」などの記述は、中立的とはいえないと思います。--Pica 2007年4月27日 (金) 23:35 (UTC)[返信]
軟路線から硬路線への変化については何か言及したいのですが、明らかな特徴や経緯と言い切り、長期的な検証の目をパスするには、やはりその文章はちょっと弱いと思いました。--Mr. 辛口 2007年4月29日 (日) 17:03 (UTC)[返信]

2004年8月の安藤優子代役[編集]

web.archive.org に「(メインキャスター)宮沢桃子(THK)」とあるので、サブキャスターではありません。--Mr. 辛口 2007年4月29日 (日) 17:03 (UTC)[返信]

すみません。番組HPにはメインと書いてありますね。心よりお詫び申し上げます。--222.0.165.19 2007年4月30日 (月) 15:05 (UTC)[返信]