ノート:嫌中

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利用者名: 210.139.130.65氏の投稿について[編集]

この項目自体、問題があるものですが、210.139.130.65氏の「石平は、所詮中国人であり、中国文化に関しては寛容。あくまでも反中国共産党では?)」といったコメントや、氏が追記した「近代以降の歴史認識問題はもちろんの事、近代以前の歴史に対しても憎悪の対象となっていることが多い。日本は聖徳太子遣隋使で中国と距離を置く為の文章を送ったことから華夷秩序から抜け出し、それ以来、日本は独自で文化を築き上げてきたと認識する。」や「また、昔(近代以前)から大量虐殺を繰り返してきた野蛮な国家としている。」ないし「 なお、中国文学である漢文を国語に取り入れることは国家の誤った道徳、倫理が植え付けられる恐れがあるのでいささか問題であるのではないかという専門家の指摘もある」は、いずれも適切な出典先の明記がないため独自研究であるといわざるを得ず、このような思想をしている言論人はして寡聞にして存じませんが、ウィキペディアの百科事典の項目に載せるべきでない民族差別的思想のように思えます。

また、氏は「嫌中の歴史観」を書こうとした他、「特定アジア」の項目にも執筆しておられるようですが、その内容も反中的思想がにじみ出ています。どのような意見を持つのは自由ですが、この執筆についてのご意見を皆様お願いします。個人的意見として、特定版削除が妥当だと主張します。--Carpkazu 2008年3月27日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

「反中」と「嫌中」の統一を目指すべきかも知れませんね。[編集]

本題の前に、少し言わせて貰うことがある。 [1] のように、日本と支那は大昔、必ずしも友好でないと言う「言説」も存在するのです。出典してなかった私が間違っていました。お詫びします。関連人物全般に考えられる、中華思想に対して批判的な人物は近代以前も嫌う傾向にあると思います。 もうひとつ、例として、「朝鮮は日本の保護国となり、は支那の華夷秩序から解放された。」(出典:中川八洋著『歴史を偽造する韓国』)とある。日本及び特定アジアの近代に当たるいわゆる日清戦争前後の背景だが、半島は長らく清(支那)の属国であったと言うことから、近代以前の華夷秩序をもつ支那を批判もしていたと言うことである。と言うわけで差別感情はありません。

本題に入るが、「反中」と「嫌中」の分類は確かに私にも理解できませんね。 と言うことでややこしくなるので、統合を目指すべきなのですが、選ぶとしたら広義の枠に入るほうを優先すべきでしょうね。いずれにせよ、基準が分からない。「反中」はどうやら支那の政治体制に対する不満らしいですが、支那の全ての事柄を嫌う「嫌中」は全ての事柄を嫌っている以上、「反中」でなければおかしい。 というわけで、むしろ「反中」を削除し、「嫌中」に統合させるほうが妥当だと思います。

以上のコメントはIPユーザー利用者名: 210.139.130.65の記述です--Carpkazu 2008年3月29日 (土) 01:32 (UTC)[返信]
出典はわかりました。なお、このように議論が対立する項目を記述する場合には両者の議論を書く必要があります。なお「反中」と「嫌中」の二つがあるかという理由ですが、前者の「反中」の基礎が英語版のen:Sinophobiaであり、こちらは19世紀の中国人移民に対するアメリカ人による民族差別から現在の中国共産党政権に対する反感の記述であります。そのため政治体制に対する反感ではなく中国人に対に対する民族差別意識も扱っています。後者の「嫌中」は保守論客もしくはウヨク系掲示板で見かける言葉であるが「嫌韓」の言葉と比較し一般的であるとはいえず、一部でスラングで使われている程度の言葉であるため、別枠になっている経緯があります。また同様な言葉に「媚中」がありますが、こと単語をネットで使う者のなかには自ら民族差別主義者を公言している者のいますので、この言論を繰り返すと差別主義者と誤解されるリスクがあります。
なお、あなたが主張するところの統合ですが、ウィキペディアで定められた手続きで行う必要がありますが、当方は必要ないと主張します。またあなたがいうところの主張は「反中華思想」もしくは「反中国人思想」または「反支那思想」といった項目が妥当であるといえますが、個人的にはこのような差別的項目の立項には反対です。なぜなら彼らに問題があるのは事実でありますが、それは日本人も同様であり、たとえ彼らに対する欠陥を指摘したとしても、相対的に言った側の優位性が上がるわけでもなく、また上がるはずもないからです。それに「反日」の中文版](こちらは中国大陸ではウィキペディアはネット遮断されているので、中国以外の住民による編集)を見ると、反中主義者を鏡で見たような内容で嫌悪感があります。そのため「一番、醜いことは他人の悪口を言うこと」であるといえ、いずれの編集も社会現象として扱いはしていても精神的に苦痛なものです。--Carpkazu 2008年3月29日 (土) 01:32 (UTC)[返信]